「RAG FAIR」の土屋礼央さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は土屋さんは父親や祖父が日本画家という芸術一家に育っています。学生時代のエピソードや情報なども併せてご紹介いたします
土屋礼央(つちや れお)
1976年9月1日生
身長173㎝
血液型はA型
東京都国分寺市出身のミュージシャン
アカペラグループ「RAG FIRE」のリードボーカル
本名同じ
以下では土屋礼央さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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土屋礼央の学歴まとめ
出身大学:進学せず
出身高校:都立国分寺高校
出身中学校:国分寺市立第五中学校
出身小学校:国分寺市立第六小学校
土屋礼央の学歴~出身小学校(国分寺市立第六小学校)の詳細・父親は日本画家だった
出身小学校:東京都 国分寺市立第六小学校
土屋礼央さんの出身小学校は公立の共学校の国分寺市立第六小学校です。
家族構成は両親と妹の4人家族です。
父親は日本画家の土屋禮一さんで、土屋さんの名前である「礼央」はレオナルド・ダ・ヴィンチから父親が命名しています。
母親は絵本作家の土屋侑美さんという芸術一家で育っています。
祖父も日本画家の土屋輝雄さんです。
祖母はタレントの新山千春さんの親戚にあたるそうです。
土屋さんは子供のころテレビゲームをやらせてもらえなかったようです。
また小学生の頃に合唱団に入っていたそうですが、飽きてやめてしまったと話していました。
土屋さんは少年時代から埼玉西武ライオンズのファンで、石毛宏典さんを応援しており。読売ジャイアンツをライバル視しているようです。
なお土屋さんは芸術一家に育ったものの中学時代までにたびたび自身の絵に父親からダメ出しを受けたことから、面倒くさくなって絵の道に進まなかったと語っています。
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土屋礼央の学歴~出身中学校(国分寺市立第五中学校)の詳細
出身中学校:東京都 国分寺市立第五中学校 偏差値なし
土屋礼央さんの出身中学校は、地元国分寺市内の公立校の第五中学校です。
土屋さんは中学時代からミュージシャンを志していました。
そのため自身の中ではこの頃から、高校卒業後は大学に進学しないと決めていたそうです。
なお当時は作曲などをおこなったことはありませんでしたが、自分の作った曲は必ず売れるという漠然とした自信があったことをインタビューで話しています。
【主な卒業生】
木田優夫(元プロ野球選手)
土屋礼央の学歴~出身高校(国分寺高校)の詳細
出身高校:東京都 国分寺高校 偏差値67(難関)
土屋礼央さんの出身高校は、都立の共学校の国分寺高校です。
この高校は1969年開校の都立高校で、現在では東京都の多摩地区でも国立高校や立川高校、八王子東高校に次ぐほどの進学校になっています。
2020年度の同校の進学実績は次のようになります(浪人生含む)。
一橋大学:3名
東京工業大学:2名
東京外国語大学:12名
筑波大学:5名
早稲田大学:18名
慶応義塾大学:5名
東京理科大学:20名
明治大学:53名
「RAG FAIR」のメンバーの加藤慶之さんはこの高校の2学年下の後輩です。
土屋さんは高校時代は卓球部に在籍していました。
高校では理系クラスを選択していました。
高校3年生の時に200点満点の数学のテストで4点を取ったことがあるそうです。
どうやら高校時代はさほど成績はよくなかったようです。
また土屋さんは高校時代にコンビニでアルバイトをしており、その際に一緒に働いていた女性から早稲田大学に入学しなくとも大学のサークルに入会できることを知ります。
それを知ったのは高校2年生の春ごろで、その頃に大学に行かないことを決意しています。
そのため以降は昼夜逆転の生活を送っており、曲作りに熱中しています。
当時はパソコンやキーボードを買って夜中に曲を作って、そのまま学校に行って帰ったら寝るという生活をしていました。
高校3年生の時の進路相談ではじめて親に大学に進学しないことを明らかにしていますが、父親で日本画家の土屋禮一さんは次のように述べたそうです。
「親としては大学までは出たほうがいいんじゃないかと思っている。ただ、音楽をやりたいという話はずっと聞いていたし、おまえの言わんとすることは分からないでもない」
記事引用:日経xwoman
この言葉で大学に進学しないことが正式に決まったのですが、当時の国分寺高校で進学しなかったのは恐らく自分だけとインタビューで話しています。
【主な卒業生】
麻木久仁子(タレント)
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土屋礼央の学歴~出身大学の詳細
出身大学:進学せず
土屋礼央さんは高校卒業後は、大学などに進学していません。
高校は進学校に通学していましたが、ミュージシャンを目指していたので大学には進学しませんでした。
高校卒業後にアルバイト先の同僚から「大学のサークルなら学生でなくても入れる」と聞いて、早稲田大学軽音楽サークル「Modern Music Troop」に加入しバンド活動を行っていました。
そして高校時代の卓球部の後輩だった加藤慶之さんから「卒業コンパでカラオケに行ったから歌が上手いのは覚えてる、と。グループの一人が就職して抜けるからメンバーとして入ってくれないか」と誘われて、埼玉大学のアカペラサークルに加入しました。
そして埼玉大学のアカペラサークルのグループは1999年に6人組アカペラボーカルグループ「RAG FAIR」として結成され、2001年にメジャーデビューを果たしています。
「RAG FAIR」はファーストシングル「ラブラブなカップルフリフリでチュー」がいきなりヒットしています。
ただし2011年に無期限活動休止をしており、土屋さんは同年6月からは「TTRE」というソロプロジェクトでマイペースに音楽活動をしています。
そして「RAG FAIR」は翌年2012年に東日本大震災をきっかけにライブ活動を再開しました。
土屋さんは「RAG FAIR」のグループの一員として活動している傍ら、2000年3月からバンド「ズボンドズボン」のリーダーとしても活動していました。
このバンドは土屋さんが「RAG FAIR」以前から活動しており、前身バンドは「ブコビッチ」というグループでしたが2014年に解散しています。
土屋さんは音楽活動のほかタレントとしても活動しており、鉄道好きの趣味を活かして「タモリ俱楽部」などのバラエティ番組に出演しています。
またラジオ番組のパーソナリティとしても人気が高く、「オールナイトニッポン」などに出演していました。
さらに2020年5月にはYOUTUBEに自身のチャンネル「レオらくごちゃんねる」を開設しています。
このように現在は音楽の枠を超えて、かなりマルチな活動を展開しています。
以上が「RAG FAIR」土屋礼央さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
当初はミュージシャンとして注目を集めていますが、その後はタレントやパーソナリティとしても活動して各ジャンルで高い人気を誇っています。
今後のさらなる活躍にも期待が高まります。
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