大谷亮平の学歴|出身は亜細亜大学・清風高校!中学校の偏差値やバレーボール歴や若い頃のかっこいい画像

 

人気俳優の大谷亮平さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。バレーボールに打ち込んだ高校時代や挫折を感じた大学時代などのエピソードも併せてご紹介いたします

 

大谷亮平(おおたに りょうへい)

 

 

1980101日生

身長180

血液型はO型

 

大阪府吹田市出身の俳優、モデル

本名は大谷慶彦(よしひこ)

 

以下では大谷亮平さんの学歴、出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介していきます

 

スポンサードリンク

 

目次

大谷亮平の学歴まとめ

 

出身大学:亜細亜大学

出身高校:清風高校

出身中学校:吹田市立西田山中学校

出身小学校:不明

 

大谷亮平の学歴~出身小学校の詳細

 

出身小学校:不明

 

大谷亮平さんの出身小学校は、吹田市内の公立校のようですが校名などは不明です。

 

ただし中学校の校区からは以下の2校が有力となります。

 

吹田市立西山田小学校

吹田市立山田第三小学校

 

2歳年上の姉と6歳年下の妹がおり、当時から家族仲は当時からよかったとのこと。

 

 

なおハーフ疑惑のある大谷さんですが、両親ともに日本人です。

 

子どもの頃や小学校時代のエピソード

 

子供のころは極度の恥ずかしがり屋で、人前に出るのも苦手だったとのことです。

 

また大谷さんは子供の頃から運動神経が良くスポーツが得意で、当初は野球をやっていました。

 

小学校4年生の時にバレーボールをはじめており、小学生時代はバレーボールに熱心に取り組んでいます。

 

ちなみに大谷さんは日本で俳優として売れっ子になった後もバレーボールクラブに所属しており、現在もバレーボールをおこなっています。

 

また子供の頃から恥ずかしがり屋で出たがりではなく、学芸会でも裏方をやるような少年だったので、自分が俳優をやるなんて思わなかったとも語っています。

 

(小学校時代)

 

大谷亮平の学歴~出身中学校(吹田市立西田山中学校)の詳細

 

出身中学校:大阪府 吹田市立西山田中学校 偏差値なし

 

 

 

大谷亮平さんの出身中学校は、地元吹田市の公立校の西山田中学校です。

 

中学時代はエースアタッカーだった

 

中学進学後もバレーボール部に入部して、中学3年生の頃には大阪府の大会で優勝して、北大阪の選抜チームにも選ばれるほどの実力でした。

 

 

当時のポジションはエースアタッカーでした。

 

小学校時代からエースとして活躍していたので、中学時代までは「自分が一番うまいと思っていた」とインタビューで述べています。

 

 

中学時代のバレーボール部の記録などは残っていませんが、高校はスポーツ推薦で入学したほどですから主力選手として際立った活躍をしたはずです。

 

※追記

大谷さんが中学3年生の時に府大会で優勝しているそうです。

 

現在は自身の性格を「感情は抑えるタイプ」と分析する大谷さんですが、中学時代はもっと感情の起伏があって、短気だったとのこと。

 

スポンサードリンク

 

大谷亮平の学歴~出身高校(清風高校)の詳細

 

出身高校:大阪府 清風高校 偏差値6267(コース不明のため)

 

 

 

大谷亮平さんの出身高校は、私立の男子校の清風高校です。

 

同校は進学校でありながらスポーツも盛んで、テニス部や陸上部が全国的な強豪として知られています。

 

また同校は理Ⅲが偏差値71、理数が同67、文理が同62と複数のコースがありますが、理Ⅲは清風中学校からの6カ年コースに限られるので、高校から同校に進学した大谷さんは理数か文理のコースに在籍していました。

 

この高校の2018年度の主な進学実績は次のようになっています。

 

同志社大学  134名

関西大学   131名

立命館大学  125名

関西学院大学 67名

早稲田大学  18名

慶応義塾大学 15名

 

大阪大学   22名

神戸大学   17名

京都大学   14名

東京大学   2名

 

ただし大谷さんは一般受験での入学ではなく、バレーボールによるスポーツ推薦での進学です。

 

加えてこの高校は仏教系の高校で毎朝の朝礼で般若心経の読誦があることから、大谷さんも般若心経を暗唱しています。

 

高校時代もバレーボール部で活躍

 

また中学時代はエースアタッカーとして活躍した大谷さんですが、高校になると軒並み190㎝以上の選手が現れたため、アタッカーとしては限界を感じて(身長は180㎝)、セッターに転向しています。

 

 

ただしもともとアタッカーだったことから、攻撃的セッターとして活躍していました。

 

清風高校はサッカー部や体操部も強豪ですが、当時はダントツにバレーボール部の練習が厳しかったそうです。

 

休みは夏休み2日と元旦だけだったそうです。

 

さらにとある大会で1日目に負けると、チーム全員で丸刈りにするように監督から命じられ、2日目からは大会に丸刈りで出場したエピソードも残っています。

 

高校ではキャプテンを務めて、大阪選抜チームの一員として国体にも出場したことをインタビューで明らかにしています。

 

「ずっとバレーばかりやってきたので、一度くらいは日本一を経験してみたいと考えたことがあったんです。そのためには、国体に大阪代表として先発で出るしかない。それでセッターに転向しました。それで国体には出場したんですが、三回戦で負けちゃいました」

記事引用:Namero TOKYO

 

一方で下級生が太ったら、キャプテンとして監督に叱られたこともあったとのこと。

 

ただし高校時代は「春高バレー」などの高校バレーの大会で、全国大会に出場はしていないようです。

 

高校まではバレーボール一筋の生活を送っており、友達と遊んだこともほとんどなかったほど。

 

中学生の頃は自分が一番うまいと思ってプロのバレーボール選手を目指していましたが、高校時代はバレーボール選手としては身長が低かったことから、プロは難しいかなと考えはじめています。

 

このあたりに関しては「挫折を経験し、負ける側の気持ちも理解するようになって」、「少しずつ性格も変わっていた気がする」とインタビューで話しており、そのため「あまり調子に乗ることもない」としており、大谷さんにとっては大きな人生の糧となったようです。

 

また後にバラエティー番組「人生最高のレストラン」に出演した際には、高校時代にバレーボール部で禁止されていた「買い食い」を破り、高校の近所のパン屋で隠れてパンを食べていたことを語っています。

 

(高校時代)

 

加えて大谷さんは高校時代から他校の女子にモテていましたが、バレーボール部の練習が厳しすぎたことから恋愛する暇がなかったことをインタビューで話しています。

 

【主な卒業生】

松波健太(政治家)

池谷幸雄(タレント、元体操選手)

本並健治(サッカー元日本代表)

 

スポンサードリンク

 

大谷亮平の学歴~出身大学(亜細亜大学)の詳細

 

出身大学:亜細亜大学  偏差値45~50(学部不明のため)

 

 

 

大谷亮平さんは高校卒業後は大学に進学しますが、進学先の大学は亜細亜大学です。

 

大谷さんは出身大学を明らかにしていませんが、インターネット上やツイッターにはこの大学への在籍情報が複数見られます。

 

またインターネット上には大谷さんの出身大学を関西大学や近畿大学、大阪商業大学などとするものがありますが誤りです。

 

バラエティ番組「あいつ今何してる?」に出演した際にも、都内の大学に通学していたことを明らかにしています。

 

ただし在籍した学部や専攻した学科は明らかになっていません。

 

大学では体育会バレーボール部に在籍

 

大学には一般受験ではなく、バレーボールのスポーツ推薦で進学しています。

 

バレーボールの特待生として大学に進学しており、大学時代も体育会バレーボール部に所属しています(途中で退部した可能性もあり)。

 

大学時代のものではありませんが、大谷さんが実際にバレーボールをやっている動画がありました。

 

 

動画は韓国時代のものですが、軽々とジャンピングサーブを決めるところはすごいですね。

 

また大学時代はバレーボールのプロになることは諦めており、そのため体育教師になることも検討していました。

 

ちなみに大谷さんは大学時代は女子から人気があったものの、男子校出身だったことからスカしてしまい大学時代はあまりモテませんでした。

 

大学卒業にモデルとして芸能活動を開始

 

加えてバレーボールを諦めたことから別の世界にチャレンジしようと思って、大学卒業後からモデルをはじめています。

 

すぐに韓国から声がかかったとインタビューで明らかにしています。

 

「バレーボールはどうしても身長が重要になるスポーツなので、高校に入った頃、身長がそんなに高くない自分はこの先、難しいのかなとは感じていました。大学で進路を選ぶ段階になって、体育教師を目指そうかとも思ったんですが、今ひとつしっくりこない。それで別世界にチャレンジしてみようとモデルを始めて、すぐに韓国から声をかけてもらったんです」

記事引用:Namero TOKYO

 

渡韓当初は韓国語はまったく話せなかったことから延世大学校に半年ほど通学して韓国語を学んだようですが、正確には延世大学校の朝鮮語の教育機関である延世大学校・韓国語学堂で学んだようです。

 

韓国でブレイク

 

韓国では「ダンキンドーナツ」のCMでいきなりブレイクしています。

 

 

 

このあたりについては大谷さんはインタビューで次のようにコメントしています。

 

「モデルを始めて少し経ったころに、韓国のCMに出演したんです。『次に韓国に来るときは、帽子とサングラスが必要だよ』と言われたんですが、てっきり冗談だと思って、後日、明洞でCMの巨大ポスターが貼られているというので記念写真を撮ろうと向かったら、いきなりたくさんの方に囲まれて。初めての経験だったし、CMを評価してくれたことも嬉しくて。その後、本格的に韓国でのオファーをいただいて、身体ひとつで韓国に飛びました」

記事引用:Namero TOKYO

 

また26歳の時から人気シュチュエーションコメディ番組「ソウルメイト」にレギュラーとして起用されています。

 

 

以降は人気作のテレビドラマや映画に起用されることになり、トータルで12年間も韓国で活動しています。

 

そのため韓国では知らない人がいないほどの人気俳優となっています。

 

当時は韓国のテレビ番組にもたびたび出演しており、その際には流ちょうな韓国語を披露しています。

 

 

また34歳の時には韓国の人気スターたちがルームシェアして生活するバラエティ番組「ルームメイト2」にも出演。

 

この際に大谷さんの内気でシャイな性格や年下のアイドルたちにいじられる姿が話題になって、さらに韓国の視聴者たちに愛される人気者となっています。

 

また韓国時代の大谷さんは歌もたびたび披露しており、その際には歌手並みの歌唱力だったとのこと。

 

このような活躍もあったことから韓国時代は多くの女性ファンを魅了してきました。

 

ただし韓国時代はギャラの金額を騙されたことがあり、最大で「一桁違った」こともあったほどです。

 

なお韓国時代には社会人のバレーボールチームに所属して、バレーボールを続けていたことをインタビューで話しています。

 

そして35歳の頃から逆輸入の形で日本でも活動を開始すると、竹野内豊さん似の端正なマスクで「第2のディーン・フジオカ」などと呼ばれて注目されます。

 

「ラブソング」や「逃げるは恥だが役に立つ」、「まんぷく」などの人気作のテレビドラマに次々と起用されてブレイクしました。

 

(「逃げるは恥だが役に立つ」右は星野源)

 

(「まんぷく」左から大谷亮平、安藤サクラ、内田有紀)

 

なお日本で活動する現在もクラブチームに所属して、バレーボールを継続しているとのこと。

 

以上が大谷亮平さんの学歴や学生時代のエピソードのまとめです。

 

韓国で売れっ子になった後に日本に拠点を移し、「第二のディーンフジオカ」と呼ばれましたが、当初は不安になったことをインタビューで明らかにしています。

 

加えて大谷さんは日本に戻ろうと思ったのは、言葉の問題で主演になれないからだと語っています。

 

初めて出演した連続ドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」で、日本でもブレイクをします。

 

またこのところは花王の「サクセス」やサントリーの「プレミアムモルツ」のCMやNHKの朝ドラ「まんぷく」などにも起用されるほどです。

 

 

今後も多くの作品に出演することも予想されますので、大きな飛躍にも期待が高まります。

 

 

大谷亮平の経歴のまとめ

 

1980年(0歳):大阪府吹田市で生まれる

1990年(10歳):バレーボールをはじめる

1995年(15歳):府大会で優勝し、バレーボール北大阪選抜に選ばれる

2003年(23歳):モデルとして活動を開始

2004年(24歳):拠点を韓国に移す

2006年(26歳):シチュエーションコメディ「ソウルメイト」に出演

2015年(35歳):日本で活動を開始

2018年(38歳):NHKの朝ドラ「まんぷく」に出演

2019年(39歳):「GOSTTOWN」で連続ドラマ初主演

2021年(41歳):NHK大河ドラマ「青天を衝け」に出演

 

スポンサードリンク



 

ここまでお読みいただきありがとうございました。ご質問やご意見などがございましたら、お手数をおかけしますがページ上の「お問い合わせ」よりお願いいたします。また出身校や偏差値情報などのリサーチには万全を期しているつもりですが誤りなどがあった場合はご指摘していただけると幸いです。なお返信はあるだけ早くおこなうようにしていますが、数日かかる場合があることをご了承ください。

関連記事一覧

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

目次