徳永英明の学歴と経歴|出身高校大学や中学校の偏差値と若い頃のかっこいい画像

 

シンガーソングライターの徳永英明さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は徳永さんは高校時代はヤンキーでした。学生時代のエピソードや情報、若い頃のかっこいい画像なども併せてご紹介いたします

 

徳永英明(とくなが ひであき)

 

 

1961227日生

身長175

血液型はA型

 

福岡県柳川市出身(兵庫県育ち)のシンガーソングライター

本名同じ

 

以下では徳永英明さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします

 

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目次

徳永英明の学歴まとめ

 

出身専門学校:観光系の専門学校(中退)

出身高校:伊丹市立伊丹高校

出身中学校:伊丹市立南中学校

出身小学校:福岡市立別府小学校

 

徳永英明の学歴~出身小学校(福岡市立別府小学校)の詳細

 

出身小学校:福岡県 福岡市立別府小学校

 

 

 

徳永英明さんの出身小学校は、福岡市内の公立校の別府小学校です。

 

家族構成は両親と弟の4人家族です。

 

 

自然の中で遊ぶことが大好きな子供で、幼稚園の時のお遊戯会などでは主役を務めることが多かったそうです。

 

また徳永さんの小学生時代は目立つことが好きで、クラスのリーダー的な存在でした。

 

父親が保険の営業マンだったことから、転勤が多く引っ越しを繰り返す子供時代を送っています。

 

徳永さんは引っ越しのたびに友人との別れよりも、新しい場所で新しいことがはじまるということが楽しみで仕方なかったとのことです。

 

小学5年生の時にはじめて四分音符や八分音符などの音符を書いて、オルガンで曲を作りをしてみましたが音楽にのめり込むことはなく中学3年生まで時間がかかったそうです。

 

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徳永英明の学歴~出身中学校(伊丹市立南中学校)の詳細

 

出身中学校:兵庫県 伊丹市立南中学校 偏差値なし

 

 

 

徳永英明さんの出身中学校は、兵庫県伊丹市内の公立校の南中学校です。

 

徳永さんは中学校に上がるタイミングで、伊丹市に転居してこの中学校に入学をしています。

 

中学時代はテニス部に在籍をしており、中学3年生の時にキャプテンを務めていました。

 

徳永さんはクラスの学級委員長に立候補しましたが、九州弁を馬鹿にされていじめられていたことを明かしています。

 

このことについてはインタビューで次のように話していました。

 

「違う土地で最初に目立ったんです。九州弁で、何て言ったかな。『オレが九州男児っちゅうのを見せたるけん』と。関西で。そら、ひんしゅく買いますよね。『何を言うとんねん』と」

引用元:デイリー

 

徳永さんはずっといじめられていましたが、たまたま好きな女子が近くにいた時に恥ずかしくていじめている人を殴ったところ、相手は鼻血を出しています。

 

周囲は驚いてこの出来事をきっかけに翌日からいじめは全くなくなったとのことです。

 

そして徳永さんには「カミソリパンチの徳」というあだ名がつきました。

 

また徳永さんは中学生の頃にラジオから流れてきた音楽に励まされることがよくありました。

 

中学2年生の時の下校中にガードレールのところで「お前は将来歌手になるんだ」という幻のような声を聞いています。

 

その後中学3年生の時に友人が貸してくれた井上陽水さんのアルバム「氷の世界」に感動をして、歌手を志すようになります。

 

徳永さんは母親にお願いをしてギターを購入してもらい、オリジナル曲の制作をはじめました。

 

【主な卒業生】

一色瑠加(元宝塚歌劇団)

 

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徳永英明の学歴~出身高校(市立伊丹高校)・大学の詳細

 

出身高校:兵庫県 市立伊丹高校 偏差値44~50(学科不明のため)

 

 

 

徳永英明さんの出身高校は、市立の共学校の伊丹高校です。

 

この高校は1907年開校の中堅公立校です。

 

また伊丹市内には県立の伊丹高校も存在するので、市立伊丹高校の呼称で呼ばれています。

 

なお同校には以下の3つの学科が設置されていますが、徳永さんがどの学科に在籍したかは不明です。

 

グローバルコミュニケーション:偏差値54

普通:偏差値50

商業:偏差値44

 

なおグローバルコミュニケーション学科の前身にあたる英語学科は徳永さんが卒業後に設置されたので、在籍したのは普通科か商業科です。

 

高校時代はサッカー部とバレーボール部に兼部をしており、スポーツが得意だったようです。

 

 

高校生の頃は勉強はほとんどせずに遊びやアルバイトに明け暮れる日々で、真面目な生徒ではありませんでした。

 

高校時代の徳永さんはヤンキーでした。

 

それでも当時交際をしていた彼女への思いを綴った曲をたくさん作っています。

 

徳永さんが中学時代から作った曲は100曲以上ありましたが、その後の歌手活動に結びついた曲は一曲もなかったようです。

 

高校生の頃には遊びでヒッチハイクをしていました。

 

徳永さんはこのことについては次のように話しています。

 

「やっぱり旅行くのにお金ないから。で、堺まで電車に乗って行って、その後、電車代ないからヒッチハイクしたりとか。危なかったですよ。」

引用元:fujitv

 

また高校生の時には23歳くらいに見られていたとのことです。

 

【主な卒業生】

チャンス大城(お笑い芸人)

奥井亜紀(シンガーソングライター)

 

高校卒業後は専門学校に進学

 

なお徳永さんは高校卒業後は大阪府内の観光系の専門学校に進学しています。

 

ただし校名などの詳細は不明です。

 

また専門学校はわずか2か月で中退しています。

 

 

中退後は上京してミュージシャンを志しました。

 

徳永さんは父親からは「25歳までは好きにやれ。ダメだったら俺の責任で保険屋にする」と言われて、母親からは「早く定職に就きなさい」といわれていました。

 

オーディション番組の「スター誕生」にも出場しましたがスカウトされずに、デビューのきっかけを求めて俳優養成所にも通っています。

 

 

24歳だった1985年にロックミュージカル「はらじゅくグラフィティ」のオーディションで、「TRF」SAMさんと争って主演の座を射止めて俳優デビューしています。

 

そして1986年にファーストシングル「Rainy Blue」で歌手デビューを果たします。

 

 

ただしこの楽曲はオリコン90位とヒットしませんでした。

 

そして1987年にリリースした4thシングル「輝きながら…」が、フジカラーのCMソングに起用されてヒットしています。

 

 

以降も「恋人」や「壊れかけのRadio」などの楽曲がヒットしています。

 

また当初は俳優としても活動しており、1989年のテレビドラマ「悲しいほど好き!」に主演として抜擢されています。

 

 

44歳だった2005年にカバーアルバム「VOCALIST」をリリースするとロングヒットになって、翌年のNHK紅白歌合戦に初出場しています。

 

 

このアルバムのヒットにより音楽界にカバーブームを引き起こすなど、未だに大きな存在感を保っています。

 

私生活では1994年に元モデルの女性と結婚し、2人の子供がいます。

 

今後のさらなる活躍にも期待が高まります。

 

 

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