シンガーソングライターの佐野元春さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りします。数々のヒット曲で知られる佐野さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、若い頃のかっこいい画像なども併せてご紹介いたします
佐野元春(さの もとはる)
1956年3月13日生
身長170㎝
血液型はB型
東京都台東区出身(中野区育ち)のシンガーソングライター
本名同じ
以下では佐野元春さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
スポンサードリンク
佐野元春の学歴まとめ
出身大学:立教大学 社会学部
出身高校:立教高校
出身中学校:中野区立第四中学校
出身小学校:不明
佐野元春の学歴~出身小学校の詳細
出身小学校:不明
佐野元春さんの出身小学校は、中野区内の公立校のようですが校名などは不明です。
家族構成は両親と妹の4人家族です。
ただし妹は既に故人です。
父親は会社を経営しており、母親は舞台女優でした。
音楽好きな母親の影響で自宅ではロックやヒップホップなど様々なジャンルの音楽が流れていました。
もともと小さい頃から詩のようなものを書くことが好きでした。
誰から教わったわけでもなく詩のようなものを書いて楽しんでいたといいます。
その後、12歳の時に作詞作曲をはじめており、このことについてはインタビューで次のように話していました。
「11歳・12歳の頃になると、トランジスタラジオから海外のポピュラー音楽がたくさん流れてくる。それを聴いて心が舞い上がる。ビートの効いた音楽がそこにあるわけですよね。そうすると、言葉とこのビートと、それから素敵なメロディーと、これを組み合わせたら、何かいいものができるんじゃないかと思って。」
そして当初は作家のヘルマン・ヘッセさんの「赤いブナの木」という詩に勝手に曲を付けており、これが生まれて初めて作った曲でした。
友人たちに披露をすると喜んでくれましたが、勝手に人の詩に曲を付けただけなので、100%自作とは言えないと思い、詩を書きはじめています。
佐野元春の学歴~出身中学校(中野区立第四中学校)の詳細
出身中学校:東京都 中野区立第四中学校 偏差値なし
※現在は中野区立明和中学校
佐野元春さんの出身中学校は、中野区内の公立校の第四中学校です。
この中学校は2021年に中野区立第八中学校と統合されて、現在は中野区立明和中学校になっています。
バブルガムブラザーズのブラザー・コーンさんは、中学時代の同級生でした。
佐野さんは中学1年生の時に洋楽に目覚めてギターをはじめています。
また佐野さんは中学時代には既に彼女がいました。
スポンサードリンク
佐野元春の学歴~出身高校(立教高校)の詳細
出身高校:埼玉県 立教高校 偏差値69(現在・超難関)
※現在は立教新座高校
佐野元春さんの出身高校は、私立の男子校の立教高校です。
この高校は1948年開校の立教大学の系列のミッションスクールです。
また卒業生は原則として系列の立教大学に進学できるため現在では偏差値も跳ね上がっていますが、佐野さんが在籍した当時のレベルは現在ほどではありませんでした。
この高校の1学年上には、アナウンサーの古舘伊知郎さんとタレントのルー大柴さんが在籍していました。
佐野さんは高校時代は当初は帰宅部で、部活動などはおこなっていませんでした。
前記のように佐野さんは小学生の頃に作詞作曲をはじめており、16歳の時には「情けない週末」や「Bye Bye C-Boy」、「君がいなくちゃ」などを作っています。
そして高校1年生のときにラジオを通してアメリカのミュージシャンであるボブ・ディランさんの音楽と出会いました。
当時はボブ・ディランさんと同じ立場になりたいと思いながら、音楽を聴いていました。
佐野さんは曲を書いていましたが、一人ではつまらないと思い高校に入学後はバンドを結成しています。
佐野さんの作った曲を聴いた友人たちは「いいね」と褒めてくれて、佐野さんはどんどん音楽に没頭をしていきました。
そして曲を作っては友人たちに聴いてもらうという毎日を送っていたとのことです。
高校2年生のときには音楽部に入部をしており、ピアノをはじめました。
同じ頃には、吉祥寺のバイク集団「ジョージ組」に所属をしており、無謀運転で2回ほど事故を起こしています。
佐野さんは当時のことについてはインタビューで次のように話しています。
「大切だったのは音楽とオートバイ。何かあるとすぐバイクで飛び出して、東京・吉祥寺を根城とする“ジョージ族”と名乗るバイクチームとつるんでいた。みんな、よくケンカしていたよ。そのころには、もう僕はあまり家に戻らなくなっていた。」
高校3年生の7月に実家の引っ越しには同行せずに一人暮らしをはじめています。
このことについてはインタビューで次のように話していました。
「僕の両親はとてもリベラルな感覚の持ち主で、僕が十代のころから、『早く自立しろ』、『自分たちの面倒は見なくていい』と言っていた。長く家を空けたことで激怒された覚えもないし、高校3年のころには、もうひとり暮らしを始めていたしね。」
同じ年の12月に音楽部が母体のバンド「バックレイン元春セクション」を結成しています。
【主な卒業生】
関口宏(タレント)
長嶋一茂(タレント)
高橋幸宏(ミュージシャン)
細野晴臣(ミュージシャン)
みのもんた(タレント)
スポンサードリンク
佐野元春学歴~出身大学(立教大学)の詳細
出身大学:立教大学 社会学部 偏差値58(当時・中の上)
佐野元春さんは高校卒業後は、私立大の立教大学に進学しています。
この大学の系列の高校に通っていたことから内部進学で進んでいます。
在籍したのは社会学部です。
前記のように大学入学後も高校時代に結成したバンド「バックレイン元春セクション」の一員として音楽活動をしていました。
そしてこのバンドはヤマハポピュラーソングコンテストにも出場をしています。
大学では、一般教養の中に蓮實重彦先生の「映画表現論」を取っており、佐野さんは2年間この授業だけは欠かさずに全て出席をしました。
論文では、「チャーリー・チャップリン映画におけるすれ違いの美学」をテーマに書いており、先生からかなり褒められて、Aプラスの評価でした。
佐野さんは大学生活の中で評価されることはなかったため、嬉しかったと当時を振り返っています。
佐野さんは自身の音楽の表現は受け入れてもらえないため「売れないはずだ」と思い込んでいたことから、大学卒業後は会社勤めを選択しています。
早い段階で単位を取っていたため、大学4年生の時には広告代理店でアルバイトをしていました。
また就職活動もおこなっており、このことについてはインタビューで次のように話していました。
「あるレコード会社では社長面接までいった。結局、外資の大手広告代理店に入ったんだけど、入社直後の研修を終えた時、『ここは僕がいるところじゃないな』と思い、結局、その日のうちに『すみませんが、ここでは働けません』と、社長宛に手紙を書いて辞めてしまったよ。」
なお音楽活動に熱中してたこともあって、大学は2年間の留年の末に卒業しました。
そして大学卒業後は広告代理店に就職をしています。
ただし就職後に再びミュージシャンを志し、会社は1年半余りで退職しています。
すると24歳だった1980年にメジャーデビューを飾っています。
そして最後のつもりで1982年にリリースした「SOMEDAY」のヒットで大幅に知名度が上昇。
以降の活躍は周知のとおりで、日本の代表的なロックミュージシャンのひとりとして知られています。
多くのファンから絶大な支持を受けている人物だけに、今後のさらなる飛躍にも期待が高まります。
スポンサードリンク
経歴・プロフィールの詳細
1980年に1stシングル「アンジェリーナ」でデビュー。
当初はなかなかセールスが伸びなかったが、最後のつもりで1982年にリリースした3rdアルバム「SOMEDAY」がオリコン4位のヒットを記録して注目される。
1984年の4thアルバム「VISITORS」がオリコン1位のヒットとなって人気アーティストの仲間入り。
1985年の15thシングル「Young Bloods」が初のオリコンTOP10を記録(7位)。
1986年にプライベートレーベル「M’s Factory」を設立。
以降も「THE SUN」や「COYOTE」などのアルバムがヒットを記録。
ここまでお読みいただきありがとうございました。ご質問やご意見などがございましたら、お手数をおかけしますがページ上の「お問い合わせ」よりお願いいたします。また出身校や偏差値情報などのリサーチには万全を期しているつもりですが誤りなどがあった場合はご指摘していただけると幸いです。なお返信はあるだけ早くおこなうようにしていますが、数日かかる場合があることをご了承ください。