デヴィ夫人の学歴|出身は三田高校!大学や中学校の偏差値と若い頃のかわいい画像

 

タレントのデヴィ夫人の出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実はデヴィ夫人は実家が貧しく、働きながら高校に通学していました。学生時代のエピソードや情報、当時のかわいい画像なども併せてご紹介いたします

 

デヴィ夫人

 

デヴィ

 

194026日生

身長158

血液型はA型

 

東京都出身のタレント

元インドネシア大統領夫人

本名は根本七保子(なおこ・結婚前)

 

以下ではデヴィ夫人の出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします

 

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目次

デヴィ夫人の学歴まとめ

 

出身大学:進学せず

出身高校:都立三田高校 定時制部(中退)

出身中学校:港区立高陵中学校

出身小学校:港区立笄小学校

 

デヴィ夫人の学歴~出身小学校(港区立笄小学校)の詳細

 

出身小学校:東京都 港区立笄小学校

 

 

デヴィ夫人の出身小学校は、地元港区内の公立校の笄(こうがい)小学校です。

 

家族構成は両親と弟の4人家族です。

 

なおデヴィ夫人はハーフのような顔立ちをしていますが、両親ともに日本人です。

 

父親は大工でしたが、目の病気を患ったことからあまり働けませんでした。

 

母親も足が悪かったのですが、デヴィ夫人の子供の頃は内職をして家計を支えていました。

 

 

ただし子供の頃からかなり貧しい暮らしを経験しています。

 

一家はデヴィ夫人が摘んできた野草をおひたしや雑炊にして食べたこともあったほどです。

 

また家ハトが迷い込んだ際には、その後の食卓にハトの丸焼きが並んだとのこと。

 

それでもデヴィ夫人は子供の頃から絵が上手く、周囲からは「天才」と呼ばれています。

 

小学校時代は東京芸術大学の先生に絵を習っていました。

 

その際の月謝は母親が内職で貯めたお金を充てていました。

 

当時のデヴィ夫人の夢は画家になることでした。

 

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デヴィ夫人の学歴~出身中学校(港区立高陵中学校)の詳細

 

出身中学校:東京都 港区立高陵中学校 偏差値なし

 

 

 

デヴィ夫人の出身中学校は、地元東京都港区内の公立校の高陵(こうりょう)中学校です。

 

中学時代は成績がよく、特に英語は学年一番でした。

 

また当時は日舞も習っています。

 

 

デヴィ夫人は当時から大人びていたことから、同級生よりも先生にモテていたそうです。

 

なお中学時代に母親が自分の学費を知り合いに借りていることを知って、中学卒業後は働いて家計を助けることを決意しています。

 

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デヴィ夫人の学歴~出身高校(都立三田高校)・大学の詳細

 

出身高校:東京都 三田高校 定時制部(中退) 偏差値不明

 

 

 

デヴィ夫人が入学したのは、都立の共学校の三田高校です。

 

この高校は1923年開校の都立高校です。

 

また全日制は現在は高いレベルとなっていますが(偏差値は66)、デヴィ夫人は定時制課程に在籍していました。

 

なお同校の定時制課程は、2008年に閉課となっています。

 

デヴィ夫人が定時制課程に進学したのは実家が貧しく、家計を助けるために働くためでした。

 

 

中学時代は成績もよかったので全日制に進学できるほどの学力を有していました。

 

しかし父親が病気だったことから、母親や弟を養うために働かざるを得なかったのです。

 

 

そのため高校進学と同時に千代田生命保険(現在はジブラルタ生命保険)に入社して、会社員として働きはじめています。

 

またそれ以外にも会社の昼休みには喫茶店で、週末はコーヒーショップで働くほどでした。

 

それらに加えて高校時代は端役でしたが、女優のアルバイトもしていました。

 

しかし高校1年生だった1956年に父親が亡くなると高校を中退してしまいます。

 

そのため大学などにも進学していません。

 

 

【主な卒業生】

いわさきちひろ(絵本作家)

大山のぶ代(声優)

石井好子(シャンソン歌手)

 

その後は、当時の赤坂の高級クラブ「コパカパーナ」で働きはじめます。

 

 

クラブ時代はかなりの人気で、OL時代の1か月分の給料を一晩で稼ぐなどしていました。

 

そして19歳だった1959年に、貿易会社の秘書の名目でインドネシアに渡っています。

 

ただしデヴィ夫人は最愛の母親と弟を立て続けに亡くしており、インタビューでは次のように話しています。

 

「インドネシアに渡り大統領夫人となった直後、母と弟を立て続けに亡くしました。私は母と弟を支えるためにそれまで頑張ってきたわけですから、大変つらく、悲しい出来事でしたが、これは神様が私に与えた啓示だと思いました。もう家族から自由になって、スカルノ大統領1人のために尽くしなさい、と」

記事引用:知るぽると

なお弟の死は自殺でした。

 

そのためその際に日本国籍からインドネシア国籍に変更しています。

 

その後数年間はスカルノ大統領の愛人でしたが、22歳だった1962年にスカルノ大統領と正式に結婚して第三夫人となっています。

 

 

しかしその3年後の1965年に軍事クーデターでスカルノ大統領は失脚しています。

 

デヴィ夫人は1967年にフランスに亡命しますが、その後に日本に帰国して1970年代からタレントとして活動を開始しています。

 

 

以降は歯切れのいいトークが人気を博し、数多くのバラエティー番組や情報番組にも出演するほどの人気者となりました。

 

またNPO法人などを立ち上げてチャリティー活動などもおこなっています。

 

以上がデヴィ夫人の学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

既に年齢も70台後半に突入していますが、現在でも精力的に活動しています。

 

 

波乱に満ち溢れた人生とかなりの苦労も重ねていますから、いつまでも元気に活躍してほしいものです。

 

 

経歴・プロフィールの詳細

 

1962年にインドネシアのスカルノ大統領と結婚して第3夫人となる。 

19659月の軍事クーデターでスカルノが失脚。

1967年に娘を出産し、フランスに亡命。 

1970年にスカルノが死去。 

1994年に矢沢永吉らが主演した映画「キャロル」に出演。 

1990年代前半に日本に帰国して、主にタレントとして活動。 

以降は多くのバラエティー番組や情報番組に出演。 

「バイキング」や「ロンドンハーツ」、「世界の果てまでイッテQ」などの人気番組のレギュラーや準レギュラーを務める。 

2013年の「独身貴族」でドラマ初出演。

 

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