元プロレスラーでタレントの長州力さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は長州さんは大学時代にレスリングでオリンピックに出場していました。学生時代のエピソードや情報、若い頃のかっこいい画像なども併せてご紹介いたします
長州力(ちょうしゅうりき)
1951年12月3日生
身長184㎝
血液型はO型
山口県徳山市出身のタレント、元プロレスラー
本名は吉田光雄(よしだ みつお)、愛称は「革命戦士」
以下では長州力さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
長州力の学歴~出身小学校(徳山市立徳山小学校)の詳細
出身小学校:山口県 徳山市立徳山小学校
※現在は周南市立徳山小学校
長州力さんの出身小学校は、地元徳山市内の公立校・徳山市立徳山小学校です。
家族構成は両親と兄2人、姉の6人家族です。
長州さんは家族の思い出について聞かれた際には次のように話していました。
「家族の思い出っていうと、兄弟に負けないように自分で茶碗にすくってご飯食べてたことですね。4人兄弟のいちばん末っ子だったんですよ。兄が2人いて、体格は自分がいちばん小さかったですし。」
また貧乏だったことから、小学校時代は給食費を払うことができないこともありました。
川で泳いで魚を獲ったり、近所の柿の実を盗んで食べたこともあり、すずめはよく食べていたそうでインタビューで次のように話していました。
「スズメはそこらじゅうにたくさんいましたからね(笑)。血抜きして、塩ぶっかけて食ってましたね。いや、塩なんてかけずに食ってたかな?」
また当時のことについてインタビューでは次のように語っています。
「家のまわりの畑とか、あと家の庭なんかに柿とか、いろんなもんが植えてあってね。学校の帰りによくもぎ取って食べたりしてましたよ。とうもろこしなんかよく食べてました。焼かないで食べてましたよ、生のまま。生でも食べるとでんぷんの甘さが染みてきてね。」
長州力の学歴~出身中学校(徳山市立岐陽中学校)の詳細
出身中学校:山口県 徳山市立岐陽中学校 偏差値なし
※現在は周南市立岐陽中学校
長州力さんの出身中学校は、地元山口県徳山市(現在は周南市)内の公立校・徳山市立岐南中学校です。
中学時代は柔道部に在籍をしていました。
長州さんは中学3年生の時に全国で初めて子供にレスリングを指導したことで知られる、日本最古のレスリング道場「斎藤道場」でレスリングを始めています。
当時のことについてインタビューでは次のように話しています。
「レスリングを始めたのは中学3年の終わりくらい。それまでは柔道をやっていたんですよ。まだレスリングはそんなに流行ってもいなかったけど、近所でレスリングを子供たちに教えてくれる道場があったんですよ。そこはもともと質屋さんで、建屋の2階を改造してマットを敷いててね。夏休みになったら近所の子供たちがそこに集まるから、自分もパンツ一丁の格好で遊びに行ったんですよ」
【主な卒業生】
香綾しずる(元宝塚歌劇団)
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長州力の学歴~出身高校(桜ケ丘高校)の詳細
出身高校:山口県 桜ケ丘高校 偏差値41~43(現在)
長州力さんの出身高校は、私立の共学校の桜ケ丘高校です。
この高校は1940年開校の私立高校で、スポーツが盛んなことで知られています。
また現在の同校は以下の6つのコースを設置していますが、長州さんがどのコースに在籍したかは不明です。
特進:偏差値59
キャリア:偏差値43
進学:偏差値43
アーティスト:偏差値41
商業:偏差値41
電気:偏差値41
ただし当時は特進とアーティストは設置されていなかったので、それ以外のコースになります。
高校時代はレスリング部に在籍をしていました。
高校3年生の時には国体で優勝を勝ち取り、インターハイでは準優勝という成績を残しました。
これらの実績によりレスリングの強豪大学の争奪戦になりましたが、名門の専修大学に進学しています。
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長州力の学歴~出身大学(専修大学)の詳細
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出身大学:専修大学 商学部 偏差値53(普通・現在)
長州力さんは高校卒業後は、私立大の専修大学に進学しています。
この大学にはレスリングの特待生として入学しています。
そのため長州さんは大学時代は体育会レスリング部に在籍をしており、大学3年生の時には主将を務めています。
また大学入学後のことについては次のように振り返っています。
「大学に入った頃はちょうど学生運動の真っ只中だったんですよ。あるときは体育寮にまで学生がなだれ込んできて、俺たちに向かって『お前らは大学の犬だ!』って罵倒してきてね。それで道路を隔てて少し離れた別の大学のほうからは煙があがっている。本当にめちゃくちゃな時代でしたよ」
長州さんは大学時代の食生活についてインタビューで次のように話していました。
「大学の頃は、ぼくは寮でしたからご飯は食券制の食堂だったんですよ。しかもあんまりおかわりすると栄養士さんに怒られちゃうんです。どんぶりで出るんですけど、食べ盛りだから本当はもっと食べたい。でも仕送りとかもそんなないから、外食したりしてまで食べられなくてね。2年の終わりからアルバイトが出来るようになって、それから腹いっぱい食べれるようになったんじゃないかな。」
長州さんは20歳の時に念願だったミュンヘンオリンピックに出場をしています。
しかし当初はオリンピックのための強化合宿に行くお金がなく、日中の練習が終わるとアルバイトに行くという生活をしていました。
当時のことについてインタビューでは次のように話しています。
「当時は合宿もみんな自腹。そうなったらアルバイトをしなきゃいけない。深夜から朝にかけて道路の側溝の蓋をふたりがかりで引き上げていく力仕事でもらった日当が4 0 0 0円。寮でのひと月のメシ代が6 0 0 0円だったから、バイトとしてはとても良かったけど、それだけでは足りない。とにかく稼ぐしかなかった」
また長州さんがオリンピックを志したきっかけについてインタビューでは次のように話しています。
「あれは昭和39年の東京オリンピックですよ。俺が中学1年生のとき。テレビで開会式を見てたら真っ赤なブレザーを着た日本の選手団が入場してきてね。今とは違って当時はまだ軍隊式行進で入場してくるからキレイに揃っていてね。それを見て、『おー、カッコイイな!』って子供心に思ったんだよ。それでなぜか知らないけど、『ああ、俺もオリンピックに出てみたいな』って思ったんだよな」
そして大学4年生の時に新日本プロレスにスカウトされて、大学を卒業した1974年に入団しています。
プロレスラーとしては1982年の藤波辰爾さんとの抗争でブレイクしています。
以降は「革命戦士」のニックネームで数々の名勝負を繰り広げてきました。
67歳だった2019年6月に、惜しまれつつもプロレスラーを引退しました。
以降は主にタレントとして活動しており、数々のバラエティ番組に出演しています。
また同じ年にYOUTUBEに公式チャンネルを開設しています。
こちらもチャンネル登録者数が23万人を超えるほどの人気となっています。
以上が長州力さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
プロレスラー時代はかなりの人気を誇っており、熱狂的なファンに支持されていました。
また引退後はタレントに転向していますが、ユニークなキャラクターで多くのバラエティ番組に出演しています。
今後のさらなる活躍にも期待が高まります。
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