近藤サトの学歴|出身は日本大学・多治見北高校!中学校の偏差値と若い頃のかわいい画像

 

フリーアナウンサーの近藤サトさんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。グレーヘアーでお馴染みの近藤さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、若い頃のかわいい画像なども併せてご紹介いたします

 

近藤サト(こんどう さと)

 

 

1968711日生

身長162

血液型はB型

 

岐阜県土岐市出身のフリーアナウンサー

元フジテレビ所属

 

以下では近藤サトさんの学歴や経歴、出身高校や大学の偏差値、高校時代や大学時代のエピソードなどをご紹介します

 

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目次

近藤サトの学歴まとめ

 

出身大学:日本大学 芸術学部放送学科

出身高校:岐阜県立多治見北高校

出身中学校:土岐市立泉中学校

出身小学校:土岐市立泉小学校

 

近藤サトの学歴~出身小学校(土岐市立泉小学校)の詳細

 

出身小学校:岐阜県 土岐市立泉小学校

 

 

 

近藤サトさんの出身小学校は、地元土岐市内の公立校・土岐市立泉小学校です。

 

家族構成は両親と6歳年下の弟です。

 

父親はコンタクトレンズのメーカーに勤めるサラリーマンでした。

 

近藤さんはお父さんっ子だったことから、読書感想文の添削をしたり、ニュース番組を見ながら意見を言い合う相手も父親でした。

 

子供の頃はおてんばで目立ちたがり屋な性格でした。

 

習い事はクラシックバレエをやっていました。

 

近藤さんがアナウンサーの目指すことになったきっかけについてインタビューで次のように話しています。

 

「私は岐阜県出身で、小学生のころは今よりも放送局が少ない時代でした。当時、NHKのニュース番組のキャスターを見て、『すてきだな』と憧れたのが、最初のきっかけです。』

 

小学生の頃は国語の朗読が得だったことから、他のクラスにも出張をして朗読をしていたそうです。

 

近藤さんは小学生の頃から成績が良かったことから、毎年学級委員長を務めており小学6年生の時には児童会長を務めていました。

 

近藤サトの学歴~出身中学校(土岐市立泉中学校)の詳細

 

出身中学校:岐阜県 土岐市立泉中学校 偏差値なし

 

 

 

近藤サトさんの出身中学校は、地元岐阜県土岐市内の公立の土岐市立泉中学校です。

 

 

中学時代は剣道部に在籍をするなど、スポーツも好きだったようです。

 

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近藤サトの学歴~出身高校(岐阜県立多治見北高校)の詳細

 

出身高校:岐阜県 多治見北高校 偏差値67(難関)

 

 

 

近藤サトさんの出身高校は、県立の共学校の多治見北高校です。

 

この高校は1958年開校の県立校で岐阜県内でも上位の進学校として知られており、これまで多くの人材を政財官界に輩出しています。

 

近藤さんの父親は転勤族だったことから、友人と離れるのが嫌で高校生からは下宿をして一人岐阜に残っています。

 

 

高校時代は様々なタイプの男子からよくモテていたそうです。

 

高校時代には既に将来の夢をマスコミ関係に定めていました。

 

【主な卒業生】

神奈月(モノマネタレント)

 

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近藤サトの学歴~出身大学(日本大学)の詳細

 

出身大学:日本大学 芸術学部放送学科 偏差値50(普通)

 

 

 

近藤サトさんは高校卒業後は、日本大学に進学しています。

 

近藤さんはマスコミに関する仕事に就職するためには上京した方が良いと考えており、同大の芸術学部放送学科にご縁があったため進学しています。

 

大学時代は朗読サークルに在籍をしていました。

 

同大の芸術学部放送学科ではアナウンスの基本を学んでおり、インタビューでは次のように振り返っています。

 

「放送学科の授業では、アナウンスの基本を学んでいましたが、それでアナウンサーになれる保証はありません。そこで、将来の目標に役立つ経験を積みたいと考え、学生時代はマスコミ関連のアルバイトに精を出しました。」

 

近藤さんは好奇心旺盛で何でもやってみたいと思うような性格だったこともあり、アルバイトではラジオ局やテレビ局、出版社などマスコミに関係するものは片っ端から体験をしています。

 

テレビ局(NHK)ではADにはじまり最終的にはリポーターまで務めていました。

 

近藤さんは自身が大学時代に受けた指導についてインタビューで次のように話しています。

 

「当時はかなりのスパルタ教育でした。ひたすら学生たちに基本を叩きこむ。もちろん、弱音や泣き言は一切聞いてくれない。真夏の暑い日中、ぶっ通しの朗読に疲れきって思わずフロアに倒れ込んでも声すらかけてもらえませんでした。」

 

かなり厳しい指導でしたが先生には愛情や人間的な魅力があったことから、指導方針に疑問を持ったことはなかったと言います。

 

近藤さんはその先生に指導をしてもらったことでどんな原稿でも読めるようになり、人間形成の大切さを知りました。

 

口も悪く眼光も鋭い先生でしたが厳しく指導されたおかげで今の自分があると話しています。

 

なお近藤さんは2011年からは同大の芸術学部の特任教授も務めています。

 

大学を卒業した1991年に、フジテレビにアナウンサーとして入社しています。

 

 

同期には中村江里子さんと小泉陽一さんがいます。

 

ちなみにフジテレビに入社をして間もない頃は近藤さんのアナウンス力が新人っぽくなかったことから、中途採用だと噂になっていました。

 

近藤さんは大学時代に受けた指導が入社後に活かされて大きく評価されていたと話しています。

 

そのためフジテレビに入社1年目でニュース番組に抜擢されています。

 

 

ただしストレスで生放送中に胃痙攣を起こし緊急搬送されたこともあったそうです。

 

フジテレビ時代は、大人びた雰囲気と低音の声質で人気アナウンサーとなりました。

 

 

当時は主に報道番組に出演していましたが、安定したアナウンス力には定評がありました。

 

30歳だった1998年9月にフジテレビを退職して、この年の11月に歌舞伎役者の板東八十助さんと結婚しています(ただし2000年に離婚)。

 

 

フリー転身後はナレーターを担当することが多く、様々なテレビ番組のナレーションを手掛けています。

 

 

また白髪染めをしないグレーヘアーが話題になっています。 

 

以上が近藤サトさんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

フジテレビ時代は人気アナウンサーのひとりでしたが、実力派としても知られていました。

このところはタレントとしても情報番組のコメンテーターを務めるなど多方面で活動しています。

 

 

今後のさらなる活躍にも期待したいところです。

 

近藤サトの経歴

 

19914月にフジテレビにアナウンサーとして入社。 

1992年から「FNNスピーク」に出演。 

1993年から「FNNスーパータイム」に出演。 

1994年から「笑っていいとも!」のテレフォンアナウンサーを担当。 

19989月にフジテレビを退職して、フリーアナウンサーに転身。 

2002年から「爆笑問題の開け!記憶の扉」に出演。 

情報番組やバラエティー番組のナレーションを務めることも多い。 

私生活では1998年に坂東八十助と結婚するが、2000年に離婚。

2003年に会社経営者と再婚して、翌年に長男を出産。

 

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