歌舞伎役者で俳優としても人気の高い中村獅童さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りします。実は中村さんは高校時代は問題児でした、母親のお陰で不良になれなかったそうです。学生時代のエピソードや情報なども併せてご紹介いたします
中村獅童(なかむら しどう)
1972年9月14日生
身長177㎝ 体重63kg
血液型はO型
東京都出身の歌舞伎役者、俳優
本名は小川幹弘(おがわ みきひろ)
以下では中村獅童さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどもご紹介いたします
スポンサードリンク
中村獅童の学歴まとめ
出身大学:日本大学 芸術学部(中退)
出身高校:明星学園高校
出身中学校:明星学園中学校
出身小学校:明星学園小学校
中村獅童の学歴~出身小学校(明星学園小学校)の詳細
出身小学校:東京都 明星学園小学校
中村獅童さんの出身小学校は、私立の共学校の明星学園小学校です。
ここまででわかるように中村さんは「お受験」こそしたものの、高校までエスカレーター式に進学しています。
家族構成は両親と本人の3人家族です(ひとりっ子)。
祖父は三代目中村時蔵さんで、父親は初代中村獅童さんです。
(初代中村獅童)
しかし中村さんの幼少期に父親が歌舞伎役者を廃業したので、子供の頃から歌舞伎界での後ろ盾をなくしています。
それでも中村さんは6歳の頃から歌舞伎役者を志しており、楽屋の支度は母親の陽子さんが務めています。
なお小学校は歌舞伎役者が多く在籍する私立の男子校の暁星小学校に進学する予定でしたが、入学試験の体力測定で逆走したことから不合格になって明星学園に進学しています。
中村さんは小学校時代はスポーツにも励んでおり、学校ではサッカークラブに在籍していました。
また本業の歌舞伎でも師匠が不在ながら11歳だった1983年に「松竹社長賞」を受賞しています。
ただし後ろ盾が不在だったことから、中学進学以降は出演作が激減しています。
中村獅童の学歴~出身中学校(明星学園中学校)の詳細
出身中学校:東京都 明星学園中学校 偏差値54(普通)
中村獅童さんの出身中学校は、私立の共学校の明星学園中学校です。
この中学校は出身校に併設している系列校で、高校へは内部進学で進んでいます。
中村さんは当時も一応歌舞伎役者だったことから、中学校・高校を通じて部活動などはおこなっていません。
中学時代にロックに傾倒して、ロックバンドをはじめています。
スポンサードリンク
中村獅童の学歴~出身高校(明星学園高校)の詳細
出身高校:東京都 明星学園高校 偏差値59(中の上)
中村獅童さんの出身高校は、私立の共学校の明星(みょうじょう)学園高校です。
この高校は1924年開校の私立高校で、自由な校風で芸能活動も認めていることから多くの芸能人を輩出していることで知られています。
また歌舞伎役者の在籍も多く、市川左團次さんや河原崎國太郎さんらも卒業生です。
中村さんはこの高校に在学中は、料理研究家のケンタロウさんと同級生でした。
また中学時代に引き続き高校時代もロックバンドを組んで音楽活動に熱中しています。
高校時代はローリングストーンズのコピーバンドを組んでいました。
当時はロックバンド「UP-BEAT」のPVにエキストラとして出演したこともあります。
また当時の中村さんは問題児で、親がしょっちゅう学校に呼び出されたことをインタビューで話しています。
「いや、しょっちゅう呼び出されてました。遅刻は多い、勉強はしない、人の話は聞かない。目立ちたいから先生にちょっかい出してたし、本当にいやな子どもだったと思います」
ところが母親の小川陽子さんは腹が座っており、ノコギリで切った竹を先生に渡して「これでひっぱたいてください」と言っています。
(小川陽子さん)
さらに中村さんが高校時代に金髪にした際には母親に叱られることも期待しましたが、「あらいいじゃない」と一緒に記念撮影をしたほどです。
またライブハウスに出演した際に見たことあるおばさんが踊り狂っていたところ、よく見たら母親だったというエピソードまで残っています。
そのため中村さんは「不良になりきれなかった」と話しています。
なお高校時代は歌舞伎役者としては開店休業状態であまり目立った活動はしていませんでした。
そのため当時は歌舞伎役者を辞めて、音楽の道に進むか真剣に悩んだそうです。
【主な卒業生】
土屋アンナ(女優)
宮崎あおい(女優)
小栗旬(俳優・中退)
加賀まりこ(女優)
幾田りら(ミュージシャン)
スポンサードリンク
中村獅童の学歴~出身大学(日本大学)の詳細
出身大学:日本大学 芸術学部 演劇学科(中退) 偏差値50(普通)
中村獅童さんは高校卒業後は、日本大学に進学しています。
在籍したのは芸術学部演劇学科です。
ただし現役合格ではなく、1年間の浪人生活を経ての進学です。
大学在学中はロックバンドを結成して、音楽活動に熱中しています。
また大学時代は吉祥寺のラーメン店でアルバイトをしています。
詳細は後述しますが中村さんは高校時代は歌舞伎役者はやる気がありませんでした。
しかし大学1年生の時に授業の一環として客席から歌舞伎を観たことで、再び歌舞伎の道を歩むことを決意します。
このあたりの経緯については中村さんはインタビューで次のように話しています。
「ちょうど大学生の時、学校の授業で歌舞伎を観に行ったんです。自分が生きてきた世界を、客席でちゃんとチケット代を払って観客として、客観的に観ることは初めてだったので、その時に初めて自分が生きてきた歌舞伎界が、ものすごく新鮮に映ったんですよね。観終わった後はレポートを書いたりして」
記事引用:Omosan STREET
またその際に一緒に見ていた学生たちも「歌舞伎スゲー」などと言っていたことから、中村さんは歌舞伎のカッコよさを伝えたい気持ちが芽生えたと語っています。
そのため時期は不明ですが、大学は中退してしまっています。
しかし再び歌舞伎界に戻ったものの、後ろ盾がなかったことから役が付かずに、最終列に並んでいるだけの役など下積み生活も続きました。
ところが努力で演技力を磨くと、歌舞伎界でも徐々に頭角を現していきます。
24歳だった1996年に「歌舞伎座賞」を受賞し、翌年には「国立劇場特別賞」を受賞しています。
また並行してドラマや映画に出演していましたが2000年に映画「ピンポン」で日本アカデミー賞新人賞を受賞したことを契機に、数多くの作品に起用されることになります。
その後は歌舞伎役者としても俳優としても売れっ子になり、現在に至ります。
2020年にはYOUTUBEに公式チャンネルを開設しています。
こちらのチャンネルでは主に家族の出来事を紹介しています。
以上が中村獅童さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
若い頃は出演作が少なく苦労も重ねていますが、人気歌舞伎俳優になっています。
また歌舞伎の枠にとらわれない活動を展開しており、数々のテレビドラマや映画に出演しています。
さらに2005年に人気女優の竹内結子さんと結婚した際には、大きな話題になっています。
現在でも精力的な活動を展開しており、今後にも期待ですね。
経歴・プロフィールの詳細
8歳だった1981年に初舞台。
当初から二代目中村獅童を名乗っていたが、初代の父親が既に歌舞伎役者を廃業していたので、師匠不在でスタートした。
1989年の「春日局」でドラマ初出演し、「利休」で映画初出演。
1996年に歌舞伎座賞を受賞し、翌年に国立劇場特別賞を受賞。
2000年の映画「ピンポン」で日本アカデミー賞新人賞を受賞。
2004年の「いま、会いにゆきます」で映画初主演。
以降は数多くの作品に出演し、代表作は「隣人13号」や「硫黄島からの手紙」、「振り子」など。
私生活では2005年に竹内結子と結婚して長男が誕生するも、2008年に離婚。
2015年1月に一般人女性と再婚した。
スポンサードリンク
ここまでお読みいただきありがとうございました。ご質問やご意見などがございましたら、お手数をおかけしますがページ上の「お問い合わせ」よりお願いいたします。