俳優の西田敏行さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。演技派俳優として知られる西田さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、若い頃のかっこいい画像なども併せてご紹介いたします
西田敏行(にしだ としゆき)
1947年11月4日生
身長166㎝
血液型はB型
福島県郡山市出身の俳優、タレント
本名同じ
以下では西田敏行さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
西田敏行の学歴まとめ
スポンサードリンク
出身大学:明治大学 農学部(中退)
出身高校:明治大学付属中野高校
出身中学校:郡山市立小原田中学校
出身小学校:郡山市立小原田小学校
西田敏行の学歴~出身小学校(郡山市立小原田小学校)の詳細
出身小学校:福島県 郡山市立小原田小学校
西田敏行さんの出身小学校は、地元郡山市内の公立校の小原田小学校です。
西田さんは幼少期に父親を亡くしており、5歳の時に美容師だった母親が再婚したため、そのタイミングで母親の姉の家に養子に出されています。
養父は地方公務員でしたが、生活は厳しかったそうです。
ただし養父が映画好きだったことから、子供の頃から一緒に郡山市内の映画館にたびたび足を運んでいます。
そのため時には1日中映画館で過ごすこともあり、いつしかスクリーンに映る人になってみたいと思うようになりました。
西田敏行の学歴~出身中学校(郡山市立小原田中学校)の詳細
出身中学校:福島県 郡山市立小原田中学校 偏差値なし
西田敏行さんの出身中学校は、地元福島県郡山市内の公立校の小原田中学校です。
中学時代もバレーボール部に在籍して、部活動に打ち込んでいました。
バレーボール部でのポジションはセッターでした。
西田さんは子供の頃から映画が好きで、中学時代には当時日活のスターだった赤木圭一郎さんに憧れて俳優志望になっています。
ところが当時の郡山市では「映画俳優になりたい」と言っても、周囲は「はぁ?」というリアクションだったことをインタビューで明らかにしています。
また当時の西田さんは福島訛りで標準語が話せなかったことから、標準語を話すためにとにかく上京したかったそうです。
【主な卒業生】
箭内夢菜(女優)
スポンサードリンク
西田敏行の学歴~出身高校(明治大学付属中野高校)の詳細
出身高校:東京都 明治大学付属中野高校 偏差値69(現在・難関)
西田敏行さんの出身高校は、私立の男子校の明治大学付属中野高校です。
この高校は1929年開校の明治大学の系列の私立高校で、卒業生は原則として明治大学に進学できるので現在では偏差値は跳ね上がっています。
ただし西田さんが在籍した当時は、現在ほどのレベルではありませんでした。
なおこの高校は多くの芸能人が在籍した定時制課程を設置していましたが(2003年3月に閉課)、西田さんは定時制課程ではなく全日制課程に在籍していました。
西田さんは福岡県郡山市出身ですがとにかく東京に出たかったので、中学卒業と同時に上京してこの高校に入学しています。
当時は親戚の家に下宿して通学していました。
高校時代はバレーボール部に在籍して、部活動に打ち込んでいました。
また男子部員がいなかった他校の演劇部の女子から頼まれて、その高校の演劇部にも在籍していました。
その一方で西田さんは高校時代はたびたびホームシックになっており、その度に上野動物園にいたゴリラのプルプルを見に行っていたことをインタビューで明らかにしています。
その頃、蒲田から新宿を経由して中野まで電車通学していたんだけれど、ある日学校をサボって上野まで行ったの。中学3年のときに修学旅行で上野動物園に行ったことを思い出してね。そこで、ぽつんとひとりで空を見つめていた「ブルブル」に出会ったんだ。ブルブルはアフリカから来たゴリラで、その見つめる空の先はアフリカの空があるんだろうなぁと思ったら、ホームシックになっていた自分と重なって、ものすごくフレンドリーな気持ちになって。それからよくブルブルに会いに行ったよ
【主な卒業生・全日制課程】
宇崎竜童(ミュージシャン)
坂口憲二(俳優)
川合俊一(タレント、元バレーボール日本代表)
手越祐也(元NEWS・転校)
津川雅彦(俳優)
松方弘樹(俳優)
スポンサードリンク
西田敏行の学歴~出身大学(明治大学)の詳細
出身大学:明治大学 農学部(中退) 偏差値60(現在・やや難関)
西田敏行さんは高校卒業後は、明治大学に進学しています。
この大学の系列の高校に在籍していたので、内部進学で進んでいます。
在籍したのは農学部です。
西田さんは中学時代から俳優志望で、大学入学と同時に養成所の日本演技アカデミーの夜間部に入学して本格的に俳優を目指します。
そのため入学した年に大学は中退しており、ほとんど通学していませんでした。
21歳だった1968年に青年座養成所に入団して、1970年に青年座の座員に昇格しています。
ただし当初は俳優として不遇の時代を送っています。
それでも30歳頃から出演したテレビドラマ「特捜最前線」や「西遊記」で注目を集めています。
そして33歳だった1980年に主演した連続ドラマ「池中玄太80キロ」でブレイクしています。
以降は数多くの映画や連続ドラマに起用される人気俳優になっています。
そして日本を代表する演技派俳優のひとりにまで上り詰めました。
※追記
2024年10月に西田さんは亡くなりました(謹んでお悔やみ申し上げます)
以上が西田敏行さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
30歳過ぎで売れっ子になった遅咲きでしたが、その後は数々の話題作の映画や連続ドラマに起用されています。
またタレントとしても活動しており、バラエティ番組「探偵ナイトスクープ」などにも出演していました。
現在は70代に突入していますが、未だに俳優として精力的に活動しています。
幅広い層から絶大な支持を得ていますので、末永い活躍を期待したいところです。
スポンサードリンク
経歴/プロフィールの詳細
1967年にドラマ「泣いてたまるか」で俳優デビュー。
1976年に「木綿の愛情」で歌手デビュー。
1977年の「特捜最前線」や翌年に出演した「西遊記」などのテレビドラマで知名度が上がる。
1980年の主演ドラマ「池中玄太80キロ」が大ヒットして人気俳優の仲間入り。
ドラマの挿入歌の「もしもピアノが弾けたなら」もヒットする。
1988年から当たり役となった映画「釣りバカ日誌シリーズ」に出演。
以降は数多くのテレビドラマや映画に出演し、ドラマの代表作は「おんな太閤記」や「白い巨塔」、「ドクターX」など。
タレントとしても「探偵ナイトスクープ」などの番組に出演。
私生活では1974年に青年座の研究生だった女性と結婚し、二女がいる。
ここまでお読みいただきありがとうございました。ご質問やご意見などがございましたら、お手数をおかけしますがページ上の「お問い合わせ」よりお願いいたします。また出身校や偏差値情報などのリサーチには万全を期しているつもりですが誤りなどがあった場合はご指摘していただけると幸いです。なお返信はあるだけ早くおこなうようにしていますが、数日かかる場合があることをご了承ください。