歌手の研ナオコさんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。タレントとしても高い人気を誇っている研さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、若い頃のかわいい画像なども併せてご紹介いたします
研ナオコ(けん なおこ)
1953年7月7日生
身長162㎝
血液型はA型
静岡県伊豆市出身のタレント、歌手、女優
本名は浅田なを子
以下では研ナオコさんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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研ナオコの学歴まとめ
出身高校:静岡県立三島南高校 商業科(中退)
出身中学校:天城湯ヶ島町立天城中学校
出身小学校:上狩野村立湯ヶ島小学校
研ナオコの学歴~出身高校(静岡県立三島南高校)・大学の詳細
出身高校:静岡県 三島南高校 商業科(中退) 偏差値 不明
※現在商業科は廃止
研ナオコさんが入学したのは、県立の共学校の三島南高校です。
この高校は1919年開校の県立校で、当時は普通科と商業科を設置していました。
研さんは商業科に在籍していましたが、2004年に商業科は廃止されています。
現在の同校の普通科の偏差値は53程度ですが、当時の商業科の偏差値は不明です。
ただし当時は商業科はさほどレベルが高くなかった時代ですから、偏差値も高くはなかったはずです。
高校入学後には、宝塚歌劇団の照明の仕事を務めている伯父さんから新しいレコードの会社のオーディションを勧められています。
高校1年生だった1969年に研さんはオーディションを受けて、見事に合格をしたことから高校は中退しました。
そのため大学などにも進学していません。
そして両親の反対を押し切って上京をしています。
この時に学校側には「両親は賛成」、両親には「学校は賛成」だと嘘をついています。
母親は東京は怖い所で、芸能界のことも全く無知だったことから大反対をされています。
父親も賛成はしていなかったものの、オーディションの時には何度か東京まで連れて行ってくれるなど応援はしてくれていたとのことです。
またオーディションに合格後には、エレベーターガールとして働きながら、レッスンを受ける日々を送っていました。
そして18歳だった1971年に「大都会のやさぐれ女」でデビューをしていますが、楽曲はヒットしませんでした。
ただし研さんの中に焦りはなく、芸能界で成功することは簡単ではないと腹をくくったといいます。
その後は研さんはマネージャーと共に夜行列車に乗り、全国キャンペーンをしています。
全国のスナックやキャバレーを回っており、冬の北海道をミニスカートで回って、2ヶ月ほどお風呂に入ることもできない状況だったとのことです。
当時のことについてはインタビューで次のように振り返っています。
「レコード、色紙、カラオケテープを持って、毎日レコードジャケットと同じ服を着て、スナックに飛び込み影響。2カ月お風呂に入らなかったこともあるし、北海道の東北の冬は雪が深いのできつかったですよ。」
このような地道な努力の甲斐もあって、23歳だった1973年に12枚目シングル「あばよ」が大ヒットしてNHK紅白歌合戦にも出場しています。
以降もヒット曲を連発して、人気歌手になっています。
また研さんはタレントとしても活動しており、数多くのバラエティ番組に出演しています。
今後の活動にも注目ですね。
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研ナオコの学歴~出身中学校(天城湯ヶ島町立天城中学校)の詳細
出身中学校:静岡県 天城湯ヶ島町立天城中学校 偏差値なし
※現在は伊豆市立天城中学校
研ナオコさんの出身中学校は、地元天城湯ヶ島町内の公立校の天城中学校です。
中学時代には卓球部とバレーボール部を掛け持ちしており、運動神経がかなり良かったようです。
また時期は不明ですが、学生時代には声楽部にも在籍をしていました。
研さんは体育祭の時には応援団長を務めています。
この頃の研さんの学校の成績はさほど良くありませんでしたが、高校受験の際には直前に集中的に勉強をしました。
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研ナオコの学歴~出身小学校(上狩野村立湯ヶ島小学校)の詳細
出身小学校:静岡県 上狩野村立湯ヶ島小学校
※現在は伊豆市立天城小学校
研ナオコさんの出身小学校は、上狩野村内の公立校・上狩野村立湯ヶ島小学校です。
この小学校は伊豆市立湯ヶ島小学校になった後に、2013年に周囲の小学校と統合されて現在は伊豆市立天城小学校になっています。
家族構成は両親と3人きょうだいの5人家族です。
静岡県の伊豆の兼業農家に生まれており、父親はトラック運転手で、母親は子育てをしながら農業で家計を支えていました。
母親は畑でワサビや茶を作っており、研さんは子供の頃に茶摘みの手伝いをしてお小遣いをもらっていました。
研さんが育った家庭は決して裕福ではなく、給食費を払えないこともあったようです。
また研さんは子供の頃から歌を歌うことが大好きで、きょうだい3人で一緒に美空ひばりさんや島倉千代子さんの歌を歌っていました。
子どもの頃から歌手に憧れており、将来は歌手になりたいと思っていました。
加えて働く両親の姿を見て将来は歌手になってお金を稼いで、両親に楽をしてあげたいという思いが子供ながらにありました。
また当時小林幸子さんが小学6年生の時にデビューをしており、それをテレビで見た際に子供でもデビューできるなら私にもできるかもしれないと思い、そこから本気で歌手を志すようになりました。
小学校生の頃の研さんは成績優秀で正義感の強い優等生だったことから、周囲で起こっているいじめを見逃すことができずにいじめっ子をボコボコにしたこともあったようです。
研さんは12歳の時に静岡放送ののど自慢大会に飛び入り参加をして、「悲しい酒」を歌いましたが、「子供がこんな曲歌うもんじゃない」と最終審査で落とされています。
以上が研ナオコさんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
歌手としても数々のヒット曲をリリースしたばかりか、若い頃からユニークなキャラクターを活かしてタレント活動をしており、数多くのバラエティー番組やCMに出演してきました。
年齢は70代になっていますが未だに第一線で活躍しており、根強い人気も誇っています。
末永い活躍を期待したいところです。
経歴/プロフィールの詳細
1971年に「大都会のやさぐれ女」で歌手デビュー。
1973年のテレビドラマ「時間ですよ」で女優デビュー。
1976年に12thシングル「あばよ」がオリコン1位となって、NHK紅白歌合戦にも初出場。
以降も「かもめはかもめ」や「夏をあきらめて」、「泣かせて」などの楽曲がヒットを記録。
タレントとしても「カックラキン大放送!」や「笑ってコラえて!」、「志村けんのバカ殿様」などのバラエティー番組に出演。
私生活では1987年に7歳年下の男性と結婚し、一男一女をもうけた。
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