小山田圭吾の学歴|出身は和光高校!大学や中学校の偏差値|イジメの内容があまりにも酷い!

 

ミュージシャンの小山田圭吾さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。2021年に高校時代のイジメが発覚して非難されている小山田さんですが、イジメの内容はあまりにも酷いものでした。学生時代のエピソードや情報なども併せてご紹介いたします

 

小山田圭吾(おやまだ けいご)

 

 

1969年1月27日生

身長169㎝

血液型はO型

 

東京都世田谷区出身のミュージシャン

「コーネリアス」のメンバー、「フリッパーズ・ギター」の元メンバー

本名同じ

 

以下では小山田圭吾さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします

 

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目次

小山田圭吾の学歴まとめ

 

出身専門学校:セツ・モードセミナー

出身高校:和光高校

出身中学校:和光中学校

出身小学校:和光小学校

 

小山田圭吾の学歴~出身小学校の詳細

 

出身小学校:東京都 和光小学校

 

 

 

小山田圭吾さんの出身小学校は、私立の共学校の和光小学校です。

 

ここまででわかるように、小山田さんは小学校から高校までエスカレーター式に進学しています。

 

父親は「和田弘とマヒナスターズ」のメンバーだった三原さと志さんです。

 

(両親と)

 

後記のように小学校時代からイジメをおこなっていたことをインタビューで明らかにしています。

 

小山田圭吾の学歴~出身中学校の詳細

 

出身中学校:東京都 和光中学校 偏差値44(容易)

 

 

 

小山田圭吾さんの出身中学校は、私立の共学校の和光中学校です。

 

小沢健二さんは小学校・中学校の同級生です。

 

なおイジメは小学校時代からおこなっており、中学時代の修学旅行でもイジメをおこなっていたことを明らかにしています。

 

「ウチの班で布団バ〜ッとひいちゃったりするじゃない。するとさ、プロレス技やったりするじゃないですか。たとえばバックドロップだとかって普通できないじゃないですか? だけどそいつ(注・村田君)軽いからさ、楽勝でできんですよ。ブレンバスターとかさ(笑)。それがなんか盛り上がっちゃってて。みんなでそいつにプロレス技なんかかけちゃってて。おもしろいように決まるから「もう一回やらして」とか言って。それは別にいじめてる感じじゃなかったんだけど。ま、いじめてるんだけど(笑)。いちおう、そいつにお願いする形にして、「バックドロップやらして」なんて言って(笑)、”ガ〜ン!”とかやってたんだけど)」

 

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小山田圭吾の学歴~出身高校の詳細

 

出身高校:東京都 和光高校 偏差値50(普通)

 

 

 

小山田圭吾さんの出身高校は、私立の共学校の和光校です。

 

この高校は1946年開校の私立高校で、自由な校風で知られています。

 

また古くから芸能活動を容認していることから、数多くの芸能人を輩出しています。

 

小山田さんはこの高校の系列の中学校の出身者で、高校には内部進学で進んでいます。

 

 

ちなみに中学校の同級生だった小沢健二さんは高校受験をして難関進学校に合格しており、高校時代は別々の学校に通学していました。

 

小山田さんは前記のように25歳だった1994年に、「ロッキンオン・ジャパン」や「クイック・ジャパン」のインタビューで高校時代に長期間にわたって複数の障がい者にイジメや暴行行為をおこなっていたことを明らかにしています。

 

当時の「ロッキンオン・ジャパン」のインタビューは次のような内容でした。

 

「うん。いじめてた。けっこう今考えるとほんとすっごいヒドイことしてたわ。この場を借りてお詫びします(笑)だって、けっこうほんとキツイことしてたよ」

 

「うん。もう人の道に反してること。だってもうほんとに全裸にしてグルグルに紐を巻いてオ〇ニーさしてさ。ウ〇コを食わしたりさ。ウ〇コ食わした上にバックドロップしたりさ」

 

 

「クイック・ジャパン」のインタビューについては、次のように報じられています。

 

「サブカル誌「クイック・ジャパン」95年8月号では、障がい者というAさんとBさんへのいじめの数々を悪びれることなく明かしたり、特別支援学校に通うダウン症の生徒を笑い者にしたりしていた」

 

クイック・ジャパンに掲載されたインタビューの内容はかなりおぞましいもので、ここでは全文を掲載できませんが障がい者の下半身を露出させて笑い物にしています。

 

また小山田さんは次のように当時の「クイック・ジャパン」のインタビューで話していました。

 

「こういう障害がある人とかって言うのは、なぜか図書室にたまるんですよ。図書室っていうのが、もう一大テーマパークって感じで(笑)しかもウチの学年だけじゃなくて、全学年のそういう奴のなぜか、拠り所になってて、きっと逃げ場所なんだけど、そん中での社会っていうのがまたあって、さっき言った長谷川君っていう超ハードコアなおかしい人が、一コ上で一番凄いから、イニシアチブを取ってね、みんなそいつのことをちょっと恐れてる。そいつには相棒がいて。耳が聞こえない奴で、すっごい背がちっちゃいのね。何か南米人とハーフみたいな顔をしてて、色が真っ黒で、そいつら二人でコンビなのね。ウチの学年のそういう奴にも威張ってたりとかするの」

 

「太鼓クラブとかは、もうそうだったのね。体育倉庫みたいなことろでやってたの、クラブ自体が。だから、いろんなものが置いてあるんですよ、使えるものが。だから、マットレス巻きにして殺しちゃった事件とかあったじゃないですか、そんなことやってたし、跳び箱の中に入れたりとか。小道具には事欠かなくて、マットの上からジャンピング・ニーパットやったりとかさー。あれはヤバイよね、きっとね(笑)」

 

 

さらに小山田さんは高校の近隣にあった養護学校の生徒についても、インタビューで次のように語っています。

 

「学校の裏に養護学校みたいなのがあるんですよ。町田の方の田舎だから、まだ畑とか残ってて。それで、高校の時とか、休み時間にみんなで外にタバコ吸いにいったりするじゃないですか。で、だいたいみんな行く裏山があって。タバコ吸ってたり、ボーッとしてたりなんかするとさ、マラソンしてるんですよ、その養護学校の人が。で、ジャージ着てさ、男は紺のジャージで、女はエンジのジャージで、なんか走ってるんですよ。で、ダウン症なんですよ。「あ、ダウン症の人が走ってんなあ」なんて言ってタバコ吸ってて。するともう一人さ、ダウン症の人が来るんだけど、ダウン症の人ってみんな同じ顔じゃないですか?「あれ? さっきあの人通ったっけ?」なんて言ってさ(笑)。ちょっとデカかったりするんですよ、さっきの奴より。次、今度はエンジの服着たダウン症の人がトットットとか走っていって、「あれ? これ女?」とか言ったりして(笑)。最後10人とか、みんな同じ顔の奴が、デッカイのやらちっちゃいのやらがダァ〜って走って来て。「すっげー」なんて言っちゃって(笑)」

 

ちなみにこの「クイック・ジャパン」の記事は、「村上清のいじめ紀行」という企画内でおこなわれており、この企画も「いじめ=エンタテイメント」と捉える信じがたいものでした。

 

また当初はイジメの被害者と小山田さんが対談するものを予定していましたが実現しなかったので、小山田さんのインタビューになっています。

 

「クイック・ジャパン」の発売元の太田出版はは2021年7月19日に、岡聡社長名義で次のような内容の謝罪文を発表しています。

 

「被害者の方を傷つけるだけでなく差別を助長する不適切なものであることは間違いないと判断しました」

「出版社としてその姿勢が問われるもの」

 

なお小山田さんは事実を認めており、次のような謝罪文を公表しています。

 

「ご指摘頂いております通り、過去の雑誌インタビューにおきまして、学生時代のクラスメイトおよび近隣学校の障がいを持つ方々に対する心ない発言や行為を、当時、反省することなく語っていたことは事実であり、非難されることは当然であると真摯に受け止めております」

 

小山田さんは当時の被害者に連絡を試みて謝罪したいと述べていますが、内容が内容だけにかなり非難が集中しています。

 

※追記

2021年7月19日に小山田さんは東京オリンピックの楽曲制作担当を辞任しました

 

 

【主な卒業生】

柄本佑(俳優)

柄本時生(俳優)

草刈麻有(女優)

紅蘭(タレント)

 

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小山田圭吾の学歴~出身大学の詳細

 

出身大学:セツ・モードセミナー 偏差値なし

 

 

 

小山田圭吾さんは高校卒業後は、美術学校のセツ・モードセミナーに進学しています。

 

この美術学校は1954年開校で、数々のクリエイターを輩出したことで知られています。

 

ただし2017年4月に閉校しています。

 

小山田さんはこの美術学校の1年生だった1987年に、後にテレビブロスの編集者になる井上由紀子さんとピーウィー60‘Sというテクノバンドを結成して本格的に音楽活動を開始しています。

 

するとバンドは「ロリポップ・ソニック」に名前が変わり、1988年には中学校の同級生だった小沢健二さんもバンドに加入しています。

 

 

1989年には「ロリポップ・ソニック」はメジャーデビューが決まっていますが、小山田さんと小沢さん以外のメンバーが脱退してデュオになっています。

 

そしてこの年に「フリッパーズ・ギター」に改名して、ファーストアルバム「「Three cheers  for out side~海へ行くつもりじゃなかった」でメジャーデビューを果たしています

 

 

「フリッパーズ・ギター」は1990年にリリースしたセカンドシングル「恋とマシンガン」がテレビドラマ「予備校ブギ」のテーマ曲になって注目を集めています。

 

 

 

しかし翌年に突然の解散を発表しています。

 

以降は小山田さんはソロとして活動を開始して、坂本龍一さんやスチャダラパー、電気グルーヴなど数々の著名アーティストとコラボをおこなっています。

 

それらに加え「コーネリアス」名義でソロ活動もおこなっています。

 

 

また東京オリンピック・パラリンピックの制作メンバーにも起用されています。

 

ところが1994年の音楽雑誌「ロッキンオン・ジャパン」などでのインタビューで、高校時代に複数の障がい者にイジメをおこなっていたことが判明し波紋を読んでいます。

 

今後の動向にも注目が集まります。

 

以上が小山田圭吾さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

高校卒業後からミュージシャンとしてキャリアを積み上げて、高い評価を得てきました。

 

 

ところが2021年に過去のインタビューでのイジメが発覚して、非難が集中しています。

 

内容的には言い訳ができないレベルと思われますので、今後はどのような行動をとるのか注目です。

 

 

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