女優の夏木マリさんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は夏木さんは高校時代はグループサウンズの追っかけをしており、「ブクロの純」とも呼ばれていました。学生時代のエピソードや情報、若い頃のかわいい画像なども併せてご紹介いたします
夏木マリ(なつき まり)
1952年5月2日生
身長162㎝
血液型はO型
埼玉県出身の女優、タレント、歌手
本名及び旧芸名は中島淳子
以下では夏木マリさんの出身中学校や高校の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介していきます
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夏木マリの学歴まとめ
出身大学:進学せず
出身高校:豊島岡女子学園高校
出身中学校:大宮市立三橋中学校
出身小学校:板橋区立第九小学校→大宮市立三橋小学校
夏木マリの学歴~出身小学校の詳細
出身小学校:東京都 板橋区立板橋第九小学校
※後に転校
夏木マリさんが入学したのは、東京都板橋区内の公立校の板橋第九小学校です。
この小学校は2018年に同じ公立校の板橋第一小学校と統合(合流)されて、現在は板橋第一小学校になっています。
家族構成は両親と弟の4人家族です。
父親が貿易会社のサラリーマンをしていたことから、比較的裕福な家庭に育っています。
子供の頃から歌が大好きで、ピアノも習っていました。
その反面、大の運動音痴で体育が非常に苦手でした。
小学校3年生の時に大宮市内に転居して、大宮市立三橋小学校(現在はさいたま市立三橋小学校)に転校しています。
小学校の頃は合唱部に在籍しています。
またオシャレ好きの母親が毎日違う服を着せたことから、「七面鳥」と言われてイジメられていたことをインタビューで話しています。
「母親は借金してでもいいものを着せたい、食べさせたいという人だった。子供の頃、毎日違う服に着せ替えられていた夏木さんの姿を見た同級生たちから“七面鳥”といじめられたこともあったという」
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夏木マリの学歴~出身中学校の詳細
出身中学校:埼玉県 大宮市立三橋中学校 偏差値なし
※現在はさいたま市立三橋中学校
夏木マリさんの出身中学校は、地元埼玉県大宮市内の公立校の三橋中学校です。
夏木さんは中学では合唱部に入部しようとしましたが、合唱部がなかったことから音楽サークルを自ら立ち上げています。
またバラエティ番組「あいつ今何してる?」に出演した際には、中学時代に交際していた男子がいたことを明らかにしています。
当時は交換日記などをおこなっていました。
加えて当時は夏木さんのことを好きだった男子生徒がもうひとりおり、夏木さんを巡って交際していた男子と決闘したという驚きのエピソードも残っています。
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夏木マリの学歴~出身高校・大学の詳細
出身高校:東京都 豊島岡女子学園高校 偏差値40台(当時)
夏木マリさんの出身高校は、私立の女子高の豊島岡女子学園高校です。
この高校は1892年開校の伝統校の女子校です。
また現在の同校は飛躍的に進学実績が向上し偏差値も74程度の超難関校となっていますが、夏木さんが在籍した当時は主に都立校の滑り止めに受験する高校でした。
ちなみに2018年度には東京大学に18名の合格者を輩出しています。
夏木さんは高校時代からセクシーで、学校のあった池袋界隈では「ブクロのジュン」と呼ばれるほどの有名人でした(本名は中島淳)。
また当時は音楽大学への進学を志望しており、高校と並行して音楽学校にも通学していました。
高校時代は芸能活動をしておらず、当時の夢は音楽教師かスチュワーデスになろうと思っていました。
なお夏木さんは高校時代はグループサウンズの「ザ・テンプターズ」や「ザ・タックスマン」の追っかけをしていました。
特に「ザ・テンプターズ」の萩原健一さんと「ザ・タックスマン」の吉見聖さんがお気に入りでした。
また夏木さんは追っかけの費用を稼ぐために靴屋でアルバイトをしています。
靴屋ではアルバイトに関わらず営業成績がNO.1でした。
ただし当時の夏木さんは稼ぎの大半を「ザ・タックスマン」の吉見さんに貢いでいました。
(吉見聖さんは中央)
ちなみに吉見さんは夏木さんのファーストキスの相手でもありました。
なお夏木さんは高校時代はあまり勉強をしていなかったとインタビューで話しています。
【主な卒業生】
内藤やす子(歌手・中退)
山本真純(アナウンサー)
くらもちふさこ(漫画家)
大学には進学していない
そして夏木マリさんは高校卒業後は大学などに進学せずに、芸能界入りしています。
当初は音楽大学進学を目指していましたが、高校3年生の時に音大対策の予備校に通学していたところをスカウトされたため方向転換したようです。
19歳だった1971年に本名の中島淳子名義で歌手デビューを果たしますが、当初はまったく売れませんでした。
そのためわずか1年でいったんは芸能活動を休止しています。
21歳の時に芸名を夏木マリに改名して再デビューすると、いきなり楽曲「絹の靴下」がヒットして人気歌手となります。
ところがその後に体調を崩して3か月間入院すると、退院後は仕事が激減してしまいました。
「一躍人気歌手になるも あまりの人気に多忙を極め、体調を崩して3か月の入院生活を送る。退院後は状況が一転。メディアの仕事はほとんどなく、待っていたのは8年に渡るキャバレー周りだった」
そのため以降はキャバレー巡りをしていますが、1970年代後半からは女優として注目されはじめます。
そして27歳だった1979年から出演した「Gメン75」で人気女優となっています。
また当時からファッションリーダーとして、数々のCMにも起用されていました。
その後は主に女優として活動しますが、数多くの話題作のテレビドラマや映画に出演してきました。
また2016年には華原朋美さんや土屋アンナさん、シシド・カフカさんらと女性コーラスユニット「and ROSEs」を結成て音楽活動も精力的におこなっています。
今後も楽しみですね。
以上が夏木マリさんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
当初はなかなか売れませんでしたが、21歳の時に再デビュー後はブレイクして、歌手としても女優としても成功を収めています。
またタレントとしても活動するほか、映画の吹き替えなどもおこなっており、多方面でマルチに活躍しています。
その他にも未だにそのファッションセンスが評価されて、モデルにも起用されています。
既に年齢は60歳半ばを過ぎていますが未だに精力的に活動しており、末永い活躍を期待したいところです。
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経歴/プロフィールの詳細
1971年に中島淳子名義の1STシングル「小さな恋」でアイドル歌手デビュー。
1973年に芸名を夏木マリに変えて「絹の靴下」をリリースすると、大ヒットとなる。
1975年のテレビドラマ「Gメン75」で女優デビュー。
1977年の「こちら葛飾区亀有公園前派出所」で映画初出演。
以降も数多くの作品に出演し、テレビドラマの代表作は「カーネーション」や「野ブタを。プロデュース」、「医龍」など。
「里見八犬伝」や「男はつらいよシリーズ」、「ピンポン」などの映画に出演している。
2016年に華原朋美や土屋アンナ、シシド・カフカらと女性コーラスユニット「and ROSEs」を結成。
私生活では2011年にパーカッショニストの斉藤ノヴと結婚した。
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