人気バンド「アジアンカンフージェネレーション」の後藤正文さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りします。後藤さんは高校時代まで野球に打ち込んでいました。学生時代のエピソードや情報なども併せてご紹介いたします
後藤正文(ごとう まさふみ)
1976年12月2日生
身長160㎝
血液型はO型
静岡県島田市出身のミュージシャン
「アジアンカンフージェネレーション」のボーカル、ギター担当
以下では「アジカン」後藤正文さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
後藤正文の学歴~出身小学校の詳細
出身小学校:不明
後藤正文さんの出身小学校は、地元島田市内の公立校のようですが校名などは不明です。
ただし出身中学校の校区からすれば、以下の2校のいずれかの可能性が高そうです。
島田市立六合小学校
島田市立六合東小学校
家族構成は両親と弟、妹の5人家族です。
後藤さんは子供の頃からスポーツが得意で、小学校時代から野球をはじめています。
当時の夢はプロ野球選手でした。
後藤正文の学歴~出身中学校の詳細
出身中学:静岡県 島田市立六合中学校 偏差値なし
「アジカン」後藤正文さんの出身中学校は、地元島田市内の公立校の六合中学校です。
後藤さんは野球部に入部し、中3のときは右翼手のレギュラーだったそうです。
中学時代の部活で一番印象に残っていることについてインタビューで次のように話していました。
「印象に残っているのは引退試合かな。左翼線にパチーンと打って。田舎のグランドって広いから、そのままランニング本塁打になった。生涯で唯一の本塁打です。」
中学校の時は高校の時とは違い、中3になるとすんなりと試合に出ることができていたそうです。
このように後藤さんの中学・高校時代は野球部での活動が中心にありました。
なお当時から音楽好きで、中学時代は「ユニコーン」がお気に入りでした。
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後藤正文の学歴~出身高校の詳細
出身高校:静岡県 島田高校 偏差値53(普通)
「アジカン」後藤正文さんの出身高校は、県立の共学校の島田高校です。
この高校は部活動が盛んで、陸上部が県内でも強豪として知られています。
後藤さんは野球をやりたかったためこの高校を受験しました。
野球部の練習は大変で授業中は寝ていたため、高校3年生の頃に文系で最下位の成績だったそうです。
また野球部の監督も厳しかったようで練習試合の負け方が納得いかずに、対戦相手の藤枝明誠高校から10km以上の距離を走って帰らされて、その後練習をしたこともあったそうです。
ただ監督がいないときはサッカーをしてみたりと、要領がいいタイプだったようです
そんな後藤さんですが高校の時に一度野球部をやめたことがあり、その時のことをインタビューで次のように話しています。
「中学の時は頭が悪くても「これからものすごく筋肉が発達して背が伸びて、もしかしたらプロになれるかも」とか思ったりする。でも高校に入って現実にぶち当たって、そういう夢とか希望とかが一個一個引っぺがされていくんです。丸裸の高校生になって、「もうプロになれるわけねえじゃん」って。」
そんな時に周りの友達は好きなことをして高校生活を満喫しているのを見て、心が折れてしまったそうです。
野球をやめた後でこのままだと中途半端な未練が残ると自分の中で腑に落ちないところがあり、半年後に頭を丸坊主にして監督に謝罪をして復帰することになりました。
復帰できた後でも試合には出られずに精神面を保つのが大変だったそうですが、高校野球をやっていてレギュラーに入れなかったことをインタビューで次のように話します。
「高校に入って、ベンチのやつはこんな思いでいるんだ、ってのが体験出来た。ベンチだから見える景色があるのかなと。それはずっと出続けているやつには絶対見えない景色だから。」
中学時代にレギュラーで試合に出ることができた経験とベンチで悔しい思いをした両方を知っているからこそ、こんな風に思うことができたのかもしれません。
【主な卒業生】
三遊亭遊喜(落語家)
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後藤正文の学歴~出身大学の詳細
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出身大学:神奈川県 関東学院大学 経済学部二部 偏差値不明
※経済学部二部は廃止
「アジカン」後藤正文さんは高校卒業後、1年間の浪人時代を経て私立の関東学院大学に進学しています。
在籍したのは経済学部二部(夜間部)で、2008年に廃止されています。
ちなみに現在の同大の昼間部の経済学部の偏差値は40程度ですが、当時の経済学部二部の偏差値は不明です。
なお後藤さんは農業系の大学に進学希望でしたが、すべて不合格になってしまったのでこの大学に進学しています。
後藤さんは浪人時代から音楽をはじめており、大学入学後も音楽サークルに入ろうと考えていました。
この時に音楽サークルの集合場所を間違ってしまい、そこで喜多建介さんと出会います。
この出会いが「ASIAN KUNG-FU GENERATION」を結成するきっかけとなり、2人はこの大学の軽音楽部に入部します。
同じ軽音楽部でドラマーとして活躍していた伊地知潔さんもグループに加わります。
ちなみに「ASIAN KUNG-FU GENERATION」のグループ名を命名したのは後藤さんだったそうで、バンドを組む前からバンド名が決まっていたそうです。
大学時代は全英語詩のオリジナル曲で校内や横浜市でライブ活動をしていました。
「ASIAN KUNG-FU GENERATION」を結成して1年後の大学2年生の時に、フジロックの第一回が開催されたことをインタビューで次のように話しています。
「第一回が開催された97年はまだ大学生で、僕はテスト期間中で行けなかったんですけど、「日本にもロック・フェスができる」「このメンツが一日で観れる」ということで先輩たちが騒いでいたのを覚えていますね。誰かが行くとか行かないとかいう話を聞きながら、羨ましいなぁと思っていました。でも、自分はテストだから「チャンスないよな」って(笑)。」
後藤さんたちはフジロックに行きたいと思いながらも諦めたのですが、第2回目のフジロックには参加することができたようです。
大学卒業後は後藤さんを含めてメンバーは会社員として働きながら、バンド活動を継続しています。
そして26歳だった2003年4月にバンドはミニアルバム「崩壊アンプリファー」でメジャーデビューを飾っています。
また翌年にリリースした3枚目シングル「サイレン」がオリコン2位になって、バンドはブレイクしています。
以降は「リライト」や「ワールドアパート」、「ソラニン」などの数々のヒット曲をリリースしています。
また現在でも精力的な活動を展開しています。
以上が「アジカン」後藤正文さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
メジャーデビューは20代後半と遅咲きでしたが、バンドは国内でも有数の人気を誇っています。
またバンド活動の傍らで、「Gotch(ゴッチ)」の名義でソロアルバムもリリースしています。
今後のさらなる活躍にも期待が高まります。
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