小渕健太郎(コブクロ)の学歴|出身は宮崎工業高校!大学や中学校の偏差値|工業高校出身だった!

 

「コブクロ」の小渕健太郎さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は小渕さんは工業高校の出身者で、高校時代から音楽活動をおこなっていました。学生時代のエピソードや情報なども併せてご紹介いたします

 

小渕健太郎(こぶち けんたろう)

 

 

1977年3月13日生

身長168㎝

血液型はO型

 

宮崎県宮崎市出身のミュージシャン

「コブクロ」のメンバー

本名同じ、愛称は「コビィ」

 

以下では「コブクロ」小渕健太郎さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします

 

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目次

小渕健太郎の学歴まとめ

 

出身大学:進学せず

出身高校:宮崎県立宮崎工業高校 電子科

出身中学校:宮崎市立宮崎中学校

出身小学校:宮崎市立宮崎港小学校

 

小渕健太郎の学歴~出身小学校の詳細

 

出身小学校:宮崎県 宮崎市立宮崎港小学校

 

 

 

小渕健太郎さんの出身小学校は、地元宮崎市内の公立校の宮崎港小学校です。

 

家族構成は両親と姉の4人家族です。

 

2歳年上の姉とは仲が良いようで、ライブに来てくれることもあるそうです。

 

両親が民謡を教えていた影響で子供の頃から音楽に興味を持っていました。

 

小学5年生の時にユニコーンの当時ギタリストを務めていた奥田民生さんに憧れてギターをはじめています。

 

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小渕健太郎の学歴~出身中学校の詳細

 

出身中学校:宮崎県 宮崎市立宮崎中学校 偏差値なし

 

 

 

小渕健太郎さんの出身中学校は、地元宮崎市内の公立校の宮崎中学校です。

 

中学時代は水泳部に在籍をしており、部活動に励んでいました。

 

小渕さんは20歳だった1997年に、中学の同級生で高校時代から交際をしていた女性と結婚をしています。

 

【主な卒業生】

大城蘭(アナウンサー)

 

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小渕健太郎の学歴~出身高校・大学の詳細

 

出身高校:宮崎県 宮崎工業高校 電子科 偏差値49(やや容易)

※現在は電子情報科

 

 

 

小渕健太郎さんの出身高校は、県立の共学校の宮崎工業高校です。

 

この高校は1905年開校の伝統のある工業高校です。

 

また硬式野球部が県内では強豪として知られています。

 

同校は以下の7つの学科を設置していますが、小渕さんは電子情報科(当時は電子科)に在籍していました。

 

インテリア:偏差値49

化学環境:偏差値49

機械:偏差値49

建築:偏差値49

生産システム:偏差値49

電気:偏差値49

電子情報:偏差値49

 

小渕さんは高校時代はバドミントン部に入部をしましたが、1年ほどで退部をしています。

 

その後は音楽に熱中して複数のバンドを掛け持ちしています。

 

また高校時代は文化祭のステージにも出演していました。

 

はじめて小渕さんが人前で歌ったのは高校の文化祭で、インタビューでは次のように振り返っています。

 

「僕自身も最初の舞台は高校の体育館だったんです。コブクロの『コ』の字もなかった頃、初めて人前で歌ったのが高校の文化祭でした。バーッと拍手をもらったときに感じた気持ちによって、ここまで続けてこれたというか。それは勘違いみたいなものなんですけど、そういう記憶って、ミュージシャンなら誰でも持っていると思うんですよね。」

 

高校時代は中心市街地の商店街でストリートライブをおこなったり、友人とよくお喋りをしておりインタビューでは次のように話していました。

 

「ここにいるだけで幸せを感じていました。行けば誰かに会えたし、蜂楽饅頭で友達とハチミツレモンかき氷を食べてわいわいしたり。」

 

小渕さんは高校卒業後は服飾関係の専門学校に進みたかったようですが、家族に反対をされたことで諦めています。

 

【主な卒業生】

日高竜太(BALLISTIK BOYZ)

 

大学には進学していない

 

なお高校卒業後は大学などには進学しておらず、サニックスに就職をしています。

 

高校にサニックスの求人が来ており「大阪勤務」となっていたことから、大阪であれば都会で服などの沢山購入することができるという理由で就職先を決めたようです。

 

しかし小渕さんの配属先は貝塚支店だったことからとても田舎で、温かい雰囲気でした。

 

気づいたときには主任になっており父親ぐらいの年齢の部下もいたと言います。

 

加えて小渕さんは社会人1年目に母親を亡くしており、代表的な楽曲「蕾(つぼみ)」は母親の死をテーマにしています。

 

そんな中で1998年にストリートライブを通して黒田さんと出会っており、最初の楽曲「桜」が完成した時に黒田さんから一緒に組もうと誘われデュオ「コブクロ」を結成しています。

 

 

しかし小渕さんは主任という立場上、会社は辞められなかったことから当初は週に1回ライブをするという2足のわらじ状態でした。

 

それでもその後に音楽活動に専念すると決めて会社を退職しています。

 

小渕さんはノストラダムスの大予言の信者であり、1999年7月に人類が滅亡する説を信じたことで「それやったら、この1年間好きなことして終わってもいいんちゃうか?」と思い音楽活動をすることに決めています。

 

またインタビューでこれまで音楽活動をやっていて不条理を感じたことを質問された際には、ストリートライブを行っていた時をあげており次のように話しています。

 

「そもそも、ストリートミュージシャン自体が不条理の中でやるものなのかなと。警備員に「まだ歌ってんのか!」ってギターケースの蓋を足で締められたり、ものすごい虐げられてきて…(笑)。あれは不条理だったかもしれない。」

記事引用:ORICON

 

 

24歳だった2001年に、「コブクロ」はファーストシングル「YELL~エール/Bell」でメジャーデビューを飾っています。

 

すると楽曲はいきなりヒットして、注目を集めています。

 

その後も「ここしか咲かない花」や「蕾(つぼみ)」、「STAY」などの楽曲がヒットして、国内でも有数の人気アーティストになっています。

 

 

また楽曲の大半は小渕さんが作詞・作曲しています。

 

 

その他にもプロデューサーとしても活動しており、夏川りみさんや石川さゆりさんらをプロデュースしています。

 

以上が「コブクロ」小渕健太郎さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

在籍する「コブクロ」はメジャーデビュー後はいきなり売れて、人気アーティストになっています。

 

 

小渕さんは大半の楽曲を制作するほか、多くのアーティストに楽曲提供をおこなっています。

 

 

今後のさらなる活躍にも期待が高まります。

 

 

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