橋本マナミの学歴と経歴|出身は山形城北女子高校・堀越高校!大学や中学校の偏差値と高校時代や若い頃のかわいい画像

 

タレントとしても女優としても活躍する橋本マナミさんの出身中学校や高校の偏差値などの学歴情報をお送りします。芸能界入りした中学時代やグラビアアイドルとして活動した高校時代など、学生時代のエピソードや若い頃の画像なども併せてご紹介します

 

橋本マナミ(はしもと まなみ)

 

橋本マナミ

 

1984年8月8日生

身長168㎝

血液型はAB型

 

山形県山形市出身のグラビアアイドル、女優

本名及び旧芸名は細川愛美(ほそかわ まなみ)

 

以下では橋本マナミさんの学歴や経歴、出身中学校や高校の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介していきます

 

スポンサードリンク

 

目次

橋本マナミの学歴まとめ

 

出身大学:進学せず

出身高校:山形城北女子高校→堀越高校

出身中学校:山形市立第五中学校

出身小学校:山形市立第四小学校

 

橋本マナミの学歴~出身小学校(山形市立第四小学校)の詳細

 

出身小学校:山形県 山形市立第四小学校

 

 

 

橋本マナミさんの出身小学校は、地元山形市内の公立校の第四小学校です。

 

家族構成は両親と弟の4人家族です。

 

橋本さんは幼少期から非常におとなしく、人前に出ることが苦手な少女でした。

 

また意外にも小さい時から父親の影響でプロ野球の試合をたくさん見ていたそうです。

 

加えて橋本さんは当時から習い事を多くおこなっており、乗馬やクラシックバレエ、日本舞踊などを習っていました。

 

子供の頃は山形名物の芋煮をたくさん食べていたことをインタビューで述べています。

 

「私は山形出身なので、秋と言えば芋煮会。子どものころから毎週どこかの川原の芋煮会に行っていた記憶があります。芋煮が嫌いになるぐらい、いつも食べていた。次の年はまた好物になるんですけどね。芋煮会が生活の中に溶け込んでいました」

記事引用:とうほく未来Genkiプロジェクト

 

9歳の時にテレビドラマ「ひとつ屋根の下」を見たことで、女優や芸能界に憧れを持っています。

 

小学校6年生の時に担任の先生に勧められて、学級委員や音楽会の指揮者などを務めたことで、人前に立つことの快感を覚えたと語っています。

 

スポンサードリンク

 

橋本マナミの学歴~出身中学校(山形市立第五中学校)の詳細

 

出身中学校:山形県 山形市立第五中学校 偏差値なし

 

 

 

橋本マナミさんの出身中学校は、地元である山形市内の公立校の第五中学校です。

 

中学時代はバスケットボール部に在籍して、部活動に打ち込んでいました。

 

(13歳の頃)

 

中学1年生の時に「国民的美少女コンテスト」で演技部門賞を受賞して、芸能界入りしています。

 

ちなみにこのコンテストのグランプリは女優の須藤温子さんが輝いており、審査員特別賞は上戸彩さんが受賞しています。

 

(右から3番目が橋本マナミ、左から2番目が上戸彩)

 

ご存知の通り上戸彩さんはこのコンテストをきっかけにデビューを飾ると瞬く間にスターダムに上っていきましたが、橋本さんは下積み時代が長く続きました。

 

「彩ちゃんとかは、すごいやっぱり元々器用な子っていうか、何でもできるタイプで。歌手とか、どんどん上にスターダムにのし上がっていったんですけど、私は何にもできなくて…」

記事引用:エキサイト

 

 

ちなみにこのコンテストでともに芸能界入りした上戸さんら同期からは、当時から橋本さんがあまりにも大人っぽかったことから、中学1年生だったにも関わらず「OL3年目」というあだ名をつけられています。

 

(中学時代)

 

確かに橋本さんの中学時代の画像を見ても、かなり大人っぽく見えますね。

 

デビュー当初は本名の細川愛実で活動していましたが、同じ事務所に所属するタレントの細川直美さんと混同されやすかったので、母親の旧姓である「橋本」を加えて橋本愛実の芸名に変更しています。

 

(細川直美)

 

スポンサードリンク

 

橋本マナミの学歴~出身高校(山形城北女子高校・堀越高校)・大学の詳細

 

出身高校:山形県 山形城北女子高校 偏差値45(容易)

※現校名は山形城北高校

卒業したのは堀越高校

 

 

 

橋本マナミさんの母校は、私立の女子校の山形城北女子高校です。

 

この高校は1926年開校の私立高校で、部活動が盛んなことで知られています。

 

橋本さんが入学した当時は私立の女子高でしたが、2002年より男女共学となり現校名に変更しています。

 

前記のように橋本さんは中学時代から芸能活動をしていますが、高校2年生の2学期までは地元の山形市から仕事のたびに上京していました。

 

また高校時代はバスケットボール部に在籍しており、長身を活かして活躍していました。

 

(山形時代)

 

また橋本さんはバラエティー番組に出演した際に、ファーストキスは山形時代の17歳の時で、地元の霞城公園のベンチで14時頃、中学時代からかっこいいと思っていたバスケットボール部の「小林君」であるなど詳細を明らかにしています。

 

ちなみにこの際には弟にデートを親にチクられて「別れなさい」と言われたそうです。

 

またおすかープロモーションに所属していた26歳の頃までは清純派で売り出していたので、「男性と交際したことがない」とウソを言っていたことを後に明らかにしています。

 

【主な卒業生】

井上京子(プロレスラー)

 

そして高校2年生の3学期からは上京して、堀越高校のトレイトコース(偏差値37)に編入しています。

 

 

 

堀越高校では歌舞伎役者の尾上松也さんや俳優の生田斗真と同級生でした。

 

 

尾上さんによれば当時の橋本さんは非常におとなしく、ほぼ会話をしたことがなく、一緒に遊んだことなどもなかったそうです。

 

(尾上松也と)

 

また堀越高校で1学年下に在籍した俳優の城田優さんも次のように当時の橋本さんについてインタビューで述べています。

 

「当時の橋本先輩は今と違ってすごく清楚でした。おとなしくて」

記事引用:シネマトゥデイ

 

なお橋本さんは上京後はダンススクールにも通学して、ダンスを学んでいました。

 

ちなみにダンスは高校卒業後も続けており、現在も体形の維持に役立っているそうです。

 

加えて当時の橋本さんは仕事も少なくお金もなかったことから、移動手段としてひんぱんに自転車を使っていたことをインタビューで明らかにしています。

 

高校生の頃から既にグラビアなどで活躍していた橋本さんですが、当時はけっこうショートヘア―でボーイッシュな容姿でした。(当時の芸名は橋本愛実)

 

 

現在では「愛人にしたい女性芸能人NO.1」の橋本さんですが、デビュー当時はとても健康的で現在とはイメージがまったく違いました。

 

そして橋本さんは高校1年生でグラビアデビューを飾っています。

 

しかしそれまではスクール水着しか着たことがなかったことから、グラビアの撮影がとても嫌だったことをインタビューで話しています。

 

「それまでスクール水着しか着たことなかったから、現場に行ってビキニがいっぱい置いてあって、スタッフも男性がいっぱいいることがすごく嫌で(撮影で)上手く笑うことができなかった。その時に『誰も見ていないから』とスタッフに言われたことが、今では励ましてくれていたつもりだと分かるけど、当時は本当に落ち込んだ」

記事引用:マイナビニュース

 

また橋本さんは高校2年生の時にテレビドラマ「東京美人」で女優デビューしていますが、高校時代に出演した作品はこれだけで、仕事には恵まれていませんでした。

 

当時を振り返って次のようにインタビューに答えています。

 

「芝居も出来ないし、歌も歌えない、人とも喋れない。でも胸だけはあったので、16歳の時にグラビアにさせようという事になった。当時は優香さんなどの明るい女の子のグラビアがブーム。それに便乗してみたものの、おばさん感が凄すぎて、違和感ばかりでした。そこから仕事は減る一方。同い年の子たちが売れていく姿を見るのは悔しかった」

 

このように高校時代の橋本さんは仕事が少なかったことから、高校にはしっかり通えていました。

 

大学には進学していない

 

そして橋本マナミさんは高校卒業後は大学に進学せずに、芸能活動に専念しています。

 

高校を卒業した年にNHKの大河ドラマ「MUSASHI」に千姫役で起用されています。

 

 

しかし女優としては役柄に恵まれずに、なかなか芽が出ませんでした。

 

 

当時は2時間ドラマで水死体の役が多く、真冬の海に浮かぶ水死体を演じた際には、本当に死にそうになったこともあったとインタビューで述べています。

 

「死体役なので動くことができず気を無にしていたら、意識が遠のいていって本当に死にそうになって、凄いきつかったですねー」

 

そのため芸能活動だけでは食べていくことができず、料理の出張配達のケータリングや居酒屋、倉庫作業などのアルバイトをしていたことを明らかにしています。

 

ちなみに当時所属していたオスカープロモーションはアルバイト禁止だったことから、アルバイトは事務所に内緒でおこなっていました。

 

さらに当時は極貧でわかめをごま油とともにフライパンで炒めて作る1食6円でできる「わかめ丼」を食べていたことも明らかにしています。

 

当時は食費が大変で「今日は300円しかないけど、どうやってこれで食生活しようか…」と思ったことをバラエティー番組で明らかにしています。

 

さらに20代前半の頃は自身の色気や愛人オーラが強すぎて、悩んだことを告白しています。

 

「当時はその愛人イメージがコンプレックスで、無理にキャピキャピしたり、変に若作りをしたり。大人びた外見に内面がついて行かず、葛藤がありました」

 

加えて23歳の時には所属事務所から1か月間の謹慎処分を受けています。

 

男女の友人3人と歩いていたところ写真週刊誌にあたかも男性と2人といたような写真を撮られてしまい、そのカットは週刊誌に掲載されることはありませんでしたが、「自覚がない」ということで自宅謹慎となった、ずっと反省文を書いていたとバラエティー番組内で告白しています。

 

「そのおかげで今もノースキャンダルで、国民の愛人としてやっていけるので感謝しています」

記事引用:スポニチ

 

28歳の時に所属事務所を大手のオスカープロモーションから現在所属するアービングに移籍して、芸名も愛実からマナミに改めています。

 

ところが移籍先の事務所が大人のセクシー路線で売り出すと「第二の壇蜜」としてブレイクしています。

 

 

以降は女優として、タレントとして数多くの作品やテレビ番組に出演しています。

 

ちなみにかつては死体役で出演することも多かったテレビドラマですが、その後はNHKの朝ドラの主要キャストとして起用されるほどになりました。

 

(まんぷく・右は安藤サクラ)

 

そして2019年11月27日に橋本さんは医師との結婚を発表していますが、同日の「VOICE」の独占インタビューですべてを語っています。

 

 

苦労人だけにお幸せになって欲しいところですね。

 

以上が橋本マナミさんの学歴や学生時代のエピソードのまとめです。

 

数々の人気女優やタレントを輩出した「国民的美少女コンテスト」出身でかなり期待の高かったのですが伸び悩んで、10年以上の下積み生活を経験した苦労人です。

 

とは言え事務所移籍後、セクシー路線で遅咲きながらも注目された橋本さんですが、現在では女優としてもタレントとしてもマルチに大活躍。

 

 

トーク力にも長けているので、数多くのバラエティー番組や情報番組に出演しています。

 

 

またこのところは趣味である競馬の知識を活かして、競馬番組に出演することも多くなっています。

 

 

さらには既に年齢は30歳を超えていますが、セクシー写真集の「びちょびちょシリーズ」の売り上げも好調です。

 

 

ちなみにグラビアに関しては70歳までやりたいとインタビューで話しており、今後も続けるつもりです。

 

また「国民の愛人」の愛称でも知られる橋本さんですが、実際に過去に何回も愛人オファーがあったことを明らかにしており、「僕の出張に月2回ついてきてくれていいから、月8万円でどう?」と具体的な金額を出されたことをバラエティー番組内で話しています。

 

ただし本人の目標としてはあくまでも女優として成功することですから、今後の飛躍も期待したいところです。

 

橋本マナミの経歴

 

1984年(0歳):山形県山形市で生まれる

1997年(13歳):「国民的美少女コンテスト」に参加して芸能界入り

1998年(14歳):ヤマザキナビスコ「ビッツサンド」にてCMデビュー

2000年(16歳):グラビアデビュー

2003年(19歳):NHKの大河ドラマ「MUSASHI」に出演

2012年(28歳):事務所の移籍に伴い芸名を橋本愛実から橋本マナミに改名

2013年(29歳):「サンデージャポン」の準レギュラーを務める

2015年(31歳):NHKの朝ドラ「まれ」に出演

2016年(32歳):「イブの贈り物」で映画初主演

2019年(35歳):医師と結婚

2020年(36歳):第一子の男児が誕生

 

スポンサードリンク

 



ここまでお読みいただきありがとうございました。ご質問やご意見などがございましたら、お手数をおかけしますがページ上の「お問い合わせ」よりお願いいたします。また出身校や偏差値情報などのリサーチには万全を期しているつもりですが誤りなどがあった場合はご指摘していただけると幸いです。なお返信はあるだけ早くおこなうようにしていますが、数日かかる場合があることをご了承ください。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

目次