政治家の辻元清美さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。論客として知られる辻元さんですが、実は小学校時代は極貧生活も経験していました。学生時代のエピソードや情報、若い頃のかわいい画像なども併せてご紹介いたします
辻元清美(つじもと きよみ)
1960年4月28日生
身長非公表
血液型はB型
奈良県出身大淀町出身の政治家
本名同じ
以下では辻元清美さんの学歴や経歴、出身高校や大学の偏差値、高校時代や大学時代のエピソードなどをご紹介していきます。
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辻元清美の学歴まとめ
出身大学:早稲田大学 教育学部
出身高校:名古屋大学教育学部附属高校
出身中学校:奈良教育大学附属中学校
出身小学校:堺市立東三国丘小学校→大淀町立桜ヶ丘小学校→高槻市立如是小学校→大阪市立愛日小学校
辻元清美の学歴~出身小学校(大阪市立愛日小学校ほか)の詳細・極貧生活を経験していた!
出身小学校:大阪府 大阪市立愛日小学校
※その他3校に在籍
辻元清美さんの出身小学校は、大阪市立愛日(あいじつ)小学校です(現在は廃校)。
家族構成は両親と弟の4人家族です。
辻元さんは小学校時代は転校が多く、堺市立東三国丘小学校に入学後に大淀町立桜ヶ丘小学校、高槻市立如是(にょぜ)小学校を経て同校に転校して卒業しています。
父親は大阪の船場で小さな洋服店を営んでいましたが、生活は苦しく店の2階の六畳一間の風呂なし物件で家族4人で暮らしていました。
しかも繊維不況でその後に父親の店が倒産しています。
そのため本人も家計が苦しくなるたびに奈良の親戚の家に預けられたと語っており、経済的に恵まれていませんでした。
また転校が多かったせいか当初は不登校になったこともあったそうですが、如是小学校3年生の時の担任の先生のお陰で積極的な性格になったとのこと。
その後は父親は立ち食いうどん屋を経営しますが、なかなかうまくいかずに小学校時代は極貧生活も経験しています。
しかし母親が美容師免許をとって美容師として働きはじめたことから、なんとか生活ができるようになりました。
辻元清美の学歴~出身中学校(奈良教育大学附属中学校)の詳細
出身中学校:奈良県 奈良教育大学附属中学校 偏差値62(やや難関)
辻元清美さんの出身中学校は、国立の共学校の奈良教育大学附属中学校です。
この中学校は1947年開校の国立中学校で、県内では進学校のひとつとして知られています。
また同校は国立中学校でありながら自由な校風で、教師が生徒の意見を尊重する教育方針で知られています。
辻元さんは奈良県の出身ですが、小学生時代は大阪府で過ごし、中学に上がるタイミングで再び奈良県に戻ってきています。
辻元さんはこの中学校には中学受験で入学しています。
中学生以降は父親の立ち食いうどん屋の経営が軌道に乗ったことから、生活も安定しました。
なおこの中学校には系列の高校がなく高校進学のためには高校受験をしなければならないのですが、辻元さんがなぜ奈良県内の高校ではなく名古屋の高校に進学したかは不明です。
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辻元清美の学歴~出身高校(名古屋大学教育学部附属高校)の詳細
出身高校:愛知県 名古屋大学教育学部附属高校 偏差値62(やや難関)
辻元清美さんの出身高校は、国立の共学校の名古屋大学教育学部附属高校です。
この高校は1947年開校の国立高校で、3クラスのみの小規模校ですが難関大学に進学する卒業生も少なくありません。
また2018年に将棋棋士の藤井聡太さんが入学して話題になったこともありました(2021年1月に中退)。
辻元さんはこの高校に一般受験で入学しており、勉強は得意でした。
高校時代の辻元さんの情報はほとんどなく、高校生活の詳細なども不明です。
前記のように実家の経済状況は中学時代に回復していますが、大学進学の資金などは捻出できなかったようです。
そのため辻元さんは高校卒業後に2年間デパートに勤務して、大学への進学資金を貯めています。
【主な卒業生】
加藤晴彦(俳優)
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辻元清美の学歴~出身大学(早稲田大学)の詳細
出身大学:早稲田大学 教育学部 偏差値65(難関)
辻元清美さんは高校卒業後は大学に進学せずに、デパートに販売員として就職しています。
どうやら大学進学の学費を貯めるためだったようで、2年後に早稲田大学に進学しています。
実家の家業が安定したとはいえ、やはり当時から大学進学にはまとまったお金が必要だったので、自力で入学金や学費を稼いだようです。
そして名門私大の早稲田大学に進学しています。
在籍したのは教育学部です。
大学3年生だった1983年に他の学生たちと国際交流を目的とするNGO団体「ピースボート」を設立するなど、アクティブに活動しています。
(大学時代)
この団体を設立した背景には第二次世界大戦の時の旧日本軍のアジア侵略があり、船で世界中の様々な人々と交流を重ねながら地域紛争や核問題、貧困問題などを話し合うという企画でした。
当時はこのようにイベント・企画は珍しく、大きな注目を集めました。
辻元さんも政界入りする1996年までピースボートに関わっており、のべ2万人の学生が参加して60か国以上を訪問していました。
またピースボートの理念は後進に受け継がれて、現在でも3、4か月間の船旅が毎年おこなわれています。
ただしこのような活動で多忙であったせいか、辻元さんは大学は6年かけて卒業しています。
また後に週刊誌に大学時代の写真が掲載されたこともありました。
辻元さんは大学卒業後は就職はしていません。
以降も地球国連サミットNGOなどの代表を務めるとともに、市民運動などにも関与し、「新らしい市民運動」を目指して政治家を志します。
また当時は成田空港問題のシンポジウムなどにも参加しています。
36歳だった1996年に社民党の党首だった土井たか子さんにスカウトされて国政選挙に出馬して、見事に初当選を果たしています。
ただし2002年には秘書給与流用事件で逮捕され、議員辞職もしています。
2004年の衆議院議員選挙には無所属で出馬しましたが落選していますが、翌年の衆議院議員選挙には社民党公認で出馬して比例復活で当選して国政にも復活しています。
その後に合流した民主党では政調会長代理などの要職も歴任しましたが、民主党は事実上の解党になりました。
多くの民進党の議員たちは小池百合子さん率いる希望の党に合流しますが、辻元さんは枝野幸男さんらが立ち上げた立憲民主党に合流することを表明しています。
以上が辻元清美さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
政界入り後も逮捕や落選など紆余曲折ありましたが、現在に至るまで野党の論客として知られています。
今後の動向にも注目が集まります。
辻元清美の経歴・プロフィールの略歴
1960年(0歳):奈良県吉野郡大淀町に生まれる
1979年(19歳):デパートに2年間勤務
1983年(23歳):NGO団体「ピースボート」を設立
1992年(32歳):国連地球サミットNGO代表に就任
1993年(33歳):エイボン地球大賞を受賞
1996年(36歳):日本社会党から衆議院議員選挙に出馬して初当選
2003年(43歳):秘書給与流用事件で逮捕
2005年(45歳):社民党に復党して、衆議院議員選挙に当選
2010年(50歳):社民党を離党して民主党入り
2016年(56歳):民進党に参加
2017年(57歳):立憲民主党に参加
2017年(57歳):国会対策委員長と政調会長を務める
2021年(61歳):衆議院議員選挙で落選
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