ミュージシャンの竹原ピストルさんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。俳優としても人気が高い竹原さんですが、学生時代はボクシングに打ち込んでおり全国大会に出場した経験もありました。学生時代のエピソードや情報、若い頃のかっこいい画像なども併せてご紹介いたします
竹原ピストル(たけはら ぴすとる)
1976年12月27日生
身長非公表
血液型はA型
千葉県千葉市出身のミュージシャン、俳優
本名は竹原和生(たけはら かずお)
以下では竹原ピストルさんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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竹原ピストルの学歴まとめ
出身大学:道都大学 社会福祉学部
出身高校:拓殖大学紅陵高校
出身中学校:千葉市立蘇我中学校
出身小学校:千葉市立生浜小学校
竹原ピストルの学歴~出身小学校(千葉市立生浜小学校)の詳細
出身小学校:千葉県 千葉市立生浜小学校
竹原ピストルさんの出身小学校は、地元千葉市内の公立校の生浜小学校です。
家族構成は両親と姉の4人家族です。
父親はハワイアンバンドのメンバーだったことから、自宅にギターやピアノなどの学期が沢山ある環境で育ちました。
子供の頃は電子オルガンを習っていました。
自身の音楽活動の原点は小学校時代に会ったと話しており、当時を次のように振り返っています。
「自分の音楽活動の原点は、当然ながら野孤禅で初めてステージに立ったあの日だって思ったんですけど、1人になって考えると、小学校のときにキャンプファイヤーの余興で歌ったあの歌とか、あのときやった劇とか、なんちゃって漫才とか、不思議とその辺くらいまでさかのぼるんですね。」
竹原ピストルの学歴~出身中学校(千葉市立蘇我中学校)の詳細
出身中学校:千葉県 千葉市立蘇我中学校 偏差値なし
竹原ピストルさんの出身中学校は、地元千葉市内の公立校の千葉市立蘇我中学校です。
中学時代は野球部に在籍をしていました。
学生時代から目立ちたがり屋だったことから、先生にもなぜ目立とうとするのか聞かれたことがありました。
インタビューでは次のように話しています。
「『なんで君はそんなことをしちゃうの?』って(笑)。クラスメイトにしょうもないことを言って笑い声が上がったときや、みんなの前で歌を披露して盛り上がったときの感覚がたまらなく好きで。いまも自分の根底にあるのは、そういう『目の前にいる人をどうやって楽しませようか』っていう気持ちなんですよね。」
【主な卒業生】
永島敏行(俳優)
粟生隆寛(ボクシング元世界チャンピオン)
小野塚勇人(俳優)
松井奏(IMPACTors)
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竹原ピストルの学歴~出身高校(拓殖大学紅陵高校)の詳細
出身高校:千葉県 拓殖大学紅陵高校 偏差値41(容易)
竹原ピストルさんの出身高校は、私立の共学校の拓殖大学紅陵高校です。
この高校は1978年開校の私立高校です。
同校は部活動が盛んで、硬式野球部やボクシング部は強豪として知られています。
また現在は特進コース(偏差値57)を設置して進学率も向上していますが、竹原さんが在籍した当時は普通科のみの設置でした。
竹原さんは高校時代もボクシングに在籍をしており、副部長を務めていました。
また全日本選手権に出場するほどの実力でした。
竹原さんがボクシングに打ち込んでいた理由は「人前に出たい」という気持ちもあったと話しており、当時のことについてインタビューで次のように話しています。
「それも絶対にあったと思います。単純にかっこいいなと思ってたし、あんまり人がやらないことをやって目立ちたかった。それこそ、リングに上がってみたかったんです。」
また高校時代には音楽活動もしており、3人組バンド「PALETT」を結成してライブハウスに出演をしていました。
当時は長渕剛やブルーハーツを好んで聴き、将来はミュージシャンになりたいと思うようになります。
加えて休み時間にはクラスメイトと漫才コンビを組み、漫才を披露したこともありました。
ちなみに芸名の「竹原ピストル」は高校時代の親友が名付け親です。
【主な卒業生】
飯田哲也(元プロ野球選手)
成田美寿々(プロゴルファー)
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竹原ピストルの学歴~出身大学(道都大学)の詳細
出身大学:道都大学 社会福祉学部 偏差値35(かなり容易)
※現在は星槎道都大学
竹原ピストルさんは高校卒業後は、北海道の道都大学に進学しています。
在籍したのは社会学部です。
なお現在のこの大学は札幌市近郊の北広島市にキャンパスを設置して社会学部もそちらのキャンパスにありますが、竹原さんが在籍した当時は紋別キャンパスのみの時代でした。
紋別キャンパスは2005年に廃止され、2016年より名称も星槎道都大学になっています。
また竹原さんはボクシングのスポーツ推薦での進学のようで、同大でもボクシング部に所属します。
ボクシング部では主将を務め、全国大会に2度も出場するほどの実績を残します。
(大学時代)
竹原さんは自身の学生時代のことについてインタビューで次のように話しています。
「僕は野球やボクシングを一生懸命やって、目立ちたがり屋で、文化祭のステージにも上がりたがる少年だったんですけど、例えば休み時間にアニメのイラストを描いてる女の子とか、コアなF1雑誌を読んでる男子にもすごく興味があったんです。よせばいいのに『何を描いてるの?』って話しかけてノートを隠されたりしてましたから(笑)。」
記事引用:ナタリー
大学時代にヒップホップを聴くきっかけになった出来事についてインタビューで次のように話しています。
「ボクシングで練習中に音楽をかけたりするじゃないですか。あれって学生も同じでして、大学生の時にチームメイトがいきなりかけたのがBUDDHA BRANDだったんです。“くそカッコけぇじゃん!”って言ったら、“他にもこういう人たちがいるよ”ってILLMARIACHI、KGDR、RHYMESTER、Zeebraさんとかを教えてくれて、ヒップホップはいっぱい聴いてきたんですよ。」
また大学在学中に知り合ったハマノヒロチカさんと卒業後に「野狐禅」を結成しており、当時のことについては次のように話しています。
「大学卒業後、人生に目標を見出すことができずに、それに焦りを感じながらも結局はだらだらと日々を過ごしてしまっていたぼくと、同じように同じような日々を過ごしてきた濱埜宏哉が、『このままでは死んでいるのと同じだろう。生きるとは、何か一つの夢に向かって全情熱をぶつけ続けること、全力疾走し続けていくことではないだろうか。そういった意味でしっかりと生きていこう』とそんな思いから結成したバンドです。」
記事引用:TAP the pop
竹原さんは大学時代に音楽活動を開始していますが、大学は卒業しています。
大学を卒業した1999年に、ハマノさんとフォークバンド「野狐禅」を結成しています。
「野狐禅」は2003年にメジャーデビューを飾っていますが、2009年に解散しています。
また竹原さんは2006年に映画「青春金属バット」で俳優デビューしています。
音楽面でもソロになってインディーズで活躍していましたが、2014年にメジャーに復帰しています。
2020年にはYOUTUBEに公式チャンネルを開設しています。
また出演作は少ないものの役者としての評価も高いことでも知られています。
役者としても注目ですね。
以上が竹原ピストルさんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
大ヒットこそないものの、熱狂的なファンから高い支持を受けています。
また役者としても高い演技力を誇っています。
今後のさらなる活躍にも期待が高まります。
経歴・プロフィールの詳細
1999年にフォークバンド「野狐禅」(やこぜん)を結成し、2003年にメジャーデビュー。
2006年に映画「青春☆金属バット」で主演として俳優デビュー。
野狐禅はシングル6枚、アルバム4枚を残すも2009年に解散。
その後はインディーズでソロ活動をし、2011年に出演した映画「さや侍」の演技で注目される。
2014年の映画「私の男」の出演を経て、2016年に出演した「永い言い訳」の演技が評価され、日本アカデミー賞助演男優賞にノミネート。
既婚者で男児がひとりいる。
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