人気プロレスラーの棚橋弘至さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は棚橋さんは勉強が得意で高校にはトップ合格したほか、有名大学にも進学しています。学生時代のエピソードや情報、若い頃のかっこいい画像なども併せてご紹介いたします
棚橋弘至(たなはし ひろし)
1976年11月13日生
身長181㎝ 体重103kg
血液型はO型
岐阜県大垣市出身のプロレスラー
本名同じ
以下では棚橋弘至さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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棚橋弘至の学歴まとめ
出身大学:立命館大学 法学部
出身高校:岐阜県立大垣西高校
出身中学校:大垣市立東中学校
出身小学校:大垣市立小野小学校
棚橋弘至の学歴~出身小学校の詳細
出身小学校:岐阜県 大垣市立小野小学校
棚橋弘至さんの出身小学校は、地元大垣市内の公立校の大垣市立小野小学校です。
家族構成は両親と弟、妹の5人家族でした。
父親が会社員で母親は専業主婦という家庭で育っています。
弟は体が大きかったことから自転車などは弟のおさがりを使っていたそうです。
棚橋さんは子供の頃は外で遊ぶのが好きで、自宅の前の川でよく泳いでいました。
小学校時代に野球をはじめており、中日ドラゴンズのファンでした。
棚橋弘至の学歴~出身中学校の詳細
出身中学校:岐阜県 大垣市立東中学校 偏差値なし
棚橋弘至さんの出身中学校は、地元岐阜県大垣市内の公立校の大垣市立東中学校です。
後に妻となる女性は同校の同級生でした。
ちなみに棚橋さんはこの女性に学生時代3回告白して3度ともフラれていますが、諦めませんでした。
中学時代も野球部に在籍をして、部活動に励んでいました。
【主な卒業生】
安田隆夫(ドン・キホーテ創業者)
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棚橋弘至の学歴~出身高校の詳細
出身高校:岐阜県 大垣西高校 偏差値54(普通)
棚橋弘至さんの出身高校は、県立の共学校の大垣西高校です。
この高校は1980年開校の中堅県立校です。
また同校は部活動が盛んでアーチェリー部やバドミントン部が、県内では強豪として知られています。
棚橋さんはこの高校に一般受験でトップ合格しています。
高校時代は野球部に在籍して、将来はプロ野球選手を目指していました。
野球部では外野手兼控え投手でした。
意外にも投手としてはサイドスローの変則派でした。
高校3年生の夏の地区予選では2回戦で強豪の大垣日本大学高校相手に6回まで7-0でリードしてあと1回抑えればコールド勝ちでしたが、そこから追いつかれて逆転負けを喫しています。
棚橋さんは夏の甲子園の予選が終わりプロ野球選手になることは難しいとわかると、宙ぶらりんの状態になったと言います。
また同時に高校1年生の時に観た小橋建太さんの試合に感銘を受けて、プロレスラーへの憧れも強くなっていきます。
当時のことについてインタビューで次のように話しています。
「高校時代にプロレス熱が高じて、友達3人で休み時間に技の掛け合いをしていました。」
記事引用:毎日新聞
棚橋さんはプロ野球選手になれないことが分かると、次はそれを伝えるスポーツ新聞の記者になろうと思い受験勉強をはじめています。
当時のことについてインタビューで次のように話しています。
「実質勉強していたのは半年くらいです。偏差値は50くらいでした。自分の学力がどれくらいかが把握しきれなかったので、手当たり次第に勉強して、塾に行って、地元の行けそうな大学から偏差値の高い大学まで10校近く受けました。全部受かりましたね。」
記事引用:毎日新聞
棚橋さんは進学先を主に私立の大学に絞っていたため、勉強をする教科も文系の3教科に絞っていました。
当時の勉強方法については次のように話していました。
「僕みたいに部活ばかりやってきた生徒は体力勝負ができるんですよ。1日最低でも12時間勉強して、寝ている時間以外は勉強していました。午前3時、4時まで勉強して朝の7時には起きて学校に行きました。」
記事引用:毎日新聞
【主な卒業生】
山口幸二(競輪選手)
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棚橋弘至の学歴~出身大学の詳細
出身大学:立命館大学 法学部 偏差値58(中の上)
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棚橋弘至さんは高校卒業後は、立命館大学へ進学します。
この大学には一般受験で進学しています。
他にも福井県立大学や名城大学、愛知大学にも合格していましたが、高校時代の彼女が関西の大学に進学したのでこちらの大学に進学しています。
ちなみにその時の彼女は現在の奥さんです。
また法学部に進学したのは新聞記者になりたかったからです。
大学時代はプロレス同好会に在籍しており、学生レスラーとして活動をしていました。
当時のことについてインタビューでは次のように話しています。
「立命館大でも野球かトライアスロンをやろうと思っていましたが、新入生を勧誘する各サークルのブースが並ぶ中で一番目立っていたのがRWFでした。思わずブースに座り、当時の会長に『入ったらプロレスラーになれるんですか』と尋ねてみたら『おう、なれるぞ』と言われ、それを信じてしまって。」
記事引用:毎日新聞
また大学1年生の時には将来はプロレスラーになりたいと考えるようになり、インタビューでは当時のことについて次のように振り返っています。
「大学では法学部だったので、周囲は弁護士や行政書士を目指したり、一般企業に就職したりしていました。大学1年の時、クラスの自己紹介で『プロレスラーになりたい』と言ったら、『なんだこいつ』という目で見られて、最初は誰も話しかけてくれませんでした(笑)。」
記事引用:読売新聞オンライン
棚橋さんはとにかく体を鍛えたそうで大学入学時に68kgだった体重は1年生の終わりには80kgにまでなり、大学卒業時には90kgありました。
ちなみに当時はひたすら食べて増量を図っており、学食では1回に3人前を食べていました。
また当時は柔道や少林寺拳法もおこなっており、柔道では段位を取得しています。
当時のことについてインタビューでは次のように話しています。
「アマレスも始めて4年生でインカレにも出場しました。大学生活ってコンパや、女子が多いサークルに憧れますよね。学内でプロレスをするのは気恥ずかしさもありましたが、肉体の変化がうれしくて、『見て見て』と自己顕示欲に拍車がかかりました。」
記事引用:毎日新聞
そして本格的にプロレス入りを目指しますが、新日本プロレスの入門試験に2回も不合格となり大学3年生の時に3回目にして合格をしました。
なお棚橋さんは当初は大学を中退することも検討しましたが、長州力さんから「卒業だけはしておけ」と言われたことから、大学はキッチリと卒業しています。
そして棚橋さんは大学を卒業した1999年に、プロレスラーとしてデビューを飾っています。
その後は佐々木健介さんとのタッグで人気を博しますが、2002年に交際相手の女性に刺されて瀕死の重傷を負っています。
それでも2003年にU-30無差別級王座を獲得して、自身初のタイトルを奪取しています。
以降は国内でも有数のトップレスラーのひとりとして活躍しています。
また棚橋さんは本業のプロレスのほか、俳優としても活動してテレビドラマや映画に出演しています。
タレントとしても数々のバラエティ番組やクイズ番組に出演しています。
以上が棚橋弘至さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
学生プロレス出身ですが、現在では国内でも有数の人気レスラーになっています。
また有名大学出身で頭脳も明晰なことから、クイズ番組などでも活躍しています。
今後のさらなる活躍にも期待です。
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経歴・プロフィールの詳細
1998年に新日本プロレスの入門テストに合格。
1999年10月の真壁伸也戦でデビュー。
2002年に交際相手の女性に刺されて、瀕死の重傷を負う。
2003年にU-30無差別級王座を獲得し、自身初のタイトルを取得。
2006年にジャイアント・バーナードを破って、IWGP王座を獲得。
2007年の連続ドラマ「モップガール」で俳優デビューし、他にも「アタシんちの男子」や「牙狼」、「石川五右衛門」などに出演。
2009年に武藤敬司を破って、3度目のIWGP戴冠。
2010年の「新☆四角いジャングル」で映画初出演。
その他にも「クイズヘキサゴンⅡ」や「ケンミンショー」、「快傑えみチャンネル」などのバラエティー番組に出演経験がある。
私生活では2007年に結婚して、ふたりの男児がいる。
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