俳優の笹野高史さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りします。名バイプレーヤーとして知られ数々の話題作に起用されている笹野さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、若い頃の画像なども併せてご紹介いたします
笹野高史(ささの たかし)
1948年6月22日生
身長167㎝
血液型はO型
兵庫県多賀村(現在は淡路市)出身の俳優、タレント
本名同じ
以下では笹野高史さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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笹野高史の学歴まとめ
出身大学:日本大学 芸術学部映画学科
出身高校:兵庫県立洲本高校
出身中学校:一宮町立一宮中学校
出身小学校:洲本市立第三小学校
笹野高史の学歴~出身大学(日本大学)の詳細
出身大学:日本大学 芸術学部映画学科(中退) 偏差値48(やや容易・現在)
笹野高史さんは高校卒業後は、日本大学に進学しています。
在籍したのは芸術学部映画学科です。
後述するように笹野さんは映画俳優を志していたため、上京をして東京の大学に進むと俳優の勉強ができると思っていました。
芸術学部の俳優学科を希望していましたが、恥ずかしかったので映画学科に在籍しています。
大学入学後には演劇サークルに所属していました。
また在学中に劇団自由劇場のスタッフとなり劇団の運営などにも携わっていました。
加えて当時は学生運動の全盛期で、笹野さんも関わっていました。
理由は不明ですが、大学は2年生の半ばで中退しています。
以降は兄の知り合いの船会社に就職をして、船乗りとして海外の港を行き来する生活を送っていました。
しかし俳優の夢を諦められなかったことから、24歳の時に自由劇場に復帰して舞台俳優としてデビューをしています。
以降は自由劇場の数々の舞台に出演して、31歳だった1979年に舞台「上海バンスキング」で俳優として注目されています。
1980年代からは多くのテレビドラマや映画に出演しています。
2007年には、映画「武士の一分」で日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞しています。
またタレントとしても活動しており、数多くのバラエティ番組にも出演しています。
今後の活動にも注目ですね。
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笹野高史のの学歴~出身高校(兵庫県立洲本高校)の詳細
出身高校:兵庫県 洲本高校 偏差値55(中の上・現在)
笹野高史さんの出身高校は、県立の共学校の洲本高校です。
同校は1897年開校の伝統校で、淡路島でももっとも古い高校として知られています。
また淡路島ではもっともレベルの高い高校なので、昔から難関大学に進学する卒業生がいました。
高校時代は陸上部と音楽部に在籍をしていました。
その際も本当は演劇部に入りたかったのですが、当時は演劇部に在籍する男子生徒はほとんどいなかったことから、恥ずかしくて入れませんでした。
陸上部では短距離走と走り幅跳びを担当種目としており、音楽部ではテナーサックスを担当していました。
笹野さんは子供の頃から体が弱く、陸上部での練習中に血尿が出たこともあってドクターストップによって陸上部を辞めました。
また音楽部でパフォーマンスを披露した際には、演劇部の目に留まったことで文化祭の演劇にも参加をしています。
笹野さんは高校時代から実年齢よりも上に見られていたことを明かしています。
【主な卒業生】
阿久悠(作詞家)
キムラ緑子(女優)
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笹野高史の学歴~出身中学校(一宮町立一宮中学校)の詳細
出身中学校:兵庫県 一宮町立一宮中学校 偏差値なし
※現在は淡路市立一宮中学校
笹野高史さんの出身中学校は、地元兵庫県一宮町内の公立校・一宮町立一宮中学校です。
中学時代は野球部に在籍をしていました。
中学生になり将来の夢を考えたときに母親とよく一緒に映画館に行ったことを思い出し、映画俳優になろうと考えるようになりました。
当時のことについてインタビューで次のように話しています。
「(劇場の)暗がりの中で母親がハンカチに口をあててシクシク泣く姿を覚えていた。よし、おふくろが食い入るように見ていた映画俳優に僕もなろう!」
とは言え自宅に帰って自身の顔を見てみたところ、そこに映っているのはニキビだらけでじゃがいもみたいな顔でした。
自分のような容姿では映画俳優にはなれそうにないと挫けそうになったといいます。
しかし笹野さんは個性的な脇役の方に目が向くようになり、このことについてはインタビューで次のように話していました。
「脇の人たち、個性的な人が多ございまして、あくの強い個性的な人。そういう人たちが別の映画ではまた違う役をやっていたりするのが不思議に思えて、面白い仕事だなって志しました」
笹野高史の学歴~出身小学校(洲本市立第三小学校)の詳細
出身小学校:兵庫県 洲本市立第三小学校
笹野高史さんの出身小学校は、公立の洲本市立第三小学校です。
家族構成は両親と3人の兄の6人家族です(4人兄弟の末っ子)。
実家は江戸時代からの作り酒屋で笹野さんが生まれた時には景気が良く、裕福な家庭だったことから「笹野のぼん」と呼ばれていました。
しかし3歳の時に父親が結核で亡くなっており、その看病をしていた母親も結核を患っています。
母親が療養をしている間は祖母に預けられており、厳しく躾をされていました。
その後、笹野さんが11歳の時に母親も結核で逝去しています。
当時のことについてインタビューでは次のように振り返っていました。
「小学5年生で両親がいなくなった私は、家庭の教育がなされていなくてどこか欠陥があると思います。」
なお笹野さんは、子供の頃から人前に立ったり目立つことが好きでした。
以上が笹野高史さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
主演作こそほとんどありませんが、数々の話題作に起用されています。
その際には持ち前の演技力で作品を盛り上げています。
名バイプレーヤーだけに、末永い活躍を期待したいところです。
経歴/プロフィールの詳細
1968年に劇団自由劇場にスタッフとして入団する。
いったんは船員になるも、1972年に自由劇場に復帰して舞台「ヴォイツェク」で俳優デビュー。
1979年の「上海バンスキング」で注目される。
1982年の「刑事ヨロシク」でテレビドラマ初出演。
1983年の「ふしぎな國 日本」で映画初出演。
以降は数多くの作品に出演して、映画の代表作は「男はつらいよシリーズ」や「おくりびと」、「釣りバカ日誌シリーズ」など。
2007年に出演した映画「武士の一分」で日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞。
タレントとしても活動しており、「モニタリング」や「スカッとジャパン」などのバラエティー番組に出演。
私生活では42歳の時に17歳年下の舞台女優と結婚し、4人の息子はすべて俳優。
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