「スピッツ」の草野マサムネさんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は草野さんは進学校の出身者で、名門美術大学にも進学していました。学生時代のエピソードや情報、当時のかっこいい画像なども併せてご紹介いたします
草野マサムネ(くさの まさむね)
1967年12月21日生
身長167.5㎝、体重53㎏
血液型はO型
福岡県福岡市出身のミュージシャン
ロックバンド「スピッツ」のメンバーでボーカル
本名は草野正宗(くさの まさむね)
以下では草野マサムネさんの学歴や経歴、出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介していきます
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草野マサムネの学歴まとめ
出身大学:東京造形大学→武蔵野美術大学
出身高校:福岡県立城南高校
出身中学校:福岡市立原北中学校
出身小学校:福岡市立原北小学校
草野マサムネの学歴~出身小学校(福岡市立原北小学校)の詳細
出身小学校:福岡県 福岡市立原北小学校
草野マサムネさんの出身小学校は、地元福岡市内の公立校の福岡市立原北小学校です。
家族構成は両親と弟と妹の5人家族です(3人きょうだいの長男)。
3・4歳の頃までは団地に住んでいたそうです。
体が弱かったことから学校を休みがちだったそうで、インタビューでは次のように話しています。
「体が弱くて、よく学校休んでましたね。特別な病気だったとかじゃないんですけど、よく熱を出してたんですよ。だから、学校2日行って、今度は熱出して2日休んじゃうような子で。けっこうそれが音楽をたくさん聞くきっかけだったりもするんですけどね」
テレビを見ると熱が出るから「テレビはいけない」と親から言われていたそうで、ラジオで音楽を聴いていたそうです。
特にラジオの音楽番組のカウントダウンを毎週チェックしており、当時から音楽好きだったことが窺えます。
また小学生の低学年の時に父方と母方の祖父が亡くなったことをきっかけに「死」を意識して、切手収集などをした際にも「死んだ時になんの意味があるんだ?」と自問するほどでした。
その反面草野さんは小学生の頃から勉強ができて、当時の夢は「博士」だったと語っています。
草野マサムネの学歴~出身中学校(福岡市立原北中学校)の詳細
出身中学校:福岡県 福岡市立原北中学校 偏差値なし
草野マサムネさんの出身中学校は、地元福岡市内の公立校の福岡市立原北中学校です。
中学生時代は1年生の1学期だけテニス部に在籍していましたが、後に陸上部に転部をしています。
そして部活動への出席率が良いという理由で部長を任されていました。
陸上部では部員が少なかったことから「いろいろやらされた」そうで次のように話しています。
「部員が少なかったからいろいろやらされて、主に駅伝とか。走りながら“あの曲のフルコーラスを頭の中で流そう”とか、そういうことをやっていましたね。」
頭の中で主に洋楽のディープ・パープルの「ハイウェイ・スター」などを鳴らしながら走っていたそうですが、速くはなかったと自身のことを話しています。
前記のように小学生時代は体が弱かったのですが、中学生時代は皆勤賞を取ったそうで次のように話しています。
「中学校に行くと、今度は体も丈夫になって3年間で皆勤賞もらっちゃうくらいになったんです。その頃になると、けっこうおとなしくなりましたね。勉強もよくしたし(笑)」
草野さんがギターをはじめたのは14歳の頃だったそうで、インタビューで次のように話しています。
「俺もギターを弾き始めたのは、14歳くらいかもしれない。母親が若いときに弾いていて、そのまま放ったらかしにしていたボロボロのギターが家にあって、“コードを押さえるのってどうやったらいいんだろう?”って思いながら弾いていたのが14歳くらいかな。」
記事引用:ライブドアニュース
また中学生の頃に音楽室でジョンレノンの「イマジン」のイントロを弾きながら、ジョンレノンごっこをしていたそうで「当時中学生の耳にもすごく綺麗な曲だなぁと感じていました」と話しています。
【主な卒業生】
矢吹奈子(HKT48)
井上芳雄(俳優)
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草野マサムネの学歴~出身高校(福岡県立城南高校)の詳細
出身高校:福岡県 城南高校 普通科 偏差値66(難関・現在)
草野マサムネさんの出身高校は、県立の共学校の城南高校です。
この高校は1963年開校の県立校で、2010年にスーパーサイエンスハイスクールに指定されたことから、このところレベルも上がっているようです。
また現在では理数科(偏差値67)も設置されていますが、草野さんが在籍した当時は普通科のみの設置でした。
高校時代は部活動には在籍しておらず、帰宅部でバンド活動をしていました。
当時は「ラディッシュ」というバンド名でハードロック系の音楽をやっており、草野さんはギターを担当していました。
草野さんは高校時代からギタリストになりたかったそうで、インタビューで次のように話しています。
「最初はギタリストになりたかったんだよね。高校に入ってバンドを組んだときに、けっこうみんな恥ずかしがって歌いたがらなくて。『草野は高い声が出そうだから歌ってみて』って言われて歌ってみたら、そのまま今もずるずると歌っています。」
記事引用:ライブドアニュース
高校2年生の時の文化祭でバンドを披露したことで学校ではギターが上手いことが知れ渡ったそうです。
また自身が影響を受けたことについては次のように話しており、転機になったそうです。
「高校の友達に左翼的っていうか、反体制的なものがロックなんだっていう考え方の奴がいて。そういう視点でロックを聞くようになった時期がありましたね。」
また高校時代に映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」を男女4・5人で観に行く予定だったそうですが、都合が悪くなり女子と2人で観に行ったというエピソードがあったそうです。
結局「2人なったけど行っちゃう?」という軽いノリで行ったそうです。
加えて草野さんは高校1年生の時には原因不明の鬱のような状態になっていますが、親などに悟られないように、明るく振舞っていたとインタビューで話しています。
そしてその際には「何のために生きているんだろう」とか「生きている必要は本当にあるんだろうか」などについて、いろいろ書いていたとも話しています。
【主な卒業生】
KAN(シンガーソングライター)
谷真理佳(SKE48)
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草野マサムネの学歴~出身大学(東京造形大学・武蔵野美術大学)の詳細
出身大学:武蔵野美術大学 造形学部基礎デザイン学科 偏差値47(難関)
※東京造形大学造形学部美術学科絵画専攻(偏差値45・やや難関)を中退
草野マサムネさんの出身大学は、武蔵野美術大学です。
この大学は学科試験こそさほど難しくありませんが、実技試験がレベルの高い名門美術大学です。
草野さんは当初は東京造形大学に入学していますが、「仮面浪人」でその後に武蔵野美術大学に合格したことで中退しています。
東京造形大学に進学した理由について「とにかく東京に出たかったから」だそうです。
東京造形大学もいい大学ですが、美術大学としては武蔵野美術大学のほうが格上です。
(大学時代のイラスト)
なお草野さんは東京造形大学時代に所属した軽音楽サークル「重音」で、後にスピッツのベースを担当する田村明浩さんと意気投合してスピッツの前身となるバンドを結成しています。
しかしTHE BLUE HEARTSの「人にやさしく」に出会ったことで草野さんは自信をなくしてしまい、バンド活動を休止しています。
武蔵野美術大学に入学後は田村さんとはゲーム仲間だったことから2人で部屋にこもってゲームをしていたこともあり、交流が続いていたためバンド再結成しています。
このように草野さんは大学時代に本格的に音楽活動をおこなっていましたが、大学は卒業しています。
23歳だった1991年3月に、スピッツはファーストシングル「ヒバリのこころ」でメジャーデビューを飾っています。
1995年に「ロビンソン」が大ヒットとなり人気バンドの仲間入りを果たしています。
以降も「チェリー」などがヒットしています。
その後もバンドは秀逸な作品を多数リリースしており、そのほとんどを手掛ける草野さんは「天才詩人」の異名をとるほど高く評価されています。
また草野さんはソロアーティストとして、椎名林檎さんや平井堅さん、ウルフルズなどの楽曲に参加しています。
以上が「スピッツ」草野マサムネさんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
在籍する「スピッツ」は数々のヒット曲をリリースして、国内でも有数の人気バンドになっています。
既に年齢は50歳を超えていますが、バンドはもちろん個人としても未だに第一線で活躍しています。
今後のさらなる活躍にも期待が膨らみます。
草野マサムネの経歴まとめ
1987年に三輪テツヤらとスピッツを結成。
1991年3月に1stシングル「ヒバリのこころ」でメジャーデビュー。
1995年の11thシングル「ロビンソン」がロングセラーとなって、162万枚を超える大ヒットになる。
以降も「涙がキラリ」や「空も飛べるはず」、「スカーレット」などの楽曲がヒット。
スピッツのほとんどの楽曲の作詞・作曲を担当している。
他にも平井堅やPUFFYらのアーティストにも曲を提供している。
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