人気アーティストの槇原敬之さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。槇原さんは実は3年間の浪人生活を経て大学に進学しています。学生時代のエピソードや情報、若い頃の画像なども併せてご紹介いたします
槇原敬之(まきはら のりゆき)
1969年5月18日生
身長176㎝
血液型はO型
大阪府高槻市出身のシンガーソングライター
本名は槇原範之
以下では槇原敬之さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介していきます
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槇原敬之の学歴まとめ
出身大学:青山学院大学 第二文学部
出身高校:大阪府 春日丘高校
出身中学校:大阪府 高槻市立柳川中学校
出身小学校:大阪府 高槻市立牧田小学校
槇原敬之の学歴~出身小学校(高槻市立牧田小学校)の詳細
出身小学校:大阪府 高槻市立牧田小学校
※現在は高槻市立玉川小学校
槇原敬之さんの出身小学校は、地元高槻市内の公立校の牧田小学校です。
実家は電器店を経営しています。
槇原さんは5歳の時にクラシックピアノをはじめていますが、当初はあまり熱心に練習していませんでした。
小学校は高槻市立玉川小学校に入学し、この小学校には小学校4年生の頃まで在籍しています。
小学校5年生の時に高槻市立牧田小学校に転校して卒業しています。
槇原さんは小学校時代はピアノのほか、バスケットボールをやっていました。
小学校時代にウォークマンに出会ったことで、「人生が変わった」とインタビューで述べています。
当時から坂本龍一さんや高橋幸宏さん、細野晴臣さんが在籍していたYMOのファンでした。
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槇原敬之の学歴~出身中学校(高槻市立柳川中学校)の詳細
出身中学校:大阪府 高槻市立柳川中学校 偏差値なし
槇原敬之さんの出身中学校は、地元高槻市内の公立校の柳川中学校です。
槇原さんは中学校では友達ともにポップス研究会を創設しています。
また中学2年生の曲作りをはじめており、シンガーソングライターとしてのルーツは中学時代に遡ります。
加えて当時の槇原さんは多重録音ができるマルチトラック・レコーダーを持っていた友達がいたことから、オリジナルの楽曲を録音してカセットテープに100~150本ほどダビングしています。
そのテープを知り合いの洋品店や楽器店に置いてもらうと即完売となったエピソードもあるほどです。
当時から音楽的な才能は光っていたようですね。
加えてYMOに影響を受けたことから、中学時代にシンセサイザーをはじめています。
ただし槇原さんは中学校時代に鉛筆を全部折られたり、後ろからボールをぶつけられるなどのイジメにも遭っています。
しかしその際にも「イジメる子は、本人たちは寂しい子たちや」と考えて、不登校などにはならなかったそうです。
【主な卒業生】
京本政樹(俳優)
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槇原敬之の学歴~出身高校(府立春日丘高校)の詳細
出身高校:大阪府 春日丘高校 偏差値69(難関)
槇原敬之さんの出身高校は、府立の共学校の春日丘高校です。
この高校は1911年開校の伝統校で、古くから進学校として知られています。
ちなみにこの高校の2019年度の主な進学実績は次のようになっています(浪人生含む)。
神戸大学:13名
大阪大学:8名
大阪市立大学:7名
立命館大学:40名
関西大学:26名
同志社大学:25名
関西学院大学:14名
槇原さんはこの高校に一般受験で入学しており、高い学力を有していました。
中学時代から楽曲を製作していましたが、高校1年生の時に坂本龍一さんがパーソナリティを務めていたNHKのFM放送「サウンドストリート」にデモテープを送ったところ、坂本さんに絶賛されて異例のフルコースでの放送となっています。
また他にも高校時代はバンドを組んだりしており、音楽に明け暮れています。
高校2年生だった1986年にはCBSソニーのオーディションを受けていますが、残念ながら不合格となっています。
ちなみにこのオーディションに合格したのは、後に人気アーティストとなる「ユニコーン」と「エレファントカシマシ」でしたので当時の槇原さんは運もなかったようですね。
高校時代の槇原さんは勉強はあまり熱心におこなっておらず、学校の成績は悪かったそうです。
ちなみにミュージシャンを目指す前は、英語教師になろうと思っていました。
【主な卒業生】
嘉門達夫(シンガーソングライター)
森田哲矢(お笑い・さらば青春の光)
筒井康隆(作家)
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槇原敬之の学歴~出身大学(青山学院大学)の詳細
出身大学:青山学院大学 第二部文学部(中退) 偏差値48(やや容易)
槇原敬之さんは高校卒業後は、青山学院大学に進学しています。
在籍したのは第二部(夜間部)の文学部で、学科は英米文学科です。
なお青山学院大学の夜間部は2008年から順次募集停止となり、2011年に完全に廃止されています。
また槇原さんは現役での合格ではなく、3年間の浪人生活を経ての進学です。
槇原さんは浪人時代の20歳の時に「AXIA MUSIC オーディション‘89」でグランプリを獲得。
1989年10月にシングル「NG」とアルバム「君が笑うとき君の胸が痛まないように」でメジャーデビューをしています。
メジャーデビューしたことで槇原さんは大学に進学しないつもりでいましたが、母親との約束で青山学院大学に進学しました。
ただし大学進学を巡っては母親とかなりの確執もあったそうで、浪人時代に家出をしたこともあったほどです。
そして大学1年生だった1991年6月に3rdシングル「どんなときも」が190万枚のミリオンヒットとなってブレイクし、この年のNHK紅白歌合戦にも初出場しています。
ちなみにこの年の紅白歌合戦で今年一番の思い出を聞かれていますが、槇原さんは楽曲の大ヒットではなく「大学合格」と述べています。
ただしいきなり人気アーティストの仲間入りを果たしたことから大学へはほとんど通学できなかったそうです。
その後にさらに音楽活動が多忙になったことで、大学は最終的には中退してしまっています。
以降も「冬がはじまるよ」や「もう恋なんてしまい」などの数々のヒット曲をリリース。
その人気を不動のものにしています。
以上が槇原敬之さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
21歳の時に「どんなときも」でブレイクして以降も数々のヒット曲を発表して、現在も第一線で活躍しています。
またかなり多くのアーティストにも多大な影響を与えており、SMAPの大ヒット曲「世界に一つだけの花」の作詞・作曲などでも知られています。
現在でも高い人気を誇る人物だけに、今後のさらなる活躍にも期待が高まります。
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