菅義偉の学歴|出身大学高校や中学校の偏差値と経歴や若い頃の画像

 

「令和おじさん」として脚光を浴びた菅義偉さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りします。実は菅さんは大変な苦学生で政治家にありがちな高学歴でもありませんでした。学生時代のエピソードや情報、若い頃の画像なども併せてご紹介いたします 

 

菅義偉(すが よしひで)

 

 

1948126日生身長

非公表

血液型はO型

 

秋田県出身の政治家、元内閣総理大臣

自由民主党所属




 

目次

経歴・プロフィールの詳細

 

1975年に小此木彦三郎衆議院議員の秘書となり11年間務める。 

1987年に横浜市議会選挙に出馬して当選し、市議を2期務める。 

1996年の衆議院議員選挙に自民党から出馬して初当選。 

2006年の自民党総裁選挙で安倍晋三を支え、当選4回にも関わらず安倍内閣では総務大臣に起用されて初入閣を果たす。 

2012年の第2次安倍内閣で、内閣官房長官に起用される。 

201677日に官房長官の在職期間が1,290日となって、歴代1位になった。 

既婚者で息子が1人いる。

 

菅義偉の学歴~出身大学の詳細

 

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出身大学:法政大学 法学部政治学科二部 偏差値48(やや容易・閉鎖時)

※現在は二部は廃止

 

 

 

菅義偉さんは高校卒業後は、いったんは大学に進学せずに上京してダンボール工場に就職しています。

 

前述のように家業を継ぎたくなかったので、「東京に行けばなにかある」と思い集団就職しました。

 

ちなみに菅さんが北海道教育大学を受験したという情報もありましたが、本人はインタビューで明確に否定しています。

 

ところが就職後に現実の厳しさを思い知り、2年後に一念発起して法政大学に進学します。

 

「東京で自分の好きなことをやろうっていう程度でした。そこで初めて、現実がいかに厳しいかに気がついたわけです。私が一番思い出したくない青春です。そうして、やっぱりどこかの大学に入らなきゃまずいなと思いはじめたのです」

 

大学に進学するにあたっては入学金を貯めるために、築地市場で台車運びなどのアルバイトもしています。

 

入学したのは二部(夜間部)でしたが、同大の法学部二部は2004年をもって募集停止となっています。

 

※追記

2020年8/11日の「日刊ゲンダイ」の報道によれば、菅さんは夜間部ではなく昼間部の卒業であることや集団就職を「作り話」としています

 

「菅の学歴についても「夜間部卒」と一部で報じられているが、実際は昼間の「法政大学政治学科卒」。集団就職も作り話だ」

 

また菅さんも「メディアで2つくらい法政の夜間部であると書いてたものもありましたが、昼です」と昼間部に在籍していたことを明らかにしており、WIKIPEDIAなども法政大学法学部政治学科卒(偏差値60)と記載を変更しています。

 

この大学を選んだのは当時の首都圏の私立大学の中で、もっとも学費が安いという理由でした。

 

また大学時代も4年間にわたって様々なアルバイトをして、学費や生活費をねん出していました。

 

ちなみにアルバイトはガードマンやカレー店の店員、新聞社の雑用などの仕事をおこなっていました。

 

大学時代は「厳しいところで自分を鍛えたい」と思って、同大の空手道部にも入部しています。

 

 

当時の経緯については菅さんはインタビューで、次のように話しています。

 

「当時私はアルバイトをしながら大学に通っていました。苦しい生活ではありましたが、だからこそ自分を徹底的に鍛え、礼節を重んじ、自らを律するという空手道、そして空手道部はまさに願ってもない鍛錬の場となりました」

 

このあたりにも菅さんのストイックさが垣間見られるエピソードですね。

 

ちなみに空手道部では1、2年生の時は上級生との実力差もあったことから大変苦労したとも述べています。

 

大学時代に政治家を志していますが、そのことについては次のように述べています。

 

「人生は一回きりだから自分の思うように生きたいと考えるようになったんです。それが政治の世界に入ることだった。政治は世の中の根幹だ。そこで自分の力を試したい。そして、日本を変えたいと思った」

 

ただし当時の菅さんは親戚や知り合いに政治家がいなかったことから法政大学の就職課にかけあって、OBの政治家を紹介してもらっています。

 

大学OBの中村梅吉衆議院議長つてで、当時衆議院議員だった小此木彦三郎さんの秘書となります。

 

秘書時代は誰よりも早く事務所に行って、誰よりも多くの仕事をこなしています。

 

このような努力もあって、事務所内でも一目置かれる存在になっています。

 

38歳だった1987年に横浜市の市議会議員となって政治家としてのキャリアをスタートさせています。

 

 

ただしこの際には所属する自民党からも反対の声があがったことから下馬評は決して高くなく、それを跳ね返すために1日300軒も回って奇跡の当選を果たしています。

 

48歳だった1996年に衆議院議員に初当選します。

 

 

2012年の安倍晋三政権の発足に伴い官房長官に起用されて、安倍政権を支えています。

 

※追記

2020年8月の安倍晋三総理大臣の辞意表明により、にわかに有力な次期総理大臣候補に踊り出てきました。

 

これまで菅さんは「ポスト安倍」を頑なに否定してきました。

 

しかし今回は名乗りを上げるようですので、今後の動向にも注目です。

 

やはり9/2に総裁選に名乗りを上げました。

 

対立候補は石破茂さんと岸田文雄さんになる見通しですが、麻生派や二階派の支持も取り付けたことから、総裁選では圧倒的に有利と言われています。

 

岸田文雄の学歴|出身大学高校や中学校の偏差値と学生時代のエピソード

 

石破茂の学歴|出身大学高校や中学校の偏差値|若い頃の画像

 

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菅義偉の学歴~出身高校の詳細

 

出身高校:秋田県 湯沢高校 偏差値57(中の上・現在)

 

 

 

菅義偉さんの出身校は、県立の共学校の湯沢高校です。

 

同校は部活動が盛んで、特にハンドボール部や剣道部が全国大会で優勝するほどの強豪です。

 

後述するように中学時代は部活動に励んでいますが、高校は実家から遠かったため部活動はできませんでした。

 

菅さんは高校に進学するにあたって、同級生がわずか30人になったことをインタビューで話しています。

 

「私のところでは、同級生の友だち百二十人のうち、六十人が中学校を卒業して東京に集団就職していました。残った六十人のうち、三十人は農家を継いで、高校に行ったのは三十人しかいない。そんな田舎でした」

 

高校時代に父親から家業を継ぐために農業大学への進学を勧められていますが、断っています。

 

また親戚が教師だらけだったことから、「教師にだけはなりたくなかった」と語っています。

 

ちなみに菅さんの2人のお姉さんもともに教師になっています。

 

そのため前記のように高校卒業後は上京してダンボール工場に就職していますが、本人は「家出同然だった」とインタビューで話しています。

 

「青雲の志なんてたいそうな話じゃない。どんよりした雲。降り積もる雪。農家の長男だから農業を継がなければならない。とにかく田舎から逃げ出したい、その一心。家出同然だった」

 

【主な卒業生】

おおひなたごう(漫画家)

 

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菅義偉の学歴~出身中学校の詳細

 

出身中学校:秋田県 雄勝町立秋ノ宮中学校 偏差値なし

※現在は湯沢市立雄勝中学校

 

 

 

菅義偉さんの出身中学校は、地元雄勝(おがち)町の公立校の秋ノ宮中学校です。

 

中学時代は野球部に在籍しています。

 

(中学時代)

 

野球部ではサードで1番打者を務めています。

 

当時の同級生のインタビューではバットを投げ出すような変わった打撃フォームで、そのため先生からちゃんと構えて打つように言われましたが、決して考えを曲げなかったそうです。

 

また打率も4割近くあったので先生も諦めて何も言わなくなったとのこと。

 

菅義偉の学歴~出身小学校の詳細

 

出身小学校:秋田県 雄勝町立秋ノ宮小学校

※現在は湯沢市立雄勝小学校

 

 

 

菅義偉さんの出身小学校は、地元雄勝町内の公立校の秋ノ宮小学校です。

 

地元の雄勝町は人口9000人ほどの小さな町でしたが、2005年に湯沢市と合併しています。

 

家族構成は両親と姉2人、弟の6人家族です。

 

実家はいちご農家として成功しており、父親も町議会議員を務めています。

 

父親の和三郎さんは冬は出稼ぎに出る農家が多かったことからいちごの栽培に取り組んで成功し、雄勝町町議を4期務めています。

 

そのため実家は裕福で「豪農」とされています。

 

実際に菅さんのほか、2人の姉も1960年代に大学に進学して教員免許を取得しているので裕福だったことは間違いなさそうです。

 

菅さんは子供の頃から目立つタイプではなかったそうです。

 

また運動神経が非常によく、小学校時代はスキーやバスケットボール部、相撲、陸上などのスポーツに打ち込んでいます。

 

以上が菅義偉官房長官の学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

政治家としては決して目立つ人物ではないものの、屋台骨として安倍内閣を支え続けています。

 

 

有能な実務家であることには疑いようがありません。

 

また元号が令和に変わった際には「令和おじさん」とも呼ばれています。

 

 

末永い活躍を期待したいところです。

 

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