ケミストリー堂珍嘉邦の学歴|出身は広島新庄高校!大学や中学校の偏差値と学生時代のエピソード

 

「ケミストリー」の堂珍嘉邦さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。俳優としても人気が高い堂珍さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、若い頃のかっこいい画像なども併せてご紹介いたします

 

堂珍嘉邦(どうちん よしくに)

 

 

19781117日生

身長174

血液型はO型

 

広島県安芸高田市出身のミュージシャン、俳優

ボーカルユニット「CHEMISTRY(ケミストリー)」のメンバー

本名同じ

 

以下では「ケミストリー」堂珍嘉邦さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします

 

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目次

堂珍嘉邦の学歴まとめ

 

出身大学:進学せず

出身高校:広島新庄高校

出身中学校:広島新庄中学校

出身小学校:安芸高田市立刈田小学校

 

堂珍嘉邦の学歴~出身小学校の詳細

 

出身小学校:広島県 安芸高田市立刈田小学校

※現在は安芸高田市立八千代小学校

 

 

 

堂珍嘉邦さんの出身小学校は、地元広島県安芸高田市内の公立校の安芸高田市立刈田小学校です。

 

この小学校は2018年に安芸高田市立根野小学校と統合されて、現在は安芸高田市立八千代小学校になっています。

 

家族構成は両親と姉、妹の5人家族です。

 

実家は米を作っている兼業農家だったこともあり、中学生の頃にはトラクターに乗って家業の手伝いをしていました。

 

堂珍さん小さい頃から歌が好きで、目立ちたがり屋の恥ずかしがり屋という性格だったようです。

 

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堂珍嘉邦の学歴~出身中学校の詳細

 

出身中学校:広島県 広島新庄中学校 偏差値53(普通)

 

 

 

堂珍嘉邦さんの出身中学校は、私立の共学校の広島新庄中学校です。

 

この中学校には中学受験に合格して進学しています。

 

堂珍さんは中学時代は卓球部に在籍をしていました。

 

中学生の頃から洋楽を聴くようになっており、インタビューでは次のように話しています。

 

「中学生くらいのときですかね。家にあったサイモン&ガーファンクルやビートルズ……特にジョン・レノンのレコードをよく聴いていました。親が音楽好きだったから、たまにギターを弾いているのを眺めてて。自分から洋楽を聴くようになったのは、高校生になってからかな。」

 

また中学時代は自宅で毎日のように歌っていたそうです。

 

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堂珍嘉邦の学歴~出身高校・大学の偏差値

 

出身高校:広島県 広島新庄高校 偏差値56(中の上)

 

 

 

堂珍嘉邦さんの出身高校は、私立の共学校の広島新庄高校です。

 

同校は1909年創立の伝統校で、近年は硬式野球部が甲子園に出場するなど活躍をしています。

 

また現在は特進コース(偏差値65)を設置して進学率も向上していますが、堂珍さんが在籍した当時は現在ほどのレベルではありませんでした。

 

堂珍さんはこの高校の系列の中学校に通っていたことから、一般受験ではなく内部進学で進んでいます。

 

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高校時代はバスケットボール部と音楽部に在籍をしており、バスケットボール部は漫画「スラムダンク」の影響ではじめています。

 

高校1年生の時にアメリカでホームステイをしたことが一つのきっかけとなり、将来はミュージシャンを志そうと決めています。

 

当時のことについてインタビューで次のように話しています。

 

「ちょうどそのころアメリカでホームステイを体験したのですが、最後の日のパーティーで勇気を出して歌ったら結構ウケたんです。それですっかり調子に乗ってしまって(笑)。それに、1学年上の先輩のバンドにも影響を受けました。とにかくカッコ良かった。身近にそんなお手本があったので、頑張れば自分もなれると思えたんですね」

 

堂珍さんが影響を受けた先輩についてはインタビューで次のように振り返っています。

 

「僕、広島の田舎の出身なんですけど、高校時代の1学年上にすごく天才的な先輩がいて。英語もしゃべれるし、ドラムもベースもギターも弾けて、曲も作れて、絵も描けて、顔もカッコいい、みたいな。その先輩がある年の学園祭のライブでビートルズを歌ったんですけど、それを見て衝撃を受けたんですよ。で『あっ、この人、きっとデビューするな』ってそのとき予感がしたんですけど、本当にアメリカで3ピースのバンドでデビューして。」

 

堂珍さんはロック系のアーティストに憧れは抱いていたものの、そういったカリスマにはなれないとどこか諦めた気持ちがありました。

 

そしてアーティストとしてデビューをするためには「音楽業界にとりあえず入ることが大事かもしれない」と思い、地元の広島で音楽番組のADを目指しました。

 

【主な卒業生】

田口麗斗(プロ野球選手)

永川勝浩(元プロ野球選手)

 

大学には進学していない

 

堂珍さんは高校卒業後は大学などには進学しておらず、地元のテレビ局でADのアルバイトをしていました。

 

しかしADのアルバイトもバラエティー番組に配属されたことで1ヶ月程で辞めており、その後はいろいろなアルバイトを経験しています。

 

また高校卒業後は本気でミュージシャンになるためにいくつかのオーディションを受けており、インタビューでは次のように話しています。

 

「高校卒業後、人生を懸けてオーディションを受け始めました。トータルで大きなものは3つです。最初の2つは最終審査まで残ったものの結局不合格。だから自分には何が足りないのかとずっと悩んでいました。3回目に受けたのがデビューのきっかけとなったテレビのオーディション番組です。」

 

堂珍さんは21歳だった1999年に、バラエティ番組「ASAYAN」の「男子ボーカルオーディション」に合格しています。

 

 

そして同じく合格者だった川畑要さんと、デュオ「CHEMISTRY」を結成しています。

 

「CHEMISTRY」は2001年に「PIECE OF A DREAM」でメジャーデビューを飾ると、楽曲はいきなりオリコン1位を記録しています。

 

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以降もヒット曲を連発して、瞬く間に人気アーティストになっています。

 

堂珍さんは単独でも俳優として活動しており、2014年には映画「醒めながら見る夢」で主演に抜擢されています。

 

 

その他にも仮面ライダーシリーズの劇場版にも出演したこともありました。

 

 

なお「CHEMISTRY」は2012年に活動を休止しましたが、2017年に活動を再開しています。

 

現在も精力的に音楽活動を展開しています。

 

以上が「ケミストリー」堂珍嘉邦さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

バラエティ番組のオーディション企画に出場すると、とんとん拍子にスターダムをのし上がっていきました。

 

また堂珍さんはイケメンで知られ、ミュージシャンだけではなく俳優としても人気を誇っています。

 

 

今後のさらなる活躍にも期待が高まります。

 

 

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経歴/プロフィールの詳細

 

1999年にバラエティー番組「ASAYAN」の企画「男子ボーカリストオーディション」を機に結成され、2001年に正式にユニット名が「ケミストリー」となる。 

同年3月に1STシングル「PIECE OF A DREAM」でメジャーデビューして、いきなりオリコンで1位を獲得。

同年の11月にリリースした1STアルバム「THE WAY WE ARE」はトリプルミリオンを記録する大ヒットとなり、NHK紅白歌合戦にも初出場。 

以降も「FLOATIN‘」や「アシタヘカエル」などのヒット曲を連発。 

2011年からは各自のソロ活動がメインとなって、20124月にユニットとしての活動を休止。 

2017年にユニットの活動を再開。 

俳優としても活動しており2014年の映画「醒めながら見る夢」で主演もしている。



 

ここまでお読みいただきありがとうございました。ご質問やご意見などがございましたら、お手数をおかけしますがページ上の「お問い合わせ」よりお願いいたします。また出身校や偏差値情報などのリサーチには万全を期しているつもりですが誤りなどがあった場合はご指摘していただけると幸いです。なお返信はあるだけ早くおこなうようにしていますが、数日かかる場合があることをご了承ください。

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