清木場俊介の学歴|出身は宇部鴻城高校!大学や中学校の偏差値|不良だった

 

「EXILE」の元メンバーでATUSHIさんとのツインボーカルで知られた清木場俊介さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は清木場さんはかなりの不良でした。学生時代のエピソードや情報なども併せてご紹介いたします

 

清木場俊介(きよきば しゅんすけ)

 

 

1980年1月11日生

身長173㎝、体重63㎏

血液型はO型

 

山口県宇部市出身のシンガーソングライター

「EXILE」の元メンバー

本名同じ、旧芸名は「SHUN」

 

以下では清木場俊介さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします

 

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目次

清木場俊介の学歴まとめ

 

出身大学:進学せず

出身高校:宇部鴻城高校(中退)

出身中学校:宇部市立黒石中学校

出身小学校:宇部市立厚南小学校

 

清木場俊介の学歴~出身小学校(宇部市立厚南小学校)の詳細

 

出身小学校:山口県 宇部市立厚南小学校

 

 

清木場俊介さんの出身小学校は、地元宇部市内の公立校の厚南(こうなん)小学校です。

 

家族構成は両親と2人の兄の5人家族です。

 

 

父親が音楽好きだった影響で、小学校時代から尾崎豊さんや長渕剛さんの楽曲に親しんでいます。

 

そのため当時から歌手志望でした。

 

なお清木場さんは幼い頃からかなりやんちゃな子供だったとインタビューで話しています。

 

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清木場俊介の学歴~出身中学校(宇部市立黒石中学校)の詳細

 

出身小学校:山口県 宇部市立黒石中学校 偏差値なし

 

 

清木場俊介さんの出身中学校は、地元山口県宇部市内の公立校の黒石中学校です。

 

中学時代もかなりの不良で、ケンカなどは日常茶飯事だったそうです。

 

また学校でも問題児で先生に「とりあえず座っているだけでいいので授業に出ろ」と言われたエピソードが残っています。

 

図書館の本を燃やしてしまったこともあるそうです。

 

先生たちもかなり手を焼いていたようですね。

 

ただし清木場さんは中学校の先生には卒業後も相談に行くなどしたことをインタビューで話しています。

 

「僕はかなりやんちゃだったから(笑)、かなり迷惑掛けました。でも、先生に相手にされてるのがうれしかったし、毎日がハッピーで楽しい思い出しかないですね。先生には、卒業してからも仕事の悩みがあると学校に相談しに行ってたし、今でも年に1回はご飯食べますね」

記事引用:WEBザテレビジョン

 

当時のこの学校の先生たちとは関係が良好のようです。

 

また清木場さんは中学時代もバンドを組んで地元の仲間と音楽活動をしていました。

 

清木場俊介の学歴~出身高校(宇部鴻城高校)・大学の詳細

 

出身高校:山口県 宇部鴻城高校(中退) 偏差値38~50(学科不明のため)

 

 

清木場俊介さんが中学校卒業に進学したのは、私立の男子校(当時)の宇部鴻城高校です。

 

この高校は部活動が盛んで、特に硬式野球部が県内では強豪として知られています。

 

また清木場さんが在籍した当時は男子校でしたが、2004年に男女共学となっています。

 

加えて同校は以下の5つのコースを設置していますが、清木場さんがどのコースに在籍したかは不明です。

 

特別進学:偏差値50

普通:偏差値40

医療秘書:偏差値38

機械:偏差値38

自動車工学:偏差値38

 

ただし医療秘書コースは男女共学後に設置されており、また当時の清木場さんは不良だったことから、「普通」や「機械」、「自動車工学」のいずれかに在籍していた可能性が高そうです。

 

高校時代には暴走族に入っていたことを明らかにしています。

 

 

清木場さんは高校時代はバンドを組んでおり、ボーカルを務めています。

 

ところが高校1年生の時にこの高校の教員に暴力を振ったことが原因で、退学処分を受けています。

 

 

また以降も高校に入学し直したりしておらず、大学などにも進学しています。

 

なお清木場さんが教員に暴力を振るったのは兄のことを侮辱されたからで、被害者側の教員側にも問題があった可能性もあります。

 

とは言え当時の清木場さんはかなりやんちゃで不良だったそうです。

 

高校卒業後はとび職や大工などのガテン系の仕事を転々としており、19歳の頃には自らの建設会社を設立しています。

 

また高校中退後も音楽活動は継続していましたが、18歳の時にバンドは解散しています。

 

しかしその後は単独でオリジナル曲を作って、ギターの弾き語りの路上ライブなどもおこなっていました。

 

そのため清木場さんの歌唱力は路上ライブで培っています。

 

そして20歳の時に地元のテレビ局のオーディションを受けて優勝した際に、avexの社員の目に留まっています。

 

そのことは「EXILE」のリーダーのHIROさんの耳にも「山口にすごいボーカルがいる」と伝わっています。

 

ちょうどこの頃「EXILE」(当時はJ SOUL BROTHRS)は初代ボーカリストのSASAさんが脱退したこともあり、ボーカリストを探していました。

 

そのため清木場さんは「ASAYAN」のオーディションに出場していたATUSHIさんとともに呼び出され、HIROさんはその歌声を聞くとすぐに惚れ込んで「EXILE」への加入が決定しています。

 

 

ちなみに清木場さんも「ASAYAN」のオーディションを受けており地方予選のいいところまで進出しましたが、審査員の態度にムカついて辞退したとの報道もあります。

 

当時はかなり短気でキレやすかったようです。

 

見た目はATUSHIさんのほうが怖そうですが彼は実は真面目で、本当に怖いのは清木場さんのほうでした。

 

以降はATUSHIさんとともにツインボーカルを務めて、「EXILE」の黄金期を築いています。

 

 

しかし清木場さんは人気絶頂期の2006年3月にソロ歌手になるために「EXILE」を脱退しています。

 

脱退理由については音楽性の違いと言われており、清木場さんはよりロックよりの音楽を志向していたようです。

 

以降も「天国は待ってくれる」や「JET」などのヒット曲をリリースしています。

 

 

またグループ脱退後も「EXILE」やATUSHIさんと絶縁したわけではなく、ツアーなどでもシークレットゲストとして登場してファンを喜ばせています。

 

 

今後もこのような交流は続きそうですね。

 

以上が清木場俊介さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

「EXILE」時代はATUSHIさんとのツインボーカルで、数々の名曲を世に送り出してきました。

 

ソロ歌手となって以降も数々のヒット曲をリリースして、前記のように時としてEXILEのライブにも登場することもあります。

 

 

今後のさらなる活躍にも期待が高まります。

 

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