俳優の佐野史郎さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は佐野さんは希望の高校に入学できなかったことから、その後に中学浪人をして高校に入学し直していました。学生時代のエピソードや情報、若い頃の画像なども併せてご紹介いたします
佐野史郎(さの しろう)
1955年3月4日生
身長176㎝
血液型はB型
島根県松江市出身の俳優、映画監督
本名同じ
以下では佐野史郎さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
スポンサードリンク
佐野史郎の学歴まとめ
出身大学:進学せず
出身高校:大東高校→松江南高校
出身中学校:松江大学教育学部附属中学校
出身小学校:練馬区立開進第三小学校→松江市立乃木小学校
佐野史郎の学歴~出身小学校(練馬区立開進第三小学校・松江市立乃木小学校)の詳細
出身小学校:東京都 練馬区立開進第三小学校
※後に松江市立乃木小学校に転校
佐野史郎さんが入学したのは、東京都練馬区内の公立校の開進第三小学校です。
家族構成は両親と弟、妹の5人家族です(3人きょうだいの長男)。
実家は150年も続く医師の家系で、実家である佐野内科循環器科医院は弟が跡を継いでいます。
佐野さんは山梨県で生まれていますが、直後に東京都練馬区に転居しています。
そして小学校1年生の時に島根県松江市に転居して、松江市立乃木小学校に編入しています。
幼少期からお坊ちゃま育ちで、3歳の頃からバイオリンを習っていました。
また小学校時代に江戸川乱歩を読んだことがきっかけで、怪奇小説が好きになっています。
加えて小学校時代にザ・スパイダーズの影響で、グループサウンズにハマっています。
スポンサードリンク
佐野史郎の学歴~出身中学校(島根大学教育学部附属中学校)の詳細
出身中学校:島根県 島根大学教育学部附属中学校 偏差値55(中の上)
佐野史郎さんの出身中学校は、国立の共学校の島根大学教育学部附属中学校です。
この中学校は1947年開校の国立中学校で、島根県内ではトップレベルの進学校として知られています。
佐野さんはこの中学校に中学受験で入学しており、高い学力を有していました。
実家が医者の家系で父親も医師だったことから、佐野さんも当初は医者を目指しています。
ただし中学時代にロックを聴きはじめると勉強をしなくなってしまい、医者になることは中学時代に諦めています。
それでも父親は佐野さんを医者にしようと思いましたが、後記のように高校時代に諦めています。
【主な卒業生】
園山俊二(漫画家)
スポンサードリンク
佐野史郎の学歴~出身高校(大東高校・松江南高校)・大学の詳細
出身高校:島根県 大東高校(中退) 偏差値46(やや容易)
※後に松江南高校(偏差値53)に入学し直して卒業
佐野史郎さんが入学したのは、県立の共学校の大東(だいとう)高校です。
この高校は1946年開校の県立高校で、部活動が盛んなことで知られています。
佐野さんは島根県内でも難関中学校に通学していましたが中学時代にまったく勉強をしなくなり、この高校に進学しています。
ただし入学直後にこの高校は中退しています。
やはり進学校に通学していただけに、この高校の雰囲気に馴染めなかったのでしょう。
その後は中学浪人の形で1年間勉強に励んで、県立の共学校の松江南高校(偏差値53~61)に再入学しています。
この高校は1961年開校の県立高校で、地元では進学校として知られています。
また同校は以下の2つのコースを設置していますが、佐野さんは普通科に在籍していました。
理数科:偏差値61
普通科:偏差値53
佐野さんはこの高校では、ロックバンド「BOWWOW」のギタリストだった山本恭司さんと同級生でした。
ちなみに山本さんにギターのコードを教えたのは佐野さんでした。
また高校では美術部と軽音楽部に在籍していました。
軽音楽部ではアコースティックバンドやロックバンドを結成して、文化祭などのステージに立っています。
その他にもバングラデシュ救援コンサートなどにも出演していました。
加えて高校時代はバラエティ番組「スーパージョッキー」の奇人変人コーナーに出演するために、鼻からうどんを食べる芸をマスターしていました。
しかし残念ながら出演はできなかったようです。
また佐野さんは当時は演劇や映画にも興味があり、高校時代はかなりの数の映画を見ています。
このように佐野さんは高校時代は音楽や映画にハマっており、高校の成績はあまりよくなかったそうです。
加えて佐野さんの父親は医師で医者を目指すように言われていましたが、高校2年生の時のクラス分けで文系のクラスに配属されたので医者にすることを諦めたとインタビューで話しています。
「ぼくの通っていた松江南高校では2年生のときに理系文系、国立私立のクラス分けが行なわれていたんです。成績順に順番が付けられるという能力別編成。2年生のときに文系のクラスに入ったので、それで親もぼくを医者にすることは諦めざるを得ませんでした。理系科目が苦手だったので早くから、私立文系クラスに進むだろうというのは分かっていましたが(笑)」
記事引用:鳥取大学医学部付属病院
ちなみにその際には親族会議も開かれました。
「親父の兄弟、5人が集まって親族会議がありましたよ。もう(自分に対する)査問委員会。でも勉強ができないのだから、どうしようもない(苦笑)。幸い弟はぼくと全く違って、良く勉強ができた。兄貴がこんな感じだから、(医者になることを)押しつけてしまったようで申し訳ないとは思ってます。だから、未だに頭が上がらないです(笑)」
記事引用:鳥取大学医学部付属病院
【松江南高校の主な卒業生】
福島弓子(アナウンサー)
大学受験に失敗していた
そして佐野さんは高校卒業後は、大学には進学していません。
当初は名門美術大学の武蔵野美術大学への進学を目指していましたが、受験に失敗しています。
そのため美術学校の中村宏油彩画工房に進学しています。
この学校は画家の中村宏さんが主宰していた美術学校でした。
また佐野さんは高校時代から俳優に興味があったことから、20歳だった1975年に劇団「シェイクスピア・シアター」に入団して本格的に俳優を目指します。
さらに25歳だった1980年には、オーディションに合格して唐十郎さんが主宰した「状況劇場」に入団しています。
ところが1984年に唐さんから「役者失格」を通告されて状況劇場を退団すると、ミュージシャンに転身してロックバンド「タイムスリップ」を結成しています。
ただしこのバンドはセールス的に苦戦して、ヒット曲にも恵まれませんでした。
ちなみに「タイムトリップ」のボーカルを務めていた石川真希さんとは、後に結婚しています。
佐野さんは31歳だった1986年に俳優に復帰しています。
そして37歳だった1992年に、連続ドラマ「ずっとあなたが好きだった」でブレイクしています。
このドラマでは賀来千香子さんの夫のマザコン男を怪演して、「冬彦さん現象」という一大ブームを巻き起こしています。
また佐野さんはこのドラマで演技力が認められて、以降は数々の人気作に起用されています。
以上が佐野史郎さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
役者としては長い下積み生活を経験していますが、「冬彦さん」で大ブレイクを果たしました。
現在でも個性派俳優の代表格として根強い人気もありますし、時折の「怪演」なども話題になるところです。
貴重なバイプレーヤーとしての演技も光るところなので、末永い活躍を期待します。
佐野史郎の学歴・経歴・プロフィールのまとめ
1955年(0歳):山梨県山梨市で生まれる
1955年(0歳):東京都練馬区に転居
1961年(6歳):練馬区立開進小学校に入学
1961年(6歳):島根県松江市に転居
1961年(6歳):松江市立乃木小学校に転校
1967年(12歳):松江市立乃木小学校を卒業
1967年(12歳):国立・島根大学教育学部附属中学校に入学
1970年(15歳):国立・島根大学教育学部附属中学校を卒業
1970年(15歳):島根県立大東高校に入学(直後に中退)
1971年(16歳):島根県立松江南高校に入学
1974年(19歳):島根県立松江南高校を卒業
1974年(19歳):美学校・中村宏油彩画工房に入学
1975年(20歳)劇団「シェイクスピアシアター」に入団
1980年(25歳):劇団「状況劇場」に入団
1984年(29歳):状況劇場を退団してロックバンド「タイムスリップ」を結成
1986年(31歳):女優・石川真希と結婚
1992年(37歳):テレビドラマ「すっとあなたが好きだった」でブレイク
2018年(63歳):NHK大河ドラマ「西郷どん」に出演
スポンサードリンク
ここまでお読みいただきありがとうございました。ご質問やご意見などがございましたら、お手数をおかけしますがページ上の「お問い合わせ」よりお願いいたします。