橋爪功の学歴と経歴|出身高校大学や中学校の偏差値と若い頃のかっこいい画像

 

俳優の橋爪功さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。演技派俳優として数え切れない作品に出演してきた橋爪さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、若い頃のかっこいい画像なども併せてご紹介いたします

 

橋爪功(はしづめ いさお)

 

 

1941917日生

身長168㎝、体重63

血液型はO型

 

大阪府大阪市出身の俳優

本名同じ

 

以下では橋爪功さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします

 

スポンサードリンク

 

目次

橋爪功の学歴まとめ

 

出身大学:進学せず

出身高校:大阪府立天王寺高校→都立青山高校

出身中学校:大阪教育大学附属平野中学校

出身小学校:大阪市立東田辺小学校

 

橋爪功の学歴~出身小学校(大阪市立東田辺小学校)の詳細

 

出身小学校:大阪府 大阪市立東田辺小学校

 

 

 

橋爪功さんの出身小学校は、地元大阪市内の公立校・大阪市立東田辺小学校です。

 

家族構成は両親と兄、姉の5人家族でした(3人きょうだいの末っ子)。

 

父親には別に本妻がいたことから、橋爪さんの母親は愛人でした。

 

そのため姉は生まれてすぐに本宅の養子になっています。

 

橋爪さんは6歳の頃に当時演劇活動をおこなっていた11歳年上の兄に駆り出されたことで、子役として舞台に上がった経験もあるそうです。

 

子供の頃には兄と一緒に頻繁に本宅に遊びに行っていました。

 

また当時はよく父親が映画や歌舞伎に連れて行ってくれたそうです。

 

橋爪さんの子供の頃には映画が一番の娯楽だったため、東映では1週間に1本の映画が作られていました。

 

近所には映画館が4つもあり、レイトショーなどもおこなわれていたことから、多い時には年間で2、300本ほど映画を観ていたといいます。

 

橋爪さんは当時のことについてインタビューで次のように語っています。

 

「主演の女優さんや男優さんよりも、バイプレイヤーの人が面白くてね。あの頃は助演人が綺羅星のごとくいた。その中の何人かを追いかけたりもして、日記のように感想を手帳につけていましたね。」

 

とは言え、橋爪さんは当時は将来自分が役者になるなど夢にも思っていませんでした。

 

小学生の頃は明るい性格で目立ちたがり屋だったこともあり、生徒会長に立候補をしています。

 

スポンサードリンク

 

橋爪功の学歴~出身中学校(大阪教育大学附属平野中学校)の詳細

 

出身中学校:大阪府 大阪教育大学附属平野中学校 偏差値61(やや難関)

 

 

 

橋爪功さんの出身中学校は、国立の共学校の大阪教育大学附属平野中学校です。

 

この中学校は1947年開校の国立中学校で、当時から進学校でした。

 

橋爪さんはこの中学校にも一般受験で入学しています。

 

中学時代には野球部に在籍をして、部活動に打ち込んでいました。

 

また中学時代に生徒会長を務めていますが、決して真面目な生徒ではなかったようです。

 

橋爪さんは中学2年生の時に父親を癌で亡くしています。

 

中学生の頃に出会った友人がフランスの小説家であるサルトルやカミュの作品を読んでいたことから、橋爪さんも影響を受けて文学作品を読むようになりました。

 

【主な卒業生】

中島芽生(アナウンサー)

 

スポンサードリンク

 

橋爪功学歴~出身高校(府立天王寺高校・都立青山高校)・大学の詳細

 

出身高校:大阪府 天王寺高校 偏差値75(現在・超難関)

※都立青山高校(偏差値70)に転校して卒業

 

 

 

橋爪功さんが入学したのは、府立の共学校の天王寺高校です。

 

この高校は1896年開校の伝統校で、大阪府内でも古くからトップレベルの進学校として知られています。

 

橋爪さんはこの高校に一般受験で入学しており、かなりの学力を有していました。

 

【天王寺高校の主な卒業生】

岡田武史(元サッカー日本代表監督)

山口沙紀(グラビアアイドル)

 

ただし高校1年生の2学期に、東京に転居しています。

 

前記のように中学時代に父親が亡くなっており、父親が残したお金で東京に家を建てたことで母親とともに転居をしています。

 

そのため都立青山高校(偏差値70)に転校をしています。

 

 

 

この高校は1940年開校の都立高校で、古くからの進学校として知られています。

 

こちらの高校に在学中はザ・ドリフターズの仲本工事さんと同級生でした。

 

橋爪さんは高校生の頃に演劇部に在籍をしており、部長を務めたこともありました。

 

 

演劇部に入部をしたきっかけについて、インタビューでは次のように振り返っています。

 

「高校で演劇部に入部したのも、ちょっとした気まぐれのようなものでした。たまたま学園祭で演劇部の舞台を見て、『面白そうだな』と直感して安易に選択してしまった、それだけのことだったと思います。」

 

とは言え、橋爪さんはお芝居をすることは意外と性に合っていたと語っており、良い先輩たちに恵まれたこともあって、気分良く部活動を続けていくことができました。

 

ただし当時は俳優になるつもりはありませんでした。

 

また高校時代にボウリング場でアルバイトを経験しています。

 

【都立青山高校の主な卒業生】

石田純一(俳優)

KONTA(ミュージシャン・BARBEE BOYS)

滝川クリステル(アナウンサー)

大島璃音(アナウンサー)

草刈正雄(俳優・定時制課程)

石田ゆり子(女優・定時制課程)

 

大学には進学していない

 

なお橋爪さんは高校卒業後は大学には進学していません。

 

橋爪さんは大学進学を考えていたようですが、成績が下がり国立大学への進学が難しくなったことから断念しています。

 

また金銭的な面で私立の大学への進学は厳しかったようです。

 

20歳の時に文学座の研究生となっていますが、当時は遊びほうけていたことから他に行く場所がなかったため、応募したと語っています。

 

23歳だった1963年には、劇団雲に加入しています。

 

 

当初は舞台を中心に活動しており下積み時代が長く続きましたが、33歳だった1974年に出演した「スカパンの悪だくみ」で注目されます。

 

そしてその演技力から演劇界の人気俳優になっています。

 

 

その後はテレビドラマや映画にも出演しはじめて、数多くの作品に出演しています。

 

 

今後の活動にも注目ですね。

 

以上が橋爪功さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

30代で売れっ子になった遅咲きですが以降は数え切れないほどの作品に出演しています。 

 

どのような役柄でも自在にこなせる演技派俳優として活躍してきました。

 

 

既に年齢は80歳を超えていますが多くのファンにも支持されている人物なので、末永い活躍を期待したいところです。

 

 

スポンサードリンク

 

経歴/プロフィールの詳細

 

1961年に文学座の研究所に1期生として入所し、同期には寺田農や樹木希林、北村総一朗らがいる。 

1963年に文学座を退団して、劇団雲に加入。 

当初は舞台を中心に活動して、1974年に出演した「スカパンの悪だくみ」で演劇界のスターとなる。 

またかつてはテレビドラマでは悪役を演じることが多かった。 

以降も数えきれないほどの作品に出演しており、テレビドラマの代表作は「3B組金八先生」や「こちら本池上署シリーズ」、「夫婦道シリーズ」など。 

「マルサの女」や「キッチン」、「涙そうそう」などの映画にも出演している。 

2度結婚しており、2人の息子と1人の娘がいる。 

次男の俳優・橋爪遼は20176月に覚せい剤取締法違反で逮捕された。



 

ここまでお読みいただきありがとうございました。ご質問やご意見などがございましたら、お手数をおかけしますがページ上の「お問い合わせ」よりお願いいたします。また出身校や偏差値情報などのリサーチには万全を期しているつもりですが誤りなどがあった場合はご指摘していただけると幸いです。なお返信はあるだけ早くおこなうようにしていますが、数日かかる場合があることをご了承ください。

関連記事一覧

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

目次