「でんじろう先生」でお馴染みの米村でんじろうさんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は米村さんは浪人時代に父親を亡くして経済的に苦しい中、大学に進学していました。学生時代のエピソードや情報なども併せてご紹介いたします
米村でんじろう(よねむら でんじろう)
1955年2月15日生
身長非公表
血液型はB型
千葉県出身のサイエンスプロデューサー、タレント
本名は米村傳治郎(でんじろう)で、旧姓は戸谷
以下では米村でんじろうさんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介します
スポンサードリンク
米村でんじろうの学歴まとめ
出身大学:東京学芸大学 教育学部理科専攻
出身高校:千葉県立市原高校
出身中学校:加茂村立富山中学校
出身小学校:加茂村立富山小学校
米村でんじろうの学歴~出身小学校の詳細
出身小学校:千葉県 加茂村立富山小学校
※現在は市原市立加茂小学校(加茂学園)
米村でんじろうさんの出身小学校は、公立の加茂村立富山小学校です。
家族構成は母親と兄3人の5人家族です(4人兄弟の末っ子)。
子供の頃から内気な性格だったため、スポーツよりも一人で遊ぶことが好きな少年でした。
小学校の頃から理科が得意だったことから、「ものしり博士」と呼ばれていましたがそれ以外の科目の成績は芳しくありませんでした。
小学生の頃は理科の授業で簡単な工作や実験をすることが好きだったそうです。
理科の成績は5段階評価で5や4の成績を取ることが多かったそうです。
米村でんじろうの学歴~出身中学校の詳細
出身中学校:千葉県 加茂村立富山中学校 偏差値なし
※現在は市原市立加茂中学校(加茂学園)
米村でんじろうさんの出身中学校は地元加茂村の公立校の富山中学校です。
中学時代は化学部に在籍しており、手製の火縄銃などを制作していました。
最初は木の枝にゴムを張ったパチンコ程度だったのが、次第にエスカレートしていき火縄銃になったそうです。
中学2年生の頃から理科の授業での実験なども少なくなり、受験勉強が多くなってきたことで学校の勉強が嫌いになってきました。
特に英語が嫌いだったそうです。
中学3年生の時に理科の先生に嫌われており呼び出されて怒られたことがあったそうです。
また美術の先生にも嫌われていたようで、インタビューで次のように話しています。
「僕は割と手先が器用だったし、絵を描くのも好きだったから、普通に指導してもらっていればまあまあできたとは思う。でも作品をあまり出さなかったからか、すごく嫌われていて、評価1をつけられました。中学3年生の内申書に1をつけるんだと思ってびっくりしました。」
スポンサードリンク
米村でんじろうの学歴~出身高校の詳細
出身高校:千葉県 市原高校 偏差値40(容易・現在)
米村でんじろうさんの出身高校は、県立の共学校の市原高校です。
この高校は1926年開校の県立高校です。
米村さんが中学を卒業する際には田舎だったこともあって、周囲は中卒で就職する人が多かったそうです。
米村さん自身も理科は好きでしたが、勉強はあまりしなかったので成績が悪かったそうです。
それでもそのまま社会に出ることが怖かったので、とりあえず高校に進学しています。
このあたりについてはインタビューで次のように話しています。
「僕はまだ人見知りのガキだったので、このまま社会に出るのが怖かった。というのも、周囲の大人たちが「カネがない」「米がない」って言っているのをよく見たり聞いたりしていたからです。子供心に「世の中って厳しいな」と率直に感じていました」
ただし高校時代は人付き合いや集団行動が苦手で、友達は多くありませんでした。
加えて高校時代も勉強をしなかったことから成績は芳しくなかったようです。
それでも両親が就職するように言わなかったことから、大学進学を目指しています。
しかし浪人1年目に父親が勤務先の工場で事故死する悲劇に見舞われています。
「精神的にがつんと衝撃を受けたわけではなかったです。だけど、やっぱり受け止めきれなくて。夕方になると父がいつものように帰ってくる感じはずっとしていました」
加えて経済的に厳しかったことから予備校などに行けずに自宅で受験勉強をしていましたが、勉強の仕方自体がわからずになかなか成績も上がりませんでした。
そのため浪人2年目の受験に失敗した際には母親に「働け」と言われて、いったんは工場に就職しています。
ところが工場の単純作業にはすぐに飽きてしまい、数か月で辞めています。
とは言えこの経験で大学に行きたいという想いが強くなり、その後はしっかりと勉強もしたことから浪人3年目でようやく大学に合格しました。
【主な卒業生】
ヨネスケ(タレント)
スポンサードリンク
米村でんじろうの学歴~出身大学の詳細
出身大学:東京学芸大学 教育学部理科専攻 偏差値58(やや難関)
米村でんじろうさんは高校卒業後は、国立大学の東京学芸大学に進学しています。
ただし現役での進学ではなく、3年間の浪人生活を経て同大学に進んでいます。
高校時代に父親が亡くなったことで学費の安い国立大学を目指しており、浪人中は牛乳配達や製鉄工場でアルバイトをしながら予備校の学費を稼ぐ苦学生でした。
(大学時代)
教育学部に入学していますが大学在学中も教師になりたいと思ったことはないそうで、たまたま入れた国立大学がこの大学だったそうです。
自身では理工系が向いていると思っていたようですが、受験したところどこの大学も受かりませんでした。
大学入学当初のことについてインタビューでは次のように話していました。
「やっと人並みに大学生になったので、ものすごくホッとしました。でも最初は大学生活になじめなかった。教室に行っても一番後ろのできるだけ隅の方に目立たないようにして講義を受けていた。」
浪人したことから挫折しており年上のため、なかなか馴染めないだろうと思っていたようですが、懇親会で話してみると浪人している人も多くいろんな学生がいることが分かったようです。
その後すぐに友人はできて楽しい大学生活でしたが、講義のノートも取らずに授業もしっかり聞いていなかったことから単位を落としていったそうです。
また米村さんの専攻は物理だったことから量子力学などを学んでいましたが、難しくてお手上げ状態だったそうです。
そして大学4年生のときに卒業研究という単位を取るために研究室に入ったのですが、最初は今まで単位をたくさん落としていることで断られたそうです。
研究室に入ってからは自身が雑な生き方しかしてこなかったことに気づき、「一つずつ丁寧にコツコツやっていけば、結果はちゃんと出てくるんだ、それが評価にも繋がるんだ」と思うようになりました。
今まで挫折が多かった人生の中で初めて「やればできる」と思えた瞬間だったそうです。
そして悪戦苦闘していた物理も丁寧に勉強することで何か変わるかもしれないという思いで、もう一度勉強しようと思い大学院に進んでいます。
大学卒業後は同大の大学院に進学し修士課程を修了しています。
大学院時代に制作したパソコン用の理科教育ソフトが担当教授に絶賛されるなど、後にサイエンスプロデューサーてして活躍する下地も作っています。
ただし他大学の博士課程や公務員試験も受けていますが不合格となっています。
その後は都立高校で理科教師を務めていますが、40歳で出演したNHKの教育番組が好評だったことから、翌年独立しています。
(教員時代)
以降は数々のテレビ番組に出演して、お茶の間でもお馴染みの存在となっています。
その他にもサイエンスショーや講演会なども好評です。
以上が米村でんじろうさんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
長らく高校教師を務めてきましたが、40歳の時にサイエンスプロデューサーとして独立しています。
するとその独創的な発想などが話題になって、テレビ番組やサイエンスショーなどに引っ張りだこになっています。
苦労人でもあるので、末永い活躍を期待したいところです。
スポンサードリンク
経歴・プロフィールの詳細
1985年から都立稲城高校に物理教師として勤務し、都立小金井北高校でも教鞭をとる。
1995年からNHKの教育番組「やってみようなんでも実験」に出演(2001年まで)。
1996年3月に教師を辞職して、サイエンスプロデューサーに転身。
1998年に「米村でんじろうサイエンスプロダクション」を立ち上げる。
2002年10月から「笑っていいとも!」に曜日レギュラーとして出演(2003年3月まで)
他にも「ぴったんこカンカン」や「ナカイの窓」、「Qさま」などのテレビ番組に出演している。
また各地でサイエンスショーなども開催している。
私生活では教師だった女性と結婚し、婿養子になっている。
ここまでお読みいただきありがとうございました。ご質問やご意見などがございましたら、お手数をおかけしますがページ上の「お問い合わせ」よりお願いいたします。また出身校や偏差値情報などのリサーチには万全を期しているつもりですが誤りなどがあった場合はご指摘していただけると幸いです。なお返信はあるだけ早くおこなうようにしていますが、数日かかる場合があることをご了承ください。