野田聖子の学歴と経歴|出身大学高校や中学校の偏差値

 

野田聖子(のだ せいこ)

 

 

196093日生

身長168

 

福岡県出身の政治家

自由民主党所属の衆議院議員

旧姓は島聖子

 

経歴・プロフィールの詳細

 

スポンサードリンク



 

祖父は建設大臣などを歴任した野田卯一で弟と妹がいる。

 

 

1984年に祖父の野田卯一の養子となって、野田姓を継ぐ(旧姓は島)

 

1987年に岐阜県議会議員選挙に自民党から出馬して、史上最年少で当選。

 

 

1990年に衆議院議員選挙に出馬するも、自民党の公認を得られずに落選。

 

1993年の衆議院議員選挙で自民党から出馬して初当選。

 

1998年の小渕内閣で史上最年少(当時)で郵政大臣に抜擢(3710か月)

 

 

2005年に郵政民営化法案に反対したことから、衆議院議員選挙では自民党の公認を得られなかったが、刺客の佐藤ゆかりを退けて5選。

 

同年10月に自民党を離党。

 

 

200612月に自民党に復党し、以降は内閣府特命担当大臣などを歴任。

 

私生活では2001年に参議院議員の鶴保庸介と結婚するも、2007年に離婚。

 

2011年に一般人と再婚している。

 

学歴~出身小学校・中学校

 

出身小学校:田園調布雙葉小学校

 

 

野田聖子さんの出身小学校は、私立の女子校の田園調布雙葉小学校です。

 

同校はカトリック系の名門ミッションスクールで、古くからお嬢様学校として知られています。

 

福岡県北九州市の出身ですが、5歳の頃に父親の転勤で田園調布に越してきています。

 

野田さんは子供の頃から非常に活発でおてんばな少女で、スポーツが得意でした。

 

その一方で小学生時代から祖父の選挙活動にも参加して、応援演説もしたこともあります。

 

また小学校の卒業文集には「衆議院議員になりたい」と書いています。

 

出身中学校:田園調布雙葉中学校 偏差値60(推定・やや難関)

 

野田聖子さんは小学校卒業後は、系列の田園調布雙葉中学校に内部進学しています。

 

中学時代には女子サッカー部を創設してフォワードの選手として活躍しましたが、当時は女子サッカーのチームが少なかったので対外試合などはほとんどできませんでした。

 

その他にも中学時代に難関で知られるスキー検定の1級を取得するなど、運動神経のよさを発揮しています。

 

中学3年生の時には生徒会長も務めています。

 

学歴~出身高校の詳細

 

スポンサードリンク



 

出身高校:田園調布雙葉高校(中退) 偏差値61(推定・やや難関)

※ジョーンズヴィル・ハイスクールを卒業

 

野田聖子さんが入学したのは、私立の女子校の田園調布雙葉高校です。

 

同校は幼稚園・小学校から高校まで一貫教育をおこなっており、中学校や高校では募集がないことから偏差値は推定となります。

 

原則として小学校までに入学しなければ、中学・高校に進学できない特殊なシステムの学校で、偏差値もそれほど参考になりません。

 

野田さんも前記のように、系列の田園調布雙葉中学校(偏差値60)を経ての内部進学です。

 

高校時代はロックバンド「クイーン」に熱中して、同級生とロックバンドを結成しています。

 

ところが高校1年生の夏に校則で禁止されていたバイクの教習所への通学がバレたことをきっかけに、同校を中退してしまっています。

 

そのためアメリカ・ミシガン州のジョーンヴィル・ハイスクールに編入。

 

しかも当初から飛び級で3年生のクラスに編入しており、17歳の時に卒業しています。

 

同校ではバスケットボール部に入部して活躍しています。

 

【田園調布雙葉高校の主な卒業生】

雅子さま(皇太子妃)

梅津弥英子(アナウンサー)

須黒清華(アナウンサー)

長野智子(アナウンサー)

 

学歴~出身大学の詳細

 



 

出身大学:上智大学 外国語学部比較文化学科 偏差値58程度(当時)

※入学当時は国際学部

 

 

野田聖子さんは高校卒業後は、上智大学に進学します。

 

なお現在の上智大学外国語学部は偏差値63~65程度ですが、野田さんが在籍した頃の国際学部は現在ほどレベルは高くありませんでした。

 

同大でも学業の傍らスキー部に所属して競技スキーに取り組むなど、スポーツ好きの一面を見せています。

 

大学時代は就職活動に苦労しており大手企業の就職試験にことごとく落ちています。

 

何とか日本航空(JAL)の地上勤務職の内々定が決まりますが、それも取り消されてしまいました。

 

卒業後は帝国ホテルに就職して、女性従業員ではじめて国際セールス部に抜擢されるなど、優秀な働きぶりでした。

 

25歳の時に祖父の講演会の関係者に政治家に転身することを勧められ祖父の養子となって野田姓に改姓、翌年に史上最年少で岐阜県議会議員に当選。

 

最初の国政への挑戦は自民党の公認を得られずに落選しますが、33歳の時に2度目の挑戦で衆議院議員選挙に当選しました。

 

以降は当時の史上最年少で入閣するなど、順調にキャリアを重ねていきます。

 

郵政民営化で自民党を離党したもの、1年あまりで復党して要職を歴任。

 

今後の自民党の総裁選への出馬も噂され、東京都知事の小池百合子さんと並んで、初の女性総理大臣の候補のひとりとされています。

 

今後の動向にも注目です。

 

スポンサードリンク



 

コメントは受け付けていません。

サブコンテンツ

このページの先頭へ