政治家の馳浩さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。国会議員を経て石川県知事に就任した馳さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、若い頃のかっこいい画像なども併せてご紹介いたします
馳浩(はせ ひろし)
1961年5月5日生
身長183㎝
血液型はA型
富山県砺中町(現在は小矢部市)出身の政治家、元プロレスラー
本名同じ
以下では馳浩さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
馳浩の学歴~出身大学(専修大学)の詳細
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出身大学:専修大学 文学部国文学科 偏差値50(普通)
※現在は日本文学文化学科
馳浩さんは高校卒業後は、私立大の専修大学に進学しています。
この大学には一般受験ではなくレスリングのスポーツ推薦で入学をしており、特待生として入学金や授業料が免除されています。
大学在学中はレスリング部に在籍をして、体育寮で厳しい生活を送っていました。
馳さんは実力を伸ばしていき、大学2年生だった1981年にジュニアチャンピオンとなっており、大学4年生の時には学生チャンピオンとなりました。
また全日本選手権でも2位の成績を残しています。
レスリングの練習に取り組む傍ら、大学時代には様々なアルバイトを経験していました。
家庭教師や地下鉄の資材運び、倉庫の組み立てや映画のエキストラも経験しています。
レスリング部での合宿代や遠征費などは全てアルバイトで賄っていました。
馳さんはアルバイトを経験したことで様、々な職種で働く人の気持ちが分かったことが財産になったといいます。
加えて大学時代には「古今和歌集」や「源氏物語」を毎日読んでおり、日本文学風土学会となって全国の文学や史跡を巡っていました。
また馳さんは国語の高校教員免許を取得しています。
高校卒業後は高校教師をしながら競技を続けています。
23歳だった1984年にロサンゼルスオリンピックに出場しましたが、予選敗退に終わりました。
翌年にジャパンプロレスに入門して、1987年に新日本プロレスに移籍しています。
新日本プロレスでは人気レスラーに成長しています。
34歳だった1995年の参議院議員選挙に出馬して初当選しています。
その後衆議院議員を経て、2022年3月に石川県知事選挙に出馬して当選しています。
県知事としての政治手腕にも注目です。
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馳浩の学歴~出身高校(星稜高校)の詳細
出身高校:石川県 星稜高校 偏差値55~67(現在)
馳浩さんの出身高校は、私立の共学校の星稜高校です。
この高校は1962年開校の私立高校で、部活動が非常に盛んなことで知られています。
特にサッカー部や硬式野球部、陸上部などが全国大会の常連です。
また現在の同校は特進コースなどを設置して偏差値も上昇していますが(偏差値は55~67)、馳さんが在籍した当時は現在ほどレベルが高くありませんでした。
馳さんは野球部の顧問でもあり、社会科の教諭でもあった先生から野球部にスカウトをされましたが、レスリング部に在籍をしました。
この先生の授業で政治経済を教えてもらっていたときに、馳さんは「将来総理大臣になる男だ」と言われており、当初は「そんな馬鹿な」と思いましたがこの出来事が政治家を意識するようになったきっかけになりました。
高校3年間は部活動に熱中をする傍ら、模試で校内1位の成績になったこともありました。
高校3年生の10月には宮崎国体で優勝を勝ち取っており、アメリカ遠征にも参加をしています。
なおこのような高校時代の実績が認められて、大学には特待生として入学しています。
【主な卒業生】
松井秀喜(元プロ野球選手)
本田圭佑(サッカー元日本代表)
新田さちか(ファッションモデル)
新谷良子(声優)
碧海さりお(宝塚歌劇団)
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馳浩の学歴~出身中学校(金沢市立鳴和中学校)の詳細
出身中学校:石川県 金沢市立鳴和中学校 偏差値なし
馳浩さんの出身中学校は、金沢市内の公立校の金沢市立鳴和中学校です。
中学入学後は途絶えていた相撲部を復活させています。
また中学2年生の時には、国語が得意だったことから国語の先生に憧れて、将来は教員になろうと思いました。
ちょうどそんな頃に受験を苦にした中学3年生の先輩が学校を放火しています。
馳さんは落ち込んだ学校のムードを再建しようと生徒会長に立候補しました。
そして焼け残りのすすだらけの校舎を毎朝掃除して、学校行事にも人一倍積極的に取り組んでいました。
【主な卒業生】
出島武春(大相撲・元大関)
山本紗也加(元E-girls)
馳浩の学歴~出身小学校(金沢市立千坂小学校)の詳細
出身小学校:石川県 金沢市立千坂小学校
馳浩さんの出身小学校は、金沢市内の公立校の金沢市立千坂(ちさか)小学校です。
家族構成は両親と兄2人の5人家族です(3兄弟の末っ子)。
実家は農家を営んでおり、父親は農業の傍ら内職で金沢金箔の箔打ちや村の瓦工場で働いていました。
馳さんは子供の頃は田舎で野山を駆け回り、川を泳いだりと活発な少年でした。
小学校入学時には養子の話が出ており、小学3年生になるときにリンゴ農家の親戚に養子入りをしています。
馳さんは幼いながらに自身の将来を考えており、当時の心境について次のように話しています。
「このまま家におってもパッせんなあ…。あんちゃん二人おるし、家はもちろん、田んぼも分けてもらえんやろ。学校もどこまで行かせてもらえるか…」
養子に行けば小さいけれど家もあってリンゴ畑ももらえることから、大きなチャンスだと思いました。
馳さんは跡取りとは言え、貴重な労働力だったことから学校が終わるとリンゴ畑を手伝っていました。
なお当時から運動神経が非常によく、スポーツは全般的に得意でした。
以上が馳浩さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
プロレスラー時代は同年代の蝶野正洋さんや橋本真也さん、武藤敬司さんらと切磋琢磨してきました。
政治家に転身後は国会議員を経て、石川県知事に就任しています。
今後のさらなる活躍にも期待が高まります。
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