坂本昌行の学歴|出身高校大学や中学校の偏差値|TOKIOのメンバーだった!

 

「V6」の坂本昌行さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は坂本さんはTOKIOのメンバーになる予定でしたが、返事で迷っているうちにグループに加入し損ねたというエピソードが残っています。学生時代のエピソードや情報、若い頃のかっこいい画像なども併せてご紹介いたします

 

坂本昌行(さかもと まさゆき)

 

001

 

1971724日生

身長175

血液型はO型

 

東京都出身の歌手、俳優、タレント

アイドルグループV6のメンバー

本名同じ

 

以下では坂本昌行さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします




 

経歴・プロフィールの詳細

 

1988年にジャニーズ事務所入り。 

同年の「あぶない少年Ⅲ」で俳優デビュー。 

1991年の「先生のお気に入り」で連続ドラマ初出演。 

1995年にV6が結成されてメンバー入りし、「Music For The People」でメジャーデビュー。 

同年の「Vの炎」でドラマ初主演。 

以降も「少年タイヤ」や「演技者。」、「少年時代」などのドラマに出演。 

2003年の「ハードラックヒーロー」で映画初出演。 

当初からミュージカルの舞台への出演が多く、数多くの作品で主演している。

 

坂本昌行の学歴まとめ

 

出身大学:進学せず

出身高校:昭和第一高校

出身中学校:江東区立第三亀戸中学校

出身小学校:江東区立香取小学校

 

坂本昌行の学歴~出身高校(昭和第一高校)・大学の詳細・TOKIOのメンバーだった!

 

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出身高校:東京都 昭和第一高校 商業科 偏差値45(容易)

※現在は普通科のみ

 

 

 

坂本昌行さんの出身高校は、私立の男子校(当時)の昭和第一高校です。

 

この高校は1929年開校の私立高校で、2005年に男女共学化されています。

 

また坂本さんはこの高校の商業科に在籍していましたが、現在は普通科のみの設置(偏差値は45~54)となっています。

 

高校時代はバレーボール部に在籍して、部活動に励んでいました。

 

坂本さんは中学3年生だった1986年から芸能界を志しており、高校時代も数々の芸能事務所や劇団に履歴書を送付したことをインタビューで話しています。

 

「親の手前、学校を辞める理由として(芸能界入りを)考えました。いろいろな事務所や劇団へ送りましたよ。メンズノンノのモデルにも応募しました。不合格でしたけど」

 

そんな中ジャニーズ事務所からは半年後に返事があり、オーディションを経て翌年に所属しています。

 

 

ジャニーズ事務所の同期は「TOKIO」の国分太一さんです。

 

ところが坂本さんは最初の1か月くらいはレッスンに行かなかったことを明らかにしています。

 

「事務所に入ることがゴールだったから、目標が達成できて、最初は1カ月くらいレッスンに行かなかった。そしたら、ジャニー(喜多川社長)さんに『You、何やってんの! 来週、来なさい』と電話で言われて。行ったら、レッスンについていけない。悔しくて、自分の部屋からトイレへ行くときも、ターンの練習をしていました」

 

また当時はかなりやんちゃで、ダンスの先生に「帰れ!」と言われた際には本当に帰ってしまったエピソードも残っています。

 

ジャニーズ事務所入所後は長野博さんや井ノ原快彦さん、国分太一さんや城島茂さんらとともにユニット「平家派」に在籍しています。

 

 

ちなみにこのユニットには当時本名の野口隆史名義で活動していた、俳優の反町隆史さんも在籍していました。

 

また当時は光GENJIのバックダンサーなどを務めていました。

 

坂本さんはジャニーズ事務所に入所した1988年に、テレビドラマ「あぶない少年Ⅲ」で俳優デビューを飾っています。

 

 

なおこのテレビドラマにはブレイク前のSMAPのメンバーも出演していました。

 

ちなみに当時の坂本さんはSMAPのメンバー候補だったこともあり、SMAPのメンバーが修学旅行などで取材を受けれない際には代理で取材を受けたこともありました。

 

ただし坂本さんは高校時代はあまり多くの仕事をしておらず、レッスンが中心でした。

 

また当初は高校を中退することも考えていますが、高校は卒業しています。

 

【主な卒業生】

佐藤浩市(俳優)

福士誠治(俳優)

平嶋夏海(元AKB48)

 

そして坂本さんは高校卒業後は大学などに進学していません

 

卒業後もジャニーズ事務所に在籍してレッスンに励んでいました。

 

高校を卒業した年には、坂本さんは当時のジャニーズ事務所の社長のジャニー喜多川さんからTOKIOのメンバーになることを打診されましたが、楽器ができなかったことから悩んで返事が遅れてしました。

 

その結果「やる」と返事した際には既にメンバーが決まっており、デビューの記者会見の前日だったこともあり諦めています。

 

さらに坂本さんは20歳だった1991年にジャニーズ事務所をやめて旅行代理店に就職しています。

 

この際の経緯については、次のようにインタビューで話しています。

 

「成人を前に先が見えず、不安になったんです。一生、先輩のバックで頑張るためにいるわけじゃない。上を目指したいけど、その術も知らないし、道も分からない…。ある人に相談して事務所を辞め、旅行会社に勤めました。20歳を過ぎたときでした」

 

なお当時は平家派も自然消滅しており、坂本さんは在籍するユニットがない状態だったことにも大きな不安を感じていました。

 

旅行会社に勤務していた際にはツアコンダクターを務めており、スキーツアーや「ねるとんパーティー」などを担当していました。

 

しかし事務所の同期や後輩がテレビで活躍する姿を目の当たりにしたことで、もう一度やりたいという気持ちになっています。

 

また千葉に仕事に行った際にKinki Kidsの堂本剛さんと堂本光一さんと偶然出会って、「坂本君は今なにをしているの」と聞かれ答えられなかったことも事務所復帰の動機のひとつでした。

 

「『坂本くん、今何やってるんですか?』って言うのに答えられなかったの。なんか恥ずかしいのと、悔しいのと、情けないのがあったのかもしれない。そこからテレビ見るとみんな出てるし、悔しい以上に戻りたいって思って」

 

そのため同期入所の国分太一さんに事務所復帰の仲介を頼んでいます。

 

「もう一度戻りたい、と思ったんです。芸能界でやりたい、という気持ちに自分でも確信が持てた。それで同期の(国分)太一くんに『戻りたい、申し訳ないけど間に入ってくれないか』って連絡したら、二つ返事で引き受けてくれた。翌日、ジャニーさんから『You、お仕事があるからおいで』って電話をもらったんです」

 

そのためサラリーマン生活は1年半で辞めて、ジャニーズ事務所に復帰しています。

 

 

復帰後しばらくは東山紀之さんの付き人を担当していました。

 

ちなみに付き人時代の給料はすべて東山さんが負担していました。

 

また事務所復帰後は1年ほど仕事はありませんでした。

 

1995年9月に岡田准一さんや井ノ原快彦さん、三宅健さんや長野博さん、森田剛さんとともに「V6」を結成して、リーダーになります。

 

 

また長野さんと井ノ原さんとともにグループ内ユニット「20ThCentury」を結成しています。

 

ただし6人とも個性が強く、結成当時は特に森田剛さんと衝突したことをインタビューで明らかにしています。

 

「初めはバラバラだった。話を聞かなかったのは(森田)剛。最初は言っても何も反応が返ってこなかった。でもあるとき強く言ったら、すごい目でにらんできた。真っ正面から向かってきてくれたと感じて、うれしかった。それからいろいろな話をするようになりました」

 

そしてV6はこの年の11月に、ファーストシングル「MUSIC FOR THE PEOPLE」でメジャーデビューを飾っています。

 

 

ちなみにデビュー当時の坂本さんは24歳3か月で、当時のジャニーズ事務所の史上最年長デビューでした。

 

V6は翌年リリースした2枚目シングル「MADE IN JAPAN」が大ヒットして、アイドルグループとしてブレイクしています。

 

 

V6はこの年にNHKの紅白歌合戦にも初出場していますが、紅白が決まった際に6人で事務所に呼ばれたことから何かしてしまったかと勘違いしています。

 

「6人で事務所に呼ばれるときって、『何かやってしまったかな』という雰囲気になる。でも行ってみたら『紅白決まりました』、と。聞いた後は変に落ち着いた感じで、『よっしゃー』というより『いいのかな?』と。他のメンバーも『やったぜ』ではなく『えっ?』だった」

 

坂本さんはグループでの活動の傍らで、俳優としても活動しており数々の作品に出演しています。

 

おV6は2021年に25年のグループの活動にピリオドを打って、解散することを明らかにしています。

 

 

その際にはメンバー6名の連名で、次のようなコメントが発表されています。

 

「僕たちは2019年春ごろから自分たちの人生について深く話し合うようになりました。何度も6人だけで話し合いを重ね、それぞれが1人の男として大きな決断をすることになりました。この決断は後ろ向きなものではなく、僕たちがより成長し、次のステップに進むためのものです」

 

坂本さんはV6解散後もジャニーズ事務所に留まって、主に俳優として活動する予定です。

 

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坂本昌行の学歴~出身中学校(江東区立第三亀戸中学校)の詳細

 

出身中学校:東京都 江東区立第三亀戸中学校 偏差値なし

 

 

 

坂本昌行さんの出身中学校は、地元江東区内の公立校の第三亀戸(かめいど)中学校です。

 

この中学校に在校中は後に女優として活躍した飯島愛さんが1学年下に在籍していました。

 

中学時代もバレーボール部に在籍して、部活動に励んでいました。

 

また当時の坂本さんは光GENJIの大ファンでした。

 

そのためジャニーズ事務所には中学3年生の時に履歴書を送っています。

 

ちなみに坂本さんの父親は非常に怖かったことから、中学・高校時代は「口をきいたことがなかった」とインタビューで話しています。

 

【主な卒業生】

持田香織(ELT)

 

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坂本昌行の学歴~出身小学校(江東区立香取小学校)の詳細

 

出身小学校:東京都 江東区立香取小学校

 

 

 

坂本昌行さんの出身小学校は、地元江東区内の公立校の香取小学校です。

 

家族構成は両親と2人の兄の5人家族です(3人兄弟の末っ子)。

 

 

実家は江東区内で八百屋を営んでいました。

 

両親がともに店に出ていたので、子供の頃から自分で食事を作る機会が多く現在でも料理が得意です。

 

その一方で父親も母親もかなり厳しくしつけていました。

 

また坂本さんは子供の頃から運動神経がよく、小学校時代は野球をやっていました。

 

当時からかなり活発でやんちゃでした。

 

 

以上が坂本昌行さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

ジャニーズ事務所に入所直後はTOKIOのメンバー候補でしたが、前記のようにいったんは事務所を辞めています。

 

メジャーデビューをした際も当時のジャニーズ事務所の最年長記録でした。

 

とは言えグループでの活動のほか、単独でもミュージカルを中心に活躍しており多くの作品に出演してきました。

 

 

ジャニーズ事務所のアイドルとしてはかなりの苦労人なので、末永い活躍を期待します。

 

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