狩野舞子の学歴|出身高校大学や中学校の偏差値と若い頃のかわいい画像

 

元バレーボール選手でタレントの狩野舞子さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は狩野さんは中学時代に全日本代表候補に選ばれたほどでした。学生時代のエピソードや情報、当時のかわいい画像なども併せてご紹介いたします

 

狩野舞子(かのう まいこ)

 

 

1988715日生

身長185㎝、体重68kg

血液型はA

 

東京都三鷹市出身の元バレーボール選手、タレント

本名同じ、愛称は「マイコ」

 

以下では狩野舞子さんの学歴と経歴、出身中学校や高校の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介していきます

 

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目次

狩野舞子の学歴まとめ

 

出身大学:進学せず

出身高校:八王子実践高校

出身中学校:八王子実践中学校

出身小学校:三鷹市立第四小学校

 

狩野舞子の学歴~出身小学校(三鷹市立第四小学校)の詳細

 

出身小学校:東京都 三鷹市立第四小学校

 

 

 

狩野舞子さんの出身小学校は、地元三鷹市内の公立校の第四小学校です。

 

3人姉妹の末っ子で、次姉の狩野美雪もバレーボール選手です。

 

父親は実業団で活躍したバレーボール選手で、母親も東京女子体育大学で選手として活躍したバレーボール一家に育っています。

 

しかし狩野さんは当初は女子サッカーをしていました。

 

小学校4年生の時に三鷹市の大沢スポーツクラブでバレーボールをはじめていますが、当時はどちらかといえばサッカーのほうがメインだったようです。

 

とは言え小学校6年生で既に身長が174㎝もありました。

 

 

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狩野舞子の学歴~出身中学校(八王子実践中学校)の詳細

 

出身中学校:東京都 八王子実践中学校 偏差値42(容易)

 

 

 

狩野舞子さんは小学校卒業後は、私立の共学校の八王子実践中学校に進学しています。

 

出身高校の系列中学にあたり、高校には内部進学の形で進んでいます。

 

狩野さんは小学校時代はサッカーに打ち込んでいましたが、この中学校には女子サッカー部がありませんでした。

 

また男子に交じってプレーするほどの思いもなかったことから、「バレーでいいか」といった軽い気持ちでバレーボール部に入部しています。

 

しかし小学校6年生で既に身長が174㎝もあったことや同校のバレーボール部も強豪だったことから、中学時代にバレーボール選手として大きく開花しています。

 

狩野さんは中学生時代に全国都道府県対抗大会の東京選抜のメンバーに選ばれたばかりか、中学3年生の頃には中田久美さん以来24年ぶりとなる中学生で日本代表候補に選ばれています。

 

 

ただし腰痛のため、この頃に全日本入りは果たせませんでした。

 

また狩野さんも当時は名前だけが独り歩きするのが怖かったとインタビューで話しています。

 

「そもそも中学生の時に初めて代表合宿に参加した時も、すぐに外されると思っていたんです。それが18名から15名になってもまだ残っていた。実力不足は自分が一番よくわかっているし、場違い感しかないのに、何で私ここにいるの? って。結局脚のケガで(最終メンバーから)外れて、ホッとしたんですけど学校に戻れば“日本代表の狩野舞子”って色眼鏡で見られる。名前ばかり独り歩きするのが、すごく嫌だし、怖かったです」

記事引用:Number web

 

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狩野舞子の学歴~出身高校(八王子実践高校)・大学の詳細

 

出身高校:東京都 八王子実践高校 偏差値43(容易)

 

 

 

狩野舞子さんの出身高校は、私立の共学校の八王子実践高校です。

 

この高校は女子バレーボール部が春高バレーの強豪として知られ、全国大会の常連です。

 

またこのところは「J特進」(偏差値62)や「特進」(同56)などの進学コースを設けていますが、狩野さんが在籍した時代にはそのようなコースはなく、また調理科があった時代です。

 

 

前記のように狩野さんは中学時代に全日本代表候補になったことからかなり注目を集めていましたが、母親の出身高校であるこの高校に進学しています

 

ちなみにお姉さんの美雪さんもこの高校のバレーボール部の出身です。

 

高校1年生の時からエースとして春高バレーなどで活躍し、高校2年生からはチームのキャプテンを務めています。

 

 

しかし高校時代から骨の成長に筋肉の発達が追いつかなかったことが原因の腰痛に悩まされており、高校時代も目標だった日本代表入りは果たせませんでした。

 

現在の同校のバレーボール部も強豪ですが、狩野さんが在籍した当時のほうが練習量も多く、まさにバレー漬けの高校時代でした。

 

高校3年生だった2006年には、「春高バレー」のポスターにも起用されています。

 

(右は八子大輔さん)

 

このポスターについては狩野さんは後のインタビューで、次のように振り返っています。

 

「びっくりしますよね。しかもこんなにどアップで(笑)。当時は取材や撮影があっても何に載るかはわからないまま受けていたので、ポスター撮影だったこともその日の練習が始まるまで知らなかった。直前の練習でめちゃくちゃ怒られて、微妙な顔で撮影したのはよく覚えています」

記事引用:Number web

 

ちなみにチームはこの年の春高バレーに出場したものの、狩野さんの腰痛などもあり3回戦で敗退しています。

 

【主な卒業生】

大林素子(タレント・元バレーボール選手)

登坂広臣(三代目 J Soul Brothers

 

なお高校卒業後は実業団の久光製薬に入団したので、大学などには進学していません。

 

高校を卒業した2007年に久光スプリングに入団していますが、期待が高かったものの当初からアキレス腱断裂などのケガに悩まされています。

 

 

それでも本人の努力もあり、21歳だった2009年にはじめて日本代表に選出されています。

 

以降はイタリアのセリエAでもプレーしています。

 

 

2012年のロンドンオリンピックのメンバーに選ばれて、銅メダルを獲得しています。

 

この年に久光に復帰していますが、セッターに転向しています。

 

 

そして狩野さんは29歳だった2018年5月に、2度目の引退を発表してコートから去っています。

 

以降はタレントやスポーツキャスターとして活動を開始しています。

 

また2020年からは、YOUTUBEに公式チャンネル「マイコチャンネル」を開設しています。

 

 

こちらのチャンネルでは企画ものなどが好評になっています。

 

以上が狩野舞子さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

現役時代は美人アスリートとして注目されて、バラエティー番組などにもたびたび出演してきました。

 

引退後はバレーボールの解説者としての活動のほか、さらにテレビ出演が増えることも予想されます。

 

またMLBで活躍する大谷翔平選手との結婚情報がマスコミに取り上げられるなど、未だに何かと注目される存在です。

 

 

今後のさらなる活躍にも期待が高まります。

 

経歴

 

2007年に久光製薬スプリングスに入団して、Vプレミアリーグデビュー。 

20094月に初の全日本メンバー入り。 

20101月に左アキレス腱を断絶して、7月に久光製薬を退団。 

201011月にイタリア1部リーグ「パヴィーア」に入団し、セリエA1にデビュー。

20116月に全日本に復帰。 

2012年のロンドンオリンピックのメンバーに選出されて、チームは銅メダルを獲得。 

20129月に久光製薬に復帰して、セッターへ転向。 

20156月に現役引退を発表したが、20167月にPFUブルーキャッツに入団して現役復帰。 

20184月に2度目の現役引退を発表した。

 

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