小田和正の学歴と経歴|出身は東北大学・聖光学院高校!中学校の偏差値と若い頃のかっこいい画像

 

シンガーソングライターの小田和正さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。数々の名曲を世に送り出してきた小田さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、若い頃のかっこいい画像なども併せてご紹介いたします

 

小田和正(おだ かずまさ)

 

 

1947920日生

身長172

血液型はA型

 

神奈川県横浜市出身のシンガーソングライター

「オフコース」の元リーダー

本名同じ

 

以下では小田和正さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします

 

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目次

小田和正の学歴まとめ

 

出身大学院:早稲田大学大学院理工学研究科

出身大学:東北大学 工学部建築学科

出身高校:聖光学院高校

出身中学校:聖光学院中学校

出身小学校:関東学院六浦小学校→横浜市立八景小学校

 

小田和正の学歴~出身小学校(関東学院六浦小学校・横浜市立八景小学校)の詳細

 

出身小学校:神奈川県 関東学院六浦小学校

※後に横浜市立八景小学校に転校

 

 

 

小田和正さんが入学したのは、私立の共学校の関東学院六浦小学校です。

 

この小学校は関東学院大学の系列校で、小泉孝太郎さんと小泉進次郎さんの母校として知られています。

 

家族構成は両親と兄の4人家族です。

 

 

実家は薬局を経営していました。

 

ちなみにお兄さんが薬剤師になって、実家の薬局を継いでいます。

 

小田さんは音楽好きだった親の影響で、小学校時代からジャズや流行歌をよく聴いていました。

 

幼少期にはヴァイオリンを習っていました。

 

また子供の頃から勉強が得意で、小学校3年生の時から中学受験に備えて進学塾に通っています。

 

 

小学校時代に進学塾に通学するための電車の車内で鈴木さんと出会っており、当時から知り合いでした。

 

加えて小田さんは当時からスポーツも大好きで、小学校時代は野球にも熱中していました。

 

なお明確な時期は不明ですが、小田さんは地元横浜市内の公立校の横浜市立八景小学校に転校して卒業しています。

 

 

 

小田和正の学歴~出身中学校(聖光学院中学校)の詳細

 

出身中学校:神奈川県 聖光学院中学校 偏差値73(超難関)

 

 

 

小田和正さんの出身中学校は、私立の男子校の聖光学院中学校です。

 

この中学校には中学受験で入学しており、高い学力を有していました。

 

ただし小田さんの第一志望の中学校は同じく進学校の栄光学園中学校(現在の偏差値は71)で、不合格になったことからこの中学校に進学しています。

 

ちなみに盟友の鈴木さんも栄光学園中学校の受験に失敗しています。

 

小田さんは中学時代も野球部に在籍して、部活動に打ち込んでいました。

 

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小田和正の学歴~出身高校(聖光学院高校)の詳細

 

出身高校:神奈川県 聖光学院高校 偏差値71(超難関・現在)

 

 

 

小田和正さんの出身高校は、私立の男子校の聖光学院高校です。

 

この高校は1954年開校のカトリック系のミッションスクールです。

 

また同校は古くからの進学校で、現在では神奈川県でもトップレベルの難易度を誇ります。

 

小田さんは高校時代は野球部に在籍して、部活動に打ち込んでいました。

 

進学校ゆえ高校2年生の夏が終わると野球部員も続々と受験勉強の準備のため辞めていきましたが、小田さんは高校3年生の夏まで野球を続けたとインタビューで明らかにしています。

 

また体育や美術の授業も受験の必須科目に振り返られて減っていたことから、「寂しかった」と語っています。

 

小田さんは高校時代にギターをはじめています。

 

 

そして高校3年生の時の学園祭で、同級生だった鈴木康博さんと地主道夫さん、須藤尊史さんとバンドを組んで演奏を披露しています。

 

 

この時がオフコースの誕生の瞬間でした。

 

ちなみにその際の演奏はかなり盛り上がったようで、先生からもう一度演奏することを命じられています。

 

また前記のように後に大学では建築を専攻することになる小田さんですが、高校時代の授業で建築模型を製作したことがきっかけで、建築に興味を持っています。

 

【主な卒業生】

角澤照治(アナウンサー)

河野玄斗(タレント)

川島和正(作家、ブロガー)

 

 

小田和正の学歴~出身大学(東北大学・早稲田大学大学院)の詳細

 

出身大学:東北大学 工学部建築学科 偏差値60(難関・現在)

 

 

 

小田和正さんは高校卒業後は、国立の東北大学に進学します。

 

当初は医者になるために千葉大学の医学部の受験も検討しましたが、大学見学の際に消毒液の臭いとカーテンの汚さに嫌気がさして東北大学を選んでいます。

 

この大学には現役で合格しており、高い学力を有していました。

 

在籍したのは工学部で、建築を専攻しています。

 

建築家の藤森照信さんは大学の同級生です。

 

前記のように高校時代に鈴木康博さんら同級生と「ジ・オフコース」を結成していますが、メンバーはバラバラの大学に進学しています。

 

ちなみに鈴木さんは難関国立大学の東京工業大学に進学しています。

 

それでも解散せずに音楽活動を継続しています。

 

 

ただし他のメンバーは東京や横浜の大学に在籍していたので、小田さんはバンド活動のために仙台から首都圏に往復する生活を余儀なくされています。

 

大学4年生だった1969年にヤマハの音楽コンテスト「ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト」に出場すると、東北1位になっています。

 

そしてオフコースは全国大会でも2位となっています。

 

 

実は小田さんは当初は音楽活動は大学生限りと考えており、このコンテスト終了後にオフコースを解散するつもりでした。

 

ところが優勝できなかったことが非常に悔しかったことから、大学卒業後も音楽活動を継続することを決意しています。

 

ちなみにこのコンテストで優勝したのは、「翼を下さい」のヒット曲で知られる「赤い鳥」です。

 

そのため拠点を東京に移したかったことから、早稲田大学大学院理工学研究科に進学しています。

 

 

小田さんは大学院でも引き続き建築学を学んでいます。

 

また前記のコンテストで注目されたことから、大学院に進学した1970年4月にオフコースはファーストシングル「群青の中で/陽はまた昇る」でメジャーデビューを飾っています。

 

 

ところが楽曲はヒットせず、その後もヒット曲に恵まれませんでした。

 

 そのため小田さんは建築の道に進むか、音楽の道に進むか迷っていましたが、大学院修了後に音楽の道を選択します。

 

(若い頃)

 

以降もオフコースは売れない日々が続いて、1974年1月の札幌の道新ホールでのコンサートの際には、観客数がわずか13人という「伝説」も生まれています。

 

しかし1979年にリリースした17枚目シングル「さよなら」がオリコン2位のヒットになって、ようやく大きな注目を集めました。

 

 

すると以降はヒットを連発して、1980年代にかけては時代を代表するバンドとなっています。

 

1989年にオフコースは解散しますが、小田さんはソロになっても数々のメガヒットをリリースしています。

 

 

ソロとしてもオリコン1位獲得の最年長記録やアルバム出荷枚数300万枚最年長記録などを持っており、一世を風靡しています。

 

以上が小田和正さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

オフコース時代から名曲を世に送り続けており、幅広い層に支持されています。

 

既に70歳を超えていますが未だにファンから絶大な支持を得ています。

 

 

今後のさらなる活躍にも期待が膨らみます。

 

経歴/プロフィールの詳細

 

1970年にオフコースは「群衆の中で」でメジャーデビュー。 

1979年に17thシングル「さよなら」が大ヒット。 

以降も「I LOVE YOU」や「君が、嘘を、ついた」がヒットするが、1989年にグループは解散。

同年からソロ活動を本格化させて、1991年の「ラブ・ストーリーは突然に」がオリコン1位となる大ヒットを記録。 

その後も「伝えたいことがあるんだ」や「キラキラ」などの楽曲がヒット。 

テレビ番組にあまり出演しないことで知られ、1984年に「笑っていいとも!」でバラエティー番組初出演。

1988年から89年にかけて「ネスカフェゴールドブレンド」のCMに出演した。 

私生活では1982年に一般人女性と結婚している。

 

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