草笛光子の学歴と経歴|出身高校大学や中学校の偏差値と若い頃のかわいい画像

 

女優の草笛光子さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。これまで数多くの作品に出演して演技派女優として鳴らしてきた草笛さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、若い頃のかわいい画像なども併せてご紹介いたします

 

草笛光子(くさぶえ みつこ)

 

 

19331022日生

身長158

血液型はB型

 

神奈川県横浜市出身の女優

本名は富田光子(とみた みつこ・結婚前)

 

以下では草笛光子さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします

 

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目次

草笛光子の学歴まとめ

 

出身大学:進学せず

出身中学校・高校:横浜第一高等女学校(中退)

出身小学校:横浜市立斎藤分国民学校

 

草笛光子の学歴~出身小学校(横浜市立斎藤分国民学校)の詳細

 

出身小学校:神奈川県 横浜市立斎藤分国民学校

※現在は横浜市立斎藤分小学校

 

 

 

草笛光子さんの出身小学校は、横浜市立斎藤分国民学校です。

 

家族構成は両親と2人の妹、弟の6人家族です(4人きょうだいの長女)。

 

(左端が草笛さん)

 

ただし妹のうちのひとりは夭折しています。

 

父親は三菱重工業のサラリーマンで、母親は洋裁店を経営していました。

 

草笛さんは母親が17歳の時に生まれた娘でした。

 

意外にも草笛さんは小学校時代まで体が弱く、学校も休みがちでした。

 

小学校5年生の時には集団疎開も経験しています。

 

 

そして草笛さんが12歳の時に終戦を迎えています。

 

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草笛光子の学歴~出身中学校・高校(横浜第一高等女学校)・大学の詳細

 

出身高校:神奈川県 横浜第一高等女学校(中退) 難関

※現在は横浜平沼高校(偏差値65

 

 

草笛光子さんが入学したのは、横浜第一高等女学校です。

 

 

同校は5年制の旧制女学校(中学校と高校を兼ねる)で、当時は県下一の才媛学校として知られていました。

 

現在は横浜平沼高校となっており、アナウンサーの羽鳥慎一さんらが卒業生です。

 

草笛さんは父親に横浜市で一番の女学校に通学するように言われたので、この学校を受験しています。

 

 

一般受験で合格しているので、かなりの学力を有していました。

 

ちなみに受験当時は「合格は絶対無理」と思っていましたが、受験したらなぜか受かったとインタビューで話しています。

 

この学校に在学中は1学年上に、女優の岸恵子さんも在籍しており、当時から顔見知りでした。

 

また草笛さんは電車通学が嫌いだったので、学校までの片道1時間の道のりを歩いて通学していました。

 

高等女学校時代はダンス部に所属する傍ら、陸上や水泳にも取り組んでおり、スポーツは得意だったようです。

 

またクラシックバレエにも打ち込んでいました。

 

 

当時は女子生徒から人気があり、先輩の女子からラブレターをもらったこともありました。

 

草笛さんは高等女学校4年生の時に松竹歌劇団(SKD)に入団したので、高等女学校は中退しています。

 

 

また大学などにも進学していません。

 

SKDを受験したのは友人に誘われたからで、60人にひとりの狭き門を合格しています。

 

それでも当初はSKDでやっていく自信がなかったので1か月間学校を休学してSKDのレッスンに通って、やっていける自信がついたので高等女学校を中退しています。

 

21歳だった1954年にSKDを退団すると、活躍の場を映画に移しています。

 

すると数々の作品に主役級として起用される人気女優になっています。

 

 

松竹映画ではスター女優のひとりとして活躍しましたし、ミュージカルの大御所としても知られています。

 

また早くからタレントとしても活動しており、バラエティ番組の司会なども多数務めました。

 

 

今後の活動にも注目ですね。

 

以上が草笛光子さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。 

 

これまでは数えきれないほどの映画やテレビドラマに出演して、幅広い層から支持を得てきました。

 

 

貴婦人からうらぶれた女性まで様々な役柄を演じ分けることのできる確かな演技力で、長年にわたって第一線で活躍してきました。

 

既に年齢は80歳を超えていますが、未だに精力的に女優として活動しています。

 

 

末永い活躍を期待したいところです。

 

経歴/プロフィールの詳細

 

1950年に松竹歌劇団(SKD)に入団。 

1953年に主演作「純潔革命」で映画初出演し、以降は数多くの松竹映画に出演して人気女優となる。 

1958年からバラエティー番組「光子の窓」の司会を担当。

1965年の「細雪」でテレビドラマ初出演。 

日本ミュージカル界のパイオニアとしても知られ、数々の大作に出演。 

テレビドラマの代表作は「ありがとう」や「必殺シリーズ」、「渡る世間は鬼ばかり」など。

私生活では1960年に作曲家の芥川也寸志と結婚するも、2年後に離婚した。

 

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