木村沙織の学歴と経歴|出身は成徳学園高校!大学や中学校の偏差値と若い頃のかわいい画像

 

元バレーボール選手の木村沙織さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。長らく日本代表として活躍した木村さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、若い頃のかわいい画像なども併せてご紹介いたします

 

木村沙織(きむら さおり)

 

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1986819日生

身長185cm 体重68kg

血液型はO型

 

埼玉県八潮市出身の元プロバレーボール選手

元東レ・アローズ所属

本名同じ、愛称は「さおりん」

 

以下では木村沙織さんの学歴や経歴、出身中学校や高校の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介していきます

 

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目次

木村沙織の学歴まとめ

 

出身大学:進学せず

出身高校:成徳学園高校

出身中学校:成徳学園中学校

出身小学校:あきる野市立多西小学校

 

木村沙織の学歴~出身小学校の詳細

 

出身小学校:東京都 あきる野市立多西小学校

 

 

 

木村沙織さんの出身小学校は、あきる野市内の公立校のあきる野市立多西(たさい)小学校です。

 

家族構成は両親と妹の4人家族です。

 

 

妹の美里さんも東レ・アローズに所属するバレーボール選手でしたが、2018年に引退しています。

 

 

小学2年生の時にバレーボールをはじめており、当時のことについてインタビューでは次のように話しています。

 

「小学校2年生の時からですね。母がママさんバレーをやっていて、それにくっついて遊びに行っていたんです。それである日、秋川JVCというクラブの関係者の方に誘われて、という流れです」

 

 

秋川JVCでは身長の高さに関係なく全員が守備やスパイクも打つという練習法だったことから、土台を作ることができたそうです。

 

木村さんは習い事をしても続きませんでしたが、バレーボールは唯一続いておりインタビューでは次のように話しています。

 

「英会話、習字、ピアノ、どれも続かなかったんですけど、バレーだけはずっと。最初は日に日に上達する感覚が楽しくて、気がついたら得意になっていた感じです」

 

そのため当時は習い事感覚でバレーボールをやっていましたが、一度だけ小学4年生の時にバレーボールを辞めたこともありました。

 

木村さんは子供が好きだったことからこの頃から保育士を目指していました。

 

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木村沙織の学歴~出身中学校の詳細

 

出身中学校:東京都 成徳学園中学校 偏差値46(当時・やや容易)

※現在は閉校

 

 

木村沙織さんの出身中学校は、私立の女子校の成徳学園中学校です。

 

この中学校は出身高校に併設されていた系列校ですが2003年に生徒の募集が停止になって、その後に閉校になっています。

 

 

木村さんが小学生の頃に同校の先生が誘いに来てくれたため、進学することを決めており当時の状況について次のように話しています。

 

「その学校の先生が来てくれて、私ともうひとり同じクラブの子を誘ってくれました。家から学校まで2時間ほどかかって遠かったんですが、その子と『一緒に行こう』となって。両親は『行きたいならサポートするよ』という感じでした。」

 

中学時代もバレーボール部に在籍をしており、部活動に打ち込んでいました。

 

インタビューでは次のように話しています。

 

「当時の成徳には中学校にもバレー部があって、高校生と一緒に練習していました。ボールは5号球、ネットも高校の試合と同じ高さでしたね。その6年間で技術なども高められたんですが、もっとも鍛えられたのは自主性です。」

記事引用:webスポルティーバ

 

中学時代も大山さんや荒木さんとはチームメイトで切磋琢磨しています。

 

また中学時代も木村さんは全国大会で優勝を経験しています。

 

ちなみに中学入学時は身長が163㎝ほどでしたが、中学3年間で15㎝も伸びています。

 

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木村沙織の学歴~出身高校・大学の詳細

 

出身高校:東京都 成徳学園高校 偏差値46(やや容易・当時)

※現校名は下北沢成徳高校

 

 

 

木村沙織さんの出身高校は、私立の女子校の成徳学園高校です。

 

この高校は1927年開校の私立高校で、バレーボール部が全国的な強豪として知られています。

 

また2003年に校名が下北沢成徳高校に変更されています。

 

加えて現在は特進コースなどを設置して進学率も向上していますが(偏差値は50~57)、当時は現在ほどのレベルではありませんでした。

 

木村さんはこの高校の系列の中学校に通っていたことから内部進学で進んでいます。

 

また高校時代もバレーボール部に在籍して、部活動に打ち込んでいました。

 

 

バレーボール部の2学年上には、ともに元日本代表の大山加奈さんと荒木絵里香さんも在籍していました。

 

(右から大山さん、荒木さん、木村さん)

 

木村さんは中学・高校時代の6年間は両親が送り迎えをしてくれており、インタビューで次のように話しています。

 

「朝6時の電車に乗っていたので、いつも5時40分くらいに家を出て、車のなかで朝ごはんを食べて、夜は練習が終わるのは7時か7時半くらい。そこから電車に乗って家に着くのは9時くらいですね。練習が長引いたときは家につくのが11時くらいになるときもありました。ほとんど寝に帰っていたような感じです。」

 

母親は働いていましたが、送り迎えだけでなく木村さんのテスト勉強にも付き合ってくれていたと当時を振り返っています。

 

高校時代は高身長だったことからから電車に乗ると目立ち、お洒落もしづらかったため恥ずかしかったと話していました。

 

後述するように子供の頃から保育士になることが夢でしたが、高校生の時にはすでに身長が180cmを越えていたことから子供が怖がるのではないかと思い保育士の夢は諦めています。

 

木村さんは大山さんと荒木さんが抜けた高校2年生の頃(2003年)から、チームの主力選手になっています。

 

 

その年のインターハイは3位に終わりますが、素質を見込まれてはじめて日本代表に選ばれてアジア選手権に出場しています。

 

 

木村さんは全日本入りをした時の心境について次のように話しています。

 

「いつもテレビで全日本の試合を見ていたので、テレビで見ていた人たちと一緒に練習している状況が不思議でしょうがなかったです。」

記事引用:スポーツ応援サイトGrowing

 

この時は一緒に練習できることを嬉しく思っていましたが、その後も日本代表に呼ばれるとは思っておらず「こんな機会はもうないだろうから、いろいろ吸収して帰ろう」と思っていたことを明かしています。

 

高校3年生の春高バレーでは木村さんが決勝の試合中に足首をねん挫したことから、チームも敗戦しています。

 

しかしその年に再び日本代表に選ばれると、アテネオリンピックの最終予選で大活躍して「スーパー女子校生」と呼ばれブレイクしています。

 

 

ただし木村さんは高校3年生の時には腰の状態が悪く椎間板ヘルニアと診断されて、思うようにプレイできない日々が続きました。

 

高校卒業後の進路を考えた時には母親からは「大学や短大に進む道もある。バレーがすべてじゃないから、バレーを選ばなくていいよ」と言われています。

 

 

しかし自分でしっかりと考えた結果、バレーがやりたいと思ったため実業団の東レアローズに入団を決意しています。

 

木村さんは当初は吉原知子さんが所属していたパイオニアに入りたいと思っていましたが、東レアローズに入団することになった経緯についてインタビューで次のように話しています。

 

「東レの担当者の方が毎日のように高校まで足を運んで、練習を見にきてくれた。バレー部の監督も推してくれたんですが、当時の私は天邪鬼だったというか、『そこまでされると、逆に行きたくない』となって渋っていた時期がありましたね(笑)。結局は東レに入り、1年目から試合に出させていただいて、そこからリーグ優勝などいろんな経験をさせていただきました」

 

【主な卒業生】

黒後愛(バレーボール選手)

石川真佑(バレーボール選手)

戸川純(歌手)

 

木村さんは高校卒業後は大学などに進学せずに、実業団・東レアローズに入団しています。

 

以降の活躍も周知の通りで、長らく日本代表の中心選手として活躍しています。

 

 

26歳だった2012年には、日本代表の28年ぶりの銅メダル獲得に大きな貢献をしています。

 

 

30歳だった2017年3月に現役を引退しています。

 

するとこの年の12月に、元ビーチバレー選手の日高裕次郎さんと結婚して大きな話題になっています。

 

 

木村さんは現役引退以降はタレントとして活動を開始して、バラエティ番組やスポーツ番組に出演しています。

 

また長身を活かしてファッションモデルとしてランウェイにも出演しています。

 

 

さらに2020年には夫の日高さんとともに、YOUTUBEに公式チャンネルを開設しています。

 

 

こちらではトレーニングや食べまくりの動画が人気になっています。

 

以上が木村沙織さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

現役時代はエースとして長らく日本の女子バレーをけん引してきました。

 

引退後はタレントやモデルを務めていますが、未だに高い人気を誇っています。

 

 

今後の活躍にも期待が高まります。

 

経歴・プロフィールの詳細

 

両親もバレーボール経験者で、その影響で小学校2年生の時にバレーチームに入団する。 

高校2年時に春高バレーで優勝し、全日本代表に招集され11月のワールドカップで代表初出場。 

2004年のアテネオリンピック最終予選ではスタメン出場するなど活躍し、「スーパー女子高生」としてブレイク。 

長きにわたり全日本のエースとして活躍し、2012年のロンドンオリンピックでは、28年ぶりのメダル獲得に貢献した。

同年7月バレーボール選手としては破格の1億円の年俸で、ワフクバンク・テュルクテレコム(トルコ)に移籍し話題になる。 

2014年に帰国し、東レに復活し東レ初のプロ契約選手として活躍したが、2016年のシーズン限りで現役を引退。

同年12月に元ビーチバレー選手の日高裕次郎と結婚した。

 

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