久保田利伸の学歴|出身は駒沢大学・静岡商業高校!中学校の偏差値|野球をやっていた!

 

久保田利伸さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は久保田さんは高校時代は野球の強豪校に在籍して、本気で甲子園を目指していました。学生時代のエピソードや情報、若い頃のカッコいい画像なども併せてご紹介いたします

 

久保田利伸(くぼた としのぶ)

 

 

1962724日生

身長170㎝、体重59kg

血液型はO型

 

静岡県蒲原町出身のシンガーソングライター

本名同じ

 

以下では久保田利伸さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします

 

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目次

久保田利伸の学歴まとめ

 

出身大学:駒沢大学 経済学部経済学科

出身高校:静岡県立静岡商業高校

出身中学校:蒲原町立蒲原中学校

出身小学校:蒲原町立蒲原西小学校

 

久保田利伸の学歴~出身小学校(蒲原町立蒲原西小学校)の詳細

 

出身小学校:静岡県 蒲原町立蒲原西小学校

※現在は静岡市立蒲原西小学校

 

 

 

久保田利伸さんの出身小学校は、地元蒲原町内の公立校の蒲原西小学校です。

 

家族構成は両親と2人の姉の5人家族です(3人きょうだいの末っ子)。

 

実家は八百屋を営んでおり、久保田さんも小学生の頃はバナナのたたき売りをしたり、冷水から豆腐を救い上げるといった手伝いをしていたそうです。

 

歌手になることを両親に打ち明けた際には父親からは賛成をされて、母親は泣いて反対をしたそうです。

 

久保田さんは子供時代はおとなしいタイプだったそうですが5歳の時に熱海後楽園の「ちびっこのど自慢大会」で優勝したことと乗り物酔いになったことがきっかけで、人前で歌うことが好きになったそうです。

 

当時のことについてインタビューで次のように話しています。

 

「気持ちを紛らわすには歌うのが一番と、当時のヒット曲をバスで歌わされたわけです。それを先生たちがすごく喜んでくれて気持ち良かった。幼な心に、歌う人になりたいと思いました。この原体験が今なお自分の根底にある気がします」

 

久保田利伸の学歴~出身中学校(蒲原町立蒲原中学校)の詳細

 

出身中学校:静岡県 蒲原町立蒲原中学校 偏差値なし

※現在は静岡市立蒲原中学校

 

 

 

久保田利伸さんの出身中学校は、地元静岡県蒲原町(現在は静岡市)内の公立校・蒲原町立蒲原(かんばら)中学校です。

 

中学時代も野球部に在籍して、部活動に打ち込んでいました。

 

中学時代に本気で音楽に目覚めたそうで、インタビューで次のように話しています。

 

「中学1年生になって、ラジオのスイッチを入れて。『なんだこの歌のうまい人』は、と。なんでも聴きましたけど、洋楽、とくにファンキーピーポーのものにダーッといって、未だに帰ってきていない。」

 

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久保田利伸の学歴~出身高校(静岡県立静岡商業高校)の詳細

 

出身高校:静岡県 静岡商業高校 商業科 偏差値49(やや容易)

 

 

 

久保田利伸さんの出身高校は、県立の共学校の静岡商業高校です。

 

同校は1899年開校の伝統校で、硬式野球部が県内でも強豪として知られています。

 

久保田さんは高校時代は野球部に在籍をしており、本気で甲子園を目指していました。

 

しかし当時から同校の野球部のレベルが高かったことからレギュラーになることができずに高校2年生の時に退部しています。

 

当時のことについてインタビューで「高校野球に夏の炎天下はつきもの。僕が球児の頃は水の一滴も飲まずそれに耐えた」ことを明かしています。

 

野球を辞めたあとは髪型が自由にできるようになったそうで、インタビューで次のように話しています。

 

「ある程度、伸ばして。それは高校のとき。静岡の小林くんちの裏にある美容室で。そこはパンチパーマとかやってくれるところなんだよね。そこでかっこつけてやりましたね。伸ばしているときにコメカミのあたりに剃りこみを入れてたから、ファンキーピーポーアフロというより、喧嘩強いアフロみたいになっちゃった(笑)。」

 

高校在学中には簿記検定などの資格も取得しています。

 

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久保田利伸の学歴~出身大学(駒沢大学)の詳細

 

出身大学:駒沢大学 経済学部経済学科 偏差値53(普通)

 

 

 

久保田利伸さんは高校卒業後は、駒沢大学に進学しています。

 

大学では経済を専攻するとともにロック研究会にも入会しています。

 

また「ホッテントット」というバンドを結成し、大学2年生の時に出場したヤマハのコンテストでは、ベスト・ボーカル賞を受賞しています。

 

とは言え久保田さんは大学時代にはオーディションに何度も落ちていたようで、インタビューで次のように話しています。

 

「昔から夢見がちな性格で、実際何の根拠も確証もなく、東京へ行けばプロになれると思い込んでいた。大学時代にコンテストに入賞しても声がかからず、オーディションも何度も落とされ、それでも不思議なほど歌手になることを諦(あきら)めなかった」

 

久保田さんは自身の大学時代についてインタビューで次のように振り返っています。

 

「芸能界って、ちょっとうまくいかないとダメになっていく人が少なくありませんが、僕は学生時代にいろいろ経験できたおかげで強くなれたと思います。中でも様々な価値観をもった人々との出会いが、今も大きく影響しています。もし、田舎から出ていきなりプロになれていたら、その価値観がわからなかったでしょうね。」

 

久保田さんは幅広い世代の人に聞いてもらえる曲作りは学生時代の価値観と出会いが影響していると話していました。

 

大学時代から精力的に音楽活動をおこなっていましたが、大学はキッチリと卒業しています。

 

久保田さんはアマチュア時代からその音楽性が高く評価されており、当初は音楽プロデューサーとして芸能界入りをしています。

 

また久保田さんはデビュー当時のことをインタビューで次のように話しています。

 

「デビューしたのは10代ではなく23歳とかそれくらい。デビュー前にソングライターとして楽曲提供をしていた期間が1年くらいあるんですが、もちろんずっとソングライターでやっていきたかったわけではなくて。自分で歌うことも予定はされていたんですが、それを待っている期間でした。今考えれば、待っていた1~2年なんて大した期間ではないんですが、20歳そこらの1~2年は長い。やっとデビュー出来て、それだけで嬉しくて。」

 

そして24歳だった1986年に、ファーストシングル「失意のダウンタウン」でメジャーデビューを飾っています。

 

 

すると1988年にリリースした「You are mine」がテレビドラマの主題歌に起用されヒットしています。

 

 

以降も数々のヒット曲をリリースして人気アーティストになっています。

 

 

 

また数多くのアーティストたちに多大な影響を与えていることで知られています。 

 

以上が久保田利伸さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

1980年代後半にデビューしていますが、これまで数々のヒット曲をリリースしてきました。

またR&B系アーティストの先駆者としても知られており、かなり多くのミュージシャンたちに多大な影響を与えています。

 

 

未だに第一線で活躍しており、今後のさらなる飛躍にも期待が高まります。

 

経歴・プロフィールの詳細

 

1986年に1stシングル「失意のダウンタウン」でメジャーデビュー。 

1988年に5thシングル「You Were Mine」がテレビドラマ「君の瞳をタイホする!」の主題歌となって大ヒット。 

1990年にNHK紅白歌合戦に初出場。 

1995年に「Toshi Kubota」名義で全米デビューを果たす。 

1996年にナオミ・キャンベルとデュエットした「LALALA LOVE SONG」がミリオンセラーとなる。

2010年の35thシングル「LOVE RAIN」が久しぶりのオリコンTOP3ヒット(3位)となる。

その他にも平井堅や山田優のプロデュースを務める。 

私生活では2004年に11歳年下の一般人女性と結婚し、息子がいる。

 

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