萩本欽一の学歴|出身は駒沢大学・駒込高校!中学校の偏差値と学生時代のエピソード

 

コメディアンの萩本欽一さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りします。「コント55号」で一世を風靡した萩本さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報なども併せてご紹介いたします

 

萩本欽一(はぎもと きんいち)

 

 

194157日生

身長164㎝、体重65kg

血液型はA

 

東京都台東区出身のコメディアン、タレント

本名同じ、愛称は欽ちゃん

 

以下では萩本欽一さんの学歴や出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介していきます

 

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目次

萩本欽一の学歴まとめ

 

出身大学:駒沢大学 仏教学部(中退)

出身高校:駒込高校

出身中学校:台東区立御徒町中学校

出身小学校:台東区立西町小学校→浦和市立高砂小学校→台東区立西町小学校

 

萩本欽一の学歴~出身小学校(台東区立西町小学校)の詳細

 

出身小学校:東京都 台東区立西町小学校

※現在は閉校

 

 

 

萩本欽一さんの出身小学校は、台東区立西町小学校です。

 

家族構成は両親と兄2人、姉2人、弟の6人きょうだいです。

 

東京都台東区の出身ですが、小学生時代に父親がカメラの製造販売で成功したことから、浦和市で家を建てて裕福な生活を送っています。

 

浦和時代は大きな洋館風の屋敷に住んでおり、お手伝いさんが2人もいたほどです。

 

また萩本さんは小学生時代から成績優秀で、学校では毎年のように級長を務めていました。

 

小学校5年生の時に父親の会社が倒産し、再び台東区の長屋に戻って来ています。

 

長屋では6畳と4畳半の部屋で、家族5人で暮らしています。

 

浦和時代は浦和市立高砂小学校に通学していましたが、再びこの小学校に出戻って卒業しています。

 

前記の通りそれ以後は高校を卒業するまで、かなりの貧乏な生活を強いられています。

 

萩本欽一の学歴~出身中学校(台東区立御徒町中学校)の詳細

 

出身中学校:東京都 台東区立御徒町中学校 偏差値なし

※現在は御徒町台東中学校

 

 

 

萩本欽一さんの出身中学校は、地元台東区の公立校の御徒町中学校です。

 

中学時代は野球部に所属して当初はプロ野球選手を目指していますが、バッティングが苦手だったことからすぐに諦めています。

 

後に社会人野球チーム「茨城ゴールデンゴールズ」を結成していますが、萩本さんの野球好きは当時からでした。

 

 

中学時代に母親が借金取りに頭を下げているのを見て、この時点で大学への進学を諦めています。

 

また極貧生活から抜け出したかったことから、中学校卒業後に当時浅草を代表する喜劇役者だった大宮敏充さんに弟子入りを懇願していますが、「せめて高校を出てからおいで」と断られたエピソードも残っています。

 

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萩本欽一の学歴~出身高校(駒込高校)の詳細

 

出身高校:東京都 駒込高校 偏差値6064(現在・やや難関)

 

 

 

萩本欽一さんの出身高校は、私立の男子校(当時)の駒込高校です。

 

この高校は1926年開校の仏教系の私立高校で、現在は共学化されて進学率も上昇しています。

 

高校時代から学費を稼いだり、家計を助けたりするために、新聞配達などのアルバイトに明け暮れています。

 

高校では野球部に在籍していましたが、アルバイトが忙しかったことから、部活動は満足におこなえませんでした。

 

ただし当時からコメディ映画が好きだったことから、毎日のようにチャップリンの映画を見ていました。

 

中学3年生の時に一家は台東区から文京区に移りますが、極貧生活を余儀なくされて、萩本さんが高校在学中に一家で夜逃げしています。

 

そして萩本さんが高校を卒業する頃には、生活苦から「家族を解散した」と話しています。

 

以降はコメディアンになるために東八郎さんに弟子入りしていますが、他の家族の連絡先はいっさい聞かずに、10数年間は家族と音信不通でした。

 

そして売れっ子になって母親と10数年ぶりに母親に再会しています。

 

その際には母親からは意外にも「昼間に帰ってくるんじゃありません。近所にバレたらどうするの?」という言葉が返ってきたことを明らかにしています。

 

つまり母親は息子がコメディアンという「恥ずかしい職業」に就いてしまったことを後悔していたそうです。

 

【主な卒業生】

亀井絵里(モーニング娘。・中退)

唐十郎(作家)

大滝秀治(俳優)

 

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萩本欽一の学歴~出身大学(駒沢大学)の詳細

 

出身大学:駒沢大学 仏教学部(中退) 偏差値42(容易)

 

 

 

萩本欽一さんは高校卒業後は、大学などには進学せずに芸能活動に専念しています。

 

25歳の時に坂上二郎さんと「コント55号」を結成するとすぐに人気に火がついて、多くのテレビ番組に出演。

 

 

その後は徐々に個人での活動にシフトしていきますが、1970年代から80年代半ばにかけては「視聴率100%男」と呼ばれるほど、冠番組が高視聴率を記録しています。

 

 

その後は人気は落ち着いたものの、72歳だった20144月に駒沢大学に進学して世間を驚かせています。

 

大学入学当初は講義の内容を理解するのに苦しんでおり、本人も「特別扱い」してくれると思ったと話しています。

 

また大学への進学は亡くなった母親の夢だったことから決めています。 

 

萩本さんは実家が貧乏で中学時代に大学進学を諦めていますが、母親はずっとそれを気にしていたそうです。

 

その後は本人の努力もあって、授業にもついていけるようになりました。

 

順調なら20193月に卒業予定ですが、大学院へ進学するとの報道もされています。

 

※追記

2019年に萩本さんは駒沢大学を自主退学(中退)しました

 

とは言え一世を風靡した人物がこの年齢で、再び学問に臨むというのは非常に立派ですね。

 

以上が萩本欽一さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

人気最盛期にはテレビで見ない日はないほどの多くのテレビ番組に出演しており、出演していた「スター誕生」や「欽ドン!」、「オールスター家族対抗歌合戦」などの番組は軒並みの高視聴率を記録していました。

 

 

現在は出演番組は減ったものの、「全日本仮装大賞」や「24時間テレビ」などで未だに多くの視聴者に親しまれています。

 

 

末永い活躍を期待したいところです。

 

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