徳光和夫の学歴と経歴|出身は立教大学・海城高校!中学校の偏差値と若い頃のかっこいい画像

 

フリーアナウンサーの徳光和夫さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りします。数多くのテレビ番組に出演してきた徳光さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、若い頃のかっこいい画像なども併せてご紹介いたします

 

徳光和夫(とくみつ かずお)

 

 

194133日生

身長163

血液型はB型

 

東京都目黒区出身のフリーアナウンサー、タレント

元日本テレビ所属

本名同じ、愛称は「徳さん」

 

以下では徳光和夫さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします

 

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目次

徳光和夫の学歴まとめ

 

出身大学:立教大学 社会学部

出身高校:海城高校

出身中学校:目黒区立第一中学校

出身小学校:目黒区立菅刈小学校

 

徳光和夫の学歴~出身小学校(目黒区立菅刈小学校)の詳細

 

出身小学校:東京都 目黒区立菅刈小学校

 

 

 

徳光和夫さんの出身小学校は、地元目黒区内の公立校・目黒区立菅刈小学校です。

 

家族構成は両親と弟の4人家族のようです。

 

 

父親は日本テレビの映画部で働いており、母親も映画好きだったことから子供の頃から亜頻繁に映画館に足を運んでいました。

 

小学2年生の時に落語を聞きはじめており、学校では休み時間に教壇に座り落語を披露していました。

 

徳光和夫の学歴~出身中学校(目黒区立第一中学校)の詳細

 

出身中学校:東京都 目黒区立第一中学校 偏差値なし

 

 

 

徳光和夫さんの出身中学校は、地元東京都目黒区内の公立校の第一中学校です。

 

徳光さんは中学・高校を通じて帰宅部で、部活動はおこなわなかったようです。

 

【主な卒業生】

藪本雅子(フリーアナウンサー)

デーモン閣下(タレント、ミュージシャン)

 

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徳光和夫の学歴~出身高校(海城高校)の詳細

 

出身高校:東京都 海城高校 偏差値72(現在・超難関)

 

 

 

徳光和夫さんの出身高校は、私立の男子校の海城高校です。

 

同校は1891年開校の伝統校で、現在ではかなりの難関校として知られています。

 

ただし徳光さんの時代は都立校の全盛期で、日比谷高校や新宿高校などの最難関都立高校の滑り止めとして受験するケースが多かったようです。

 

そのため現在ほどのレベルではありませんでした。

 

徳光さんも第一志望は都立高校でしたが、受験に失敗してこの中学校に進学しています。

 

なお現在のこの高校は高校からの募集のない完全中高一貫校ですが、当時は高校から入学することもできました。

 

高校生の頃には厳格な父親に言われて3年間、坊主頭で過ごしていました。

 

また当時は「噺家」を志しており、柳家小さんの自宅まで訪ねて弟子入りを志願し門前払いを食らったというエピソードも明かしています。

 

高校2年生の時には、六大学野球を観戦している時に長嶋茂雄さんが第8号ホームランで大学野球の新記録を達成しました。

 

この姿を見た徳光さんは人生のすべてを長嶋さんに捧げようと思うほど影響されており、当時のことについてはインタビューで次のように話しています。

 

「東京六大学野球の立教対慶應戦で、神宮の星、長嶋茂雄さんの8号ホームランを見て衝撃を受けたこと。バンザイしてホームを踏む姿がかっこよくて、この人に会いたいと。我ながら単純でミーハーです(笑)。」

 

ちなみに徳光さんは高校時代にオブラートを使ってカンニングしたことがありました。

 

【主な卒業生】

崎本大海(俳優)

篠原光(日本テレビアナウンサー)

眞島秀斗(俳優)

 

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徳光和夫の学歴~出身大学(立教大学)の詳細

 

出身大学:立教大学 社会学部 偏差値60(現在・やや難関)

 

 

 

徳光和夫さんは高校卒業後は、立教大学に進学しています。

 

プロ野球の巨人で活躍した長嶋茂雄さんの大ファンだったことから、後輩になるべく立教大学に進学しています。

 

先生に相談したところ当時の徳光さんの学力では到底難しいと言われていますが、必死に勉強をして立教大学の文系学科4学部を受験しています。

 

合格発表を見に行ったところ全滅しており、浪人をしなければいけないと思っていたところ補欠合格をしていました。

 

そして無事にこの大学に入学をしており、野球を観戦するために応援団に入団をしました。

 

 

ところが応援団はスタンドに向かい応援するため野球を見ることができないことに気づき、放送研究会に転部をしています。

 

徳光さんはこのことについてはインタビューで次のように話していました。

 

「野球観戦できるからと応援団に入部しましたが、観客席の方を向いて指示を出す役目だから試合は見られない、バカですよね(笑)。球場で放送研究会があることに気づき、すぐさま転部です。」

 

そして放送研究会ではアナウンスについていろいろ学んでおり、土居まさるさんからアナウンサーになることを勧められてテレビ局を志すようになります。

 

その他にも軽音楽部の司会も務めていました。

 

また大学の卒業試験の際には、ヤマを張ったところ外れており、このことについて次のように話していました。

 

「日本テレビのアナウンサーになるのはもう決まってるんだけども、その試験の単位を取らないことには4月の卒業はできないわけです。だから必死になって勉強したわけです。120ページ出された範囲のうち、100ページやっておけば、可か良はもらえるだろう、そうすれば卒業できるわけじゃないですか。」

 

すると徳光さんが勉強をした100ページからは1問しか出題されておらず、ほとんどは残りの20ページから問題が出されていました。

 

とは言え卒業試験も無事に乗り越えて、徳光さんは大学卒業後は日本テレビにアナウンサーとして入社をしました。

 

ちなみに日本テレビのアナウンサー試験も最終選考に残った2人が学生運動に関与したことが発覚して辞退したことでの繰上りでした。

 

日本テレビ入社後は同局の看板アナウンサーとして人気番組を歴任。

 

 

特に初代総合司会として1979年から9年間出演した「ズームイン!!朝!」は好評でした。

 

 

48歳の時にフリーアナウンサーに転向していますが、以降も数多くの人気番組に出演してきました。

 

 

今後の活動にも注目ですね。

 

以上が徳光和夫さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

日本テレビの局アナ時代から人気が高く、同局の看板アナウンサーのひとりでした。

 

フリーアナウンサーに転身後も、数々のメディアに出演しています。

 

 

既に80歳を超えていますが未だに精力的に活動していることから、末永い活躍を期待したいところです。

 

 

経歴/プロフィールの詳細

 

1963年に日本テレビにアナウンサーとして入社し、当初は主にプロレス中継を担当。 

1969年から司会を担当した「紅白歌のベストテン」で人気アナウンサーとなる。 

1979年から「ズームイン!朝!!」の初代総合司会を務める(1988年まで)。

1989年に日本テレビを退職して、フリーアナウンサーに転向。 

以降も「クイズダービー」や「TVコロンブス」、「夜も一生けんめい」などの人気番組に出演。 

タレントとしても「アッコにおまかせ」や「路線バスで寄り道の旅」などのバラエティー番組に出演している。

既婚者で娘と2人の息子がおり、タレントのミッツ・マングローブは甥。

 

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