俳優の石橋凌さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。当初はロックバンド「ARB」のボーカルとして活動していた石橋さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、若い頃のかっこいい画像なども併せてご紹介いたします
石橋凌(いしばし りょう)
1956年7月20日生
身長170㎝
血液型はAB型
福岡県久留米市出身の俳優、ミュージシャン
本名は石橋秀樹(いしばし ひでき)
以下では石橋凌さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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石橋凌の学歴まとめ
出身大学:進学せず
出身高校:福岡県立久留米高校
出身中学校:久留米市立城南中学校
出身小学校:久留米市立京町小学校
石橋凌の学歴~出身小学校(久留米市立京町小学校)の詳細
出身小学校:福岡県 久留米市立京町小学校
石橋凌さんの出身小学校は、地元久留米市内の公立校・久留米市立京町小学校です。
家族構成は両親と4人の兄の7人家族です(5人兄弟の末っ子)。
父親はパチンコ屋を経営していましたが、石橋さんが10歳を過ぎた頃にパチンコ屋を辞めて会社員になりました。
サラリーマンはかなり大変そうだったとのことで、父親の姿を見て「俺はネクタイをしめて朝早く電車に乗ってゆられてっていう人生は絶対やめよう」と決めたことを明かしています。
また母親は看護資格を所持していたため、百貨店の医務室で働きながら5人兄弟を育てていました。
子供の頃は悪ガキだったとのことです。
男ばかりの5人兄弟だったことから、夕食時には誰かが喧嘩をしてテーブルの周りを走り回っており、その間におかずを食べるというサバイバル状態でした。
石橋さんは兄たちの影響で幼少期からジョン・レノンやビートルズ、ローリング・ストーンズなどの海外のアーティストの音楽を聴いていました。
また小学校時代からは兄のギターを使って演奏をしていました。
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石橋凌の学歴~出身中学校(久留米市立城南中学校)の詳細
出身中学校:福岡県 久留米市立城南中学校 偏差値なし
石橋凌さんの出身中学校は、地元久留米市内の公立校・久留米市立城南中学校です。
中学時代は映画同好会に在籍をしていました。
石橋さんが中学1年生のときに父親は肝臓がんで亡くなっています。
父親が亡くなって以降は特に経済的には厳しかったようです。
当時のことについてはインタビューで次のように振り返っています。
「経済的には厳しかったはずなのに、なぜか家の中にはレコード盤とギターがありました。黒人音楽やビートルズ……みんな兄たちから教えてもらった。映画と音楽が学校でしたね」
石橋さんが子供の頃にはまだ各家庭にテレビがなかったため、歩いて10分くらい場所にあった映画館に家族揃って行くことが楽しみでした。
この影響もあり将来は将来映画評論家になりたいと本気で思っており、淀川長治さんの口調を真似していたそうです。
ある時にホームルームで将来の夢を語るように言われており、映画評論家だと話したところ現実味がないとのことで先生にかなり怒られています。
当時の石橋さんは真剣に好きな映画を観て、一生を過ごしたいと考えていました。
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石橋凌の学歴~出身高校(福岡県立久留米高校)・大学の詳細
出身高校:福岡県 久留米高校 普通科 偏差値60(やや難関)
石橋凌さんの出身高校は、県立の共学校の久留米高校です。
この高校は1908年開校の県立校で、地元では古くからの進学校として知られています。
高校時代は軽音楽同好会に在籍をしており、ロックバンドを結成して活動をしていました。
しかし久留米にはライブハウスがなかったことから、博多のライブハウス「昭和」を目指していたとのことです。
石橋さんは地元の工業地帯よりも博多のカラフルな色彩に心を奪われたそうです。
バンドではコンテストに出場をしたり、高校2年生の時には「昭和」に出はじめており、この頃には将来はプロになると決めていたことを明かしています。
またこの頃からイタリアンレストランでアルバイトをおこなっていました。
18歳の時には「淋しい街から」という楽曲を書いており、当時のことについてインタビューでは次のように話しています。
「この曲を書いた18歳の頃は、たぶんギスギスしていたんだと思う。自分の中では絶対にプロになると決めていて、でもなかなかそれがうまくいかず不安もありました。そういう中でできた歌です。」
また石橋さんが当時活動していたバンドは同級生と先輩と組んでいたため、高校3年生になった時には進学や就職など道がバラバラだったこともあり自然消滅しています。
石橋さんには一人でも曲作りをしながら、またメンバーを集めていつか上京をしたいという夢がありました。
加えて高校時代は音楽活動にかなり熱中したことから、高校はギリギリの成績で卒業しています。
【主な卒業生】
有坂来瞳(タレント)
宮脇咲良(HKT48)
大学には進学していない
なお石橋さんは高校卒業後は引き続きアルバイトを続けながら夢を追っていたため、大学には進学していません。
21歳だった1977年に、ボーカルとしてロックバンド「ARB」に加入しています。
ちなみに石橋さんが「ARB」に加入したのは、同郷のミュージシャン・甲斐よしひろさんの紹介でした。
バンドは翌年にファーストシングル「野良犬」でメジャーデビューしています。
バンドは80年代に絶大な支持を集めていました。
石橋さんは音楽活動の傍らで俳優としても活動しており、30歳だった1986年に出演した映画「ア・フォーマンス」でキネマ旬報新人俳優賞を受賞しています。
これがきっかけで俳優活動が中心となって、「ARB」は1990年に脱退しています。
以降は数々の話題作の映画やテレビドラマに起用される人気俳優になっています。
私生活では1987年に人気女優の原田美枝子さんと結婚して、大きな話題になっています。
今後の活動にも注目ですね。
以上が石橋凌さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
当初は「ARB」のボーカルとして活動していましたが、故・松田優作さんに誘われ俳優デビューを飾ると、以降は音楽活動を封印して本格的に俳優に転向しています。
現在までに数多くのテレビドラマや映画に出演しており、人気俳優の地位も築きました。
既に年齢は60歳を超えていますが精力的な活動しており、今後の活躍にも期待が高まります。
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経歴・プロフィールの詳細
5人兄弟の末っ子。
1977年にロックバンドARBにボーカリストとして加入。
バンドは翌年に1stシングル「野良犬」でメジャーデビュー。
1986年に出演した映画「ア・ホーマンス」の演技の評価が高く、「キネマ旬報新人男優賞」を受賞。
1988年の「武田信玄」でテレビドラマ初出演。
1989年の「Aサインデイズ」で映画初主演。
1990年に本格的に俳優に転身するためにARBを脱退(解散)
以降は数多くの作品に出演して、テレビドラマの代表作は「あしたがあるから」や「お金がない」、「蘇る金狼」など。
「キッズ・リターン」や「BROTHER」、「呪怨」などの映画にも出演している。
妻は女優の原田美枝子で、次女も女優の石橋静河。
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