三原じゅん子の学歴と経歴|出身高校大学や中学校の偏差値と若い頃のかわいい画像

 

政治家の三原じゅん子さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送ります。 実は三原さんは小学校時代に父親の経営する会社が倒産して経済的にも困窮しています。学生時代のエピソードや情報、若い頃のかわいい画像なども併せてご紹介いたします

 

三原じゅん子(みはら じゅんこ)

 

 

1964913日生

身長164

血液型はB型

 

東京都板橋区出身の政治家、元歌手・女優

自由民主党所属

本名と旧芸名は三原順子

 

以下では三原じゅん子さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします

 

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目次

三原じゅん子の学歴まとめ

 

出身大学:進学せず

出身高校:明治大学付属中野高校 定時制課程(中退)

出身中学校:十文字中学校→板橋区立第一中学校

出身小学校:淑徳小学校

 

三原じゅん子の学歴~出身小学校(淑徳小学校)の詳細

 

出身小学校:東京都 淑徳小学校

 

 

 

三原じゅん子さんの出身小学校は、東京板橋区にある私立の共学校の淑徳小学校です。

 

家族構成は両親と兄の4人家族です。

 

子供の頃は感情を表に出さなかったことから、たまに笑うと近所で話題になるほどでした。

 

小学校2年生の頃から芸能活動を開始

 

小学校2年生の頃から社交性を養うために「劇団フジ」に入団して、「青い鳥」などの舞台に立っています。

 

また小学生時代は向こうっ気が強く、いじめっ子の男子をやっつけて「スケバン」というあだ名で呼ばれていました。

 

小学校時代に実家の印刷会社が倒産

 

ただし幼少期や小学生時代の実家の経済状況はあまりよくなかったことをインタビューで明らかにしています。

 

「物心ついた時には家具とかに赤い紙が貼ってあったり、借金取りが家に来たり…」

 

実は小学校時代に父親が経営していた印刷会社が倒産してしまったため、経済的にも困窮しています。

 

ちなみに実家の会社の経営状態はよく、会社が倒産するまでは裕福で「お嬢様育ち」でした。

 

また会社が倒産したのはお人好しだった父親が、知人の連帯保証人になったことがきっかけでした。

 

父親はやる気をなくして酒浸りになってしまったとの情報もあります。

 

そのため母親が夜の仕事をして家計を支えています。

 

当時はジャガイモやサツマイモの天ぷらばかり食べていたそうです。

 

また小学校と中学校は私立に進学しているので、母親はかなり仕事を頑張ったようですね。

 

加えて後にカーレーサーとして活動する三原さんですが、兄の影響で子供の頃から車が大好きでした。

 

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三原じゅん子の学歴~出身中学校(十文字中学校・板橋区立第一中学校)の詳細

 

出身中学校:東京都 十文字中学校 偏差値53(普通)

※卒業は板橋区立第一中学校

 

 

 

三原じゅん子さんは小学校卒業後は、私立の女子校の十文字中学校に進学しています。

 

中学時代はバレーボール部に所属するなど、スポーツは得意だったようです。

 

中学校は転校している

 

中学2年生の時に「燃えろアタック」で本格的にテレビドラマに出演しはじめますが、同校が芸能活動を認めていなかったことから、公立校の板橋区立第一中学校に転校して卒業しています。

 

 

「3年B組金八先生」で注目されるがイジメに遭っていた

 

そして中学2年生の時に出世作となる「3年B組金八先生」に不良生徒の役で出演しています。

 

 

このドラマへの出演で三原さんの人気は急上昇して、以降のアイドルとしての成功につながっています。

 

なお三原さんは当時から武田鉄矢さんを「恩師」としており、政治家に転身後も武田さんからの手紙をいつも机の上に「宝物、お守り」として飾っています。

 

 

しかし実は三原さんはこのドラマに出演中にイジメに遭っていたことが報じられています。

 

「学校ではドラマの不良少女のイメージが強く、撮影で休みがちだった三原さんを快く思わなかったクラスメートに階段から蹴り落されるなど、過酷なイジメに遭った。

さらに、撮影のために早退しようとすると、校舎の窓からクラスメートらによる「帰れコール」が浴びせられたという」

 

そのため三原さんはドラマの衣装を借りて、ロングスカートの制服と髪を真っ赤に染めた不良姿で登校すると、イジメはなくなったそうです。

 

このような行動に出たのも、イジメをおこなうクラスメートやそれを見て見ぬフリをする教師への拒絶のメッセージだったとされています。

 

なお「金八先生」のヤンキー役のイメージが強い三原さんですが、実際はヤンキーではありませんでした。

 

加えて「金八先生」の撮影中は母親が癌で闘病しており、三原さんは父親と兄の弁当を作って洗濯などの家事もおこないながら撮影に臨んでいます。

 

そのため学校にいる時間もわずかでした。

 

【十文字中学校の主な卒業生】

池内淳子(女優)

 

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三原じゅん子の学歴~出身高校(明治大学附属中野高校)・大学の詳細

 

出身高校:東京都 明治大学附属中野高校 定時制課程(中退) 偏差値40(容易)

 

 

 

三原じゅん子さんのが入学したのは、明大中野高校の定時制課程です。

 

同校は堀越高校と並んで多くの芸能人の母校として知られていましたが、2003年に定時制が廃止されています。

 

高校ではより芸能活動を幅広くおこなうために、この高校の定時制課程に入学しています。

 

高校は2日で中退している

 

しかし中学3年生の時に出演した「3B組金八先生」でブレイクしており、立て続けにドラマに出演したりアイドル歌手としてデビューすることも決まっており、同校はわずか2日で中退しています。

 

その後も高校に入学し直したりしておらず、必然的に大学などには進学していません。

 

しかし高校時代にあたる16歳から18歳にかけては三原さんはまさにアイドル・女優として全盛期を迎えています。

 

アイドル歌手としてブレイク

 

16歳だった1980年に1stシングル「セクシーナイト」でアイドル歌手デビューを果たすと、楽曲は30万枚を売り上げるヒットとなっています(オリコン8位)。

 

 

 

当時人気音楽番組だった「ザ・ベストテン」では2位になり、この番組にも初出演しています。

 

また同じ年に「GOGO!チアガール!」で連続ドラマ初主演も果たしています。

 

ただしアイドル歌手としてデビューした16歳の頃にパニック障害を発症していたことをインタビューで明らかにしています。

 

「顔以外の全身にじんましんができて、パニックになって泣き出したり、食べてはもどす、食べてはもどす。『いつ買ったんだろう…』と思うくらい、袋がいっぱいあって、カップ麺とかお菓子が部屋中に散らばっているんです。食べているんですね、でもその記憶があんまりないんです」

 

この際には同世代のマネージャーの尽力もあって、病状は次第に落ち着いていきました。

 

そして18歳の時には映画「あゝ野麦峠 新緑編」で映画初主演。

 

 

同じ年にリリースした8thシングル「だって・フォーリンラブ・突然」がロングヒットになって、NHKの紅白歌合戦にも初出場しています。

 

 

 

アイドルとしては全盛期はかなりの人気も誇りましたし、アイドル卒業後は女優として活躍して多くのテレビドラマや映画にも出演しています。

 

以降は徐々に女優の仕事にシフトしていきます。

 

45歳で政治家に転身

 

そして45歳だった2010年に自由民主党から参議院議員選挙に出馬して比例区で当選しています。

 

以降は自民党女性局長や参議院厚生労働委員長などを歴任しています。

 

以上が三原じゅん子さんの学歴や学生時代のエピソードのまとめです。

 

アイドル卒業後は女優やタレントとして活躍する傍ら、カーレーサーとしても活動していました。

 

 

そして45歳で参議院議員選挙に出馬して初当選。

 

 

政治家としてはがん対策やリベンジポルノなどの問題に精力的に取り組んでいます。

 

2024年の石破茂内閣では、子ども政策担当大臣に起用されて初入閣しています。

 

今後の大きな活躍にも期待が膨らみます。

 

三原じゅん子の経歴・プロフィールの略歴

 

1964年(0歳):東京都板橋区で生まれる

1972年(8歳):劇団フジに入団して、芸能活動を開始

        小学校時代に父親の印刷会社が倒産

1978年(14歳):テレビドラマ「燃えろアタック」に出演

1978年(14歳):テレビドラマ「3年B組金八先生」で注目される

1980年(16歳):ファーストシングル「セクシーナイト」でアイドル歌手デビュー

1980年(16歳):「GOGO!チアガール」で連続ドラマ初主演

1982年(18歳):「あゝ野麦峠」で映画初主演

1982年(18歳):NHK紅白歌合戦に初出場

1987年(23歳):国際B級ライセンスを取得してレーシングドライバーとしての活動を開始

1990年(26歳):レーシングドライバー松永雅博と結婚(1999年に離婚)

1999年(35歳):お笑い芸人・コアラと再婚(2007年に離婚)

2008年(44歳):子宮頸がんにより子宮を摘出

2010年(46歳):参議院議員選挙で初当選

2016年(52歳):中根雄也と再婚

2020年(56歳):厚生労働副大臣に就任

 

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