フリーアナウンサーの原千晶さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は原さんは医学部志望で、6年間も浪人していました。学生時代のエピソードや情報なども併せてご紹介いたします
原千晶(はら ちあき)
1988年12月18日生
身長161㎝
血液型はO型
福岡県福岡市出身のフリーアナウンサー
元テレビ山口所属
本名同じ
以下では原千晶アナウンサーの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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原千晶アナウンサーの学歴まとめ
出身大学:福岡大 理学部応用数学科
出身高校:筑紫女学園高校
出身中学校:不明
出身小学校:不明
原千晶の学歴~出身小学校の詳細
出身小学校:不明
原千晶アナウンサーの出身小学校は、地元福岡市内の公立校のようですが校名などの詳細は不明です。
家族構成は両親がいることは分かっていますが、きょうだいの有無については現時点では不明です。
父親は開業医、母親は歯科医という家庭に生まれています。
そのため実家は裕福で、そのせいもあり6年間も浪人できました。
原さんは特技に書道を挙げていることから、書道を習っていた可能性が高いでしょう。
また短距離走も得意とのことで、スポーツも好きなようです。
原千晶の学歴~出身中学校の詳細
出身中学校:不明
原千晶アナウンサーの出身中学校は、地元福岡市内の公立校のようですが校名などの詳細は不明です。
なお出身高校の系列には筑紫女学園中学校(偏差値56)も併設されていますが、原さんは高校受験をして前記の高校に入学したことを明らかにしており、この中学校の出身者ではありません。
また原さんの中学時代の情報やエピソードは現時点では見当たりませんでした。
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原千晶の学歴~出身高校(筑紫女学園高校)の詳細
出身高校:福岡県 筑紫女学園高校 偏差値61~69(コース不明のため)
原千晶アナウンサーの出身高校は、私立の女子校の筑紫女学園高校です。
この高校は1907年開校の仏教系の私立高校で、地元では古くから「お嬢様学校」として知られています。
原さんは出身高校を明らかにしていませんが、インターネット上やX(旧ツイッター)にこの高校の在籍情報が複数見られることから出身者であることは間違いないでしょう。
また同校は以下の3つのコースを設置していますが、原さんがどのコースに在籍したかは不明です。
Ⅰ類:偏差値69
医進・サイエンス:偏差値69
Ⅱ類:偏差値61
医進・サイエンスコースは医学部を目指すコースですが、後述の通り原さんは高校3年生の終わりに医学部志望になったので、このコースに在籍した可能性は低そうです。
また高校時代はあまり勉強をしなかったことを明らかにしており、Ⅱ類に在籍した可能性が高そうです。
とは言え原さんはこの高校には一般受験で入学しており、勉強も得意でした。
高校時代は帰宅部で、部活動などはおこなっていません。
高校生活はかなり楽しんでいたことから、さほど勉強をしていませんでした。
しかし高校3年生の11月ごろに友人の兄が医学部に合格をしたという話を聞き、自身の父親が医師ということもあって本格的に医師を志しはじめました。
とは言えはじめて予備校の模試を受けた際には、E判定だったことから、浪人前提で受験勉強を開始したとのことです。
【主な卒業生】
山本美月(女優)
川床明日香(ファッションモデル)
宮崎理奈(元SUPER☆GIRLS)
橋本志穂(タレント)
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原千晶の学歴~出身大学(福岡大学)の詳細
出身大学:福岡大学 理学部応用数学科 偏差値50(普通)
原千晶アナウンサーは高校卒業後は、私立大の福岡大学に進学しています。
原さんはもともと医学部志望で、6浪の末にこの大学に入学をしました。
現役時代には、福岡にある私立大学を1校だけを受験していますが落ちています。
浪人1年目には、医学部専門の予備校に通っており、2年目は同じ系列の普通の予備校に通って寮生活を送っていました。
3年目以降は環境を変えるために自宅から通える予備校に通っています。
原さんは最初の1、2年目には、受かりたいという思いはあったものの、学力も低かったことから「絶対に今年受かる」という強い思いはなかったとのことです。
原さんはいつか受かるだろうと甘い気持ちで受験に挑んでいました。
3、4年目には、浪人生の中でも合格する人が増えてきており、4浪を過ぎたころには周囲には大学を卒業して結婚をする人もいたため焦りや不安を感じていました。
しかしそれ以上に医学部に行きたいという思いが強かったとのことで、当時の心境についてはインタビューで次のように話しています。
「周りがどんどん進んでいく中で時間だけが過ぎている自分はこのままで大丈夫かなと不安を感じつつも、それ以上に医学部に行きたい! 医師になりたい! と前向きな気持ちが強かったと思います。」
浪人生活を重ねていく中で医学部を諦めて一般企業に就職しようと思っても多浪で就職も厳しくなる気がしたとのことで、余計に後に戻れない状況になっていました。
原さんは5浪目が気持ち的に一番きつかったと振り返っており、最後の6浪目では京都に良い講師が集まっていると話題の予備校に入りました。
原さんは浪人生活を振り返って次のように語っています。
「6年間はずっと勉強一本でアルバイトもせず、ほとんど遊びに行くこともなかったですね。たまには予備校の友達とランチや買い物に行くこともありましたが、そんなに頻繁でもなかったですし。」
記事引用:文春オンライン
そして6浪目には、はじめて医学部以外の大学を受験しており、現実を見ていかないといけないと思ったと振り返っていました。
また原さんは国語が苦手だったことから、これまで文系科目の少ない私立大の医学部を受験していました。
6浪目で福岡大学を受験した理由は、両親と医学部以外は福岡県内で進学すると約束をしており、6年間も浪人をしたことでたくさんお金を使わせてしまったからだそうです。
在籍したのは理学部応用数学学科です。
大学入学後もなかなか気持ちを切り替えることはできずに、当時の心境については次のように話していました。
「大学1年の頃はずっと悶々としていました。もちろん授業は出ましたが、希望していたところに入ったわけではなく、今までずっと医師を目指して勉強してきたので、しばらく気持ちが切り替わらなかったですね。」
記事引用:文春オンライン
同級生が6歳も年が下で受け入れることもできなかったため、中々一緒に大学生活を楽しむことができなかったと振り返っています。
原さんは大学生活についてインタビューで次のように振り返っていました。
「サークルや部活にも入らなかったし、飲み会もたまに行ったことがあるくらい。大学のイベント、文化祭とかそういった類のものも全部参加してないです。まずはとにかく早く4年で卒業したい。ただでさえ、みんなから遅れを取ってると思っていたので。」
記事引用:文春オンライン
原さんは6浪したことについてネガティブな思いがありましたが、父親からの「浪人したくてもできない人もいっぱいいる。私はやりたいことを6回も挑戦できたんだから、それは苦労とは言わないよ」という言葉に救われました。
同じタイミングで母親から地元の神社のPRをする「ふく娘」を勧められたことから応募をしており、このことについてインタビューで次のように話しています。
「合格を頂けて、1年間の任期の中で福岡県内のメディアに神社のPRで訪れたり、正月三が日に鈴はらいや福引のアナウンスをしたりとすごく楽しかったんですよ。」
記事引用:文春オンライン
そして「宝くじの女神」というキャンペーンに応募をしたところ、合格をして第36代「幸運の女神」として活動をしていました。
原さんにとって福娘と宝くじの女神での活動がアナウンサーになるきっかけとなりました。
就職活動ではアナウンサー1本に絞って受けており、このことについて次のように話しています。
「そもそも普通に就職はムリだと思っていたし、今までの経験を活かせそうなものと言ったらアナウンサーなのかと。もちろんアナウンサーになりたい気持ちが大きかったので他は何も受けてないです。」
記事引用:文春オンライン
ただしアナウンサー試験は年齢制限のため、3社しか受けていません。
それでも28歳で大学を卒業した2017年に、テレビ山口にアナウンサーとして入社しています。
2023年にテレビ山口を退職して、フリーアナウンサーに転向しています。
するとTBSの情報番組「THE TIME,」のリポーターに起用されて注目を集めています。
今後の活動にも注目ですね。
以上が原千晶アナウンサーの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
2023年にフリーアナウンサーに転向後は、TBSの情報番組に起用されて注目されています。
今後のさらなる飛躍にも期待が高まります。
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