女優の松坂慶子さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。大女優として知られる松坂さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、若い頃のかわいい画像なども併せてご紹介いたします
松坂慶子(まつざか けいこ)
1952年7月20日生
身長162㎝
血液型はA型
東京都出身の女優、歌手、タレント
本名同じ(結婚前)
以下では松坂慶子さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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松坂慶子の学歴まとめ
出身大学:進学せず
出身高校:日本大学第二高校
出身中学校:中野区立第三中学校
出身小学校:渋谷区立鳩森小学校→中野区立向台小学校
松坂慶子の学歴~出身小学校(中野区立向台小学校)の詳細
出身小学校:東京都 中野区立向台小学校
※現在は閉校
松坂慶子さんの出身小学校は、地元中野区内の公立校の中野区立向台(むこうだい)小学校です。
この小学校は2019年に中野区立桃園小学校と統合されて、現在は閉校になっています。
家族構成は両親と弟の4人家族です。
松坂さんは韓国人の父親と日本人の母親の間に生まれました。
7歳年下の弟はぼーっとした性格で外見はところどころ松坂さんに似ているものの、全体の感じは全く似ていないそうです。
当初は渋谷区に在住しており、渋谷区立鳩森小学校に入学しています。
小学校時代に中野区に転居して、向台小学校に転校しています。
子供の頃はとてものんびりした性格でピアノや歌、クラシックバレエなど様々な習い事していました。
松坂さんは習い事の中でも5歳から習っていたクラシックバレエはのめり込んでおり、将来はバレリーナやダンサーになりたいと思っていました。
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松坂慶子の学歴~出身中学校(中野区立第三中学校)の詳細
出身中学校:東京都 中野区立第三中学校 偏差値なし
※現在は中野区立中野東中学校
松坂慶子さんの出身中学校は、地元東京都中野区内の公立校の中野区立第三中学校です。
この中学校は2018年に中野区立第十中学校と統合されて、現在は中野区立中野東中学校になっています。
中学時代は演劇クラブに在籍をしていた傍ら、生徒会の会計係を務めていました。
当時のことについてインタビューで次のように話しています。
「数学はちょっと苦手かな。中学の時に生徒会の会計係をしていて、そういう実用面の数字なら大丈夫なんですが、今でも『ルート』なんて言われるとさっぱり。」
記事引用:TBSテレビ
松坂さんは中学3年生の時に両親の「これからの時代は女性も特技を身に着けるべき」という後押しで劇団ひまわりに入団しており、子役としてドラマや映画への出演を開始しています。
当時のことについてインタビューでは次のように振り返っています。
「当時は父と母と暮らす家庭が中心でした。おうちでご飯を食べて、おうちから学校へ行って…。家族との関係が当たり前のように濃かった。仕事を始めるようになって、初めてマイクロバスに乗って、房総半島に行ったら、その頃春で、ストックの花や菜の花がきれいで、海がきれいでした。この仕事をしていると、いろんなところでロケをするので、よく、いろんなことにびっくりしてました。」
記事引用:スポニチ
【主な卒業生】
富永みーな(声優)
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松坂慶子の学歴~出身高校(日本大学第二高校)・大学の詳細
出身高校:東京都 日本大学第二高校 偏差値67(難関・現在)
松坂慶子さんの出身高校は、私立の女子校(当時)の日本大学第二高校です。
この高校は1926年開校の日本大学の系列の私立高校です。
また現在の同校は共学校ですが、松坂さんが在籍した当時は女子部と男子部に分かれており実質的な女子校でした。
加えて現在の同校は早稲田大学や慶応大学、上智大学などの難関大学などへの進学実績がある進学校ですが、当時は系列の日本大学が主な進学先で、現在ほどのレベルではありませんでした。
松坂さんは中学時代から芸能活動をおこなっており、高校時代も3年間にわたって芸能活動をおこなっていました。
自身の高校時代についてインタビューで次のように話しています。
「歴史でも理科でも、お話の上手な先生の授業が好きでした。それから、お料理とかいろんなものを作る家庭科も大好き。高校の担任が家庭科の先生で、優しくて凛とした女性でした。その先生に教えていただいて、浴衣やブラウスをよく縫いました。母にプレゼントしようと、白いサッカー生地のブラウスも縫い始めたんですが、なかなか完成しないから、母によく『いつになったらそれを着られるのかしら』って言われて(笑)。」
記事引用:TBSテレビ
高校時代は週に2回ほど古賀政男ギター歌謡学院でレッスンを受けていた傍ら、クラシックバレエも習っていました。
クラシックバレエについては継続することができており、その理由は「先生がハンサムだったから」だそうです。
松坂さんは学生時代に仕事をしていた時のことについてインタビューでは次のように話しています。
「私が子供の頃、友だちにつけられたあだなは、うどの大木。不器用で、のんびりしていて、なかなかスイッチが入らない子供でした。そんな私でも女優になれる時代だったんです。大映や松竹に育ててもらいました。私ができるまでテストをしたし、できるまで本番を撮りました。テストが五十数回、本番が十数回ということもありました。そうやって私は育ちました」
記事引用:スポニチ
高校2年生だった1969年に正式に大映からスカウトをされていますが、当初はお色気系の映画への出演が主でした。
高校3年生の時に所属先だった大映が倒産して、松竹に移籍しています。
【主な卒業生】
春日俊彰(オードリー)
若林正恭(オードリー)
安藤玉恵(女優)
おのののか(タレント)
大学には進学していない
なお松坂さんは高校卒業後は大学などには進学しておらず、芸能活動に専念しています。
高校を卒業した1971年から映画の主演に起用され、知名度が上昇しています。
さらに1973年にはNHKの大河ドラマ「国盗り物語」に出演しています。
1980年代に入ると「青春の門」や「蒲田行進曲」、「火宅の人」などの話題作の映画の主演級に起用されて、人気女優の地位を揺るぎないものにしています。
加えて当時は歌手としても人気がありました。
以降も数々の話題作のテレビドラマや映画に出演しています。
以上が松坂慶子さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
若い頃は数々の人気のテレビドラマや映画に起用されて、女優として一世を風靡しています。
また現在でも第一線で活躍しており、ドラマや映画にも出演しています。
未だに絶大な人気を誇る女優だけに、末永い活躍を期待したいところです。
松坂慶子の経歴・プロフィールのまとめ
1967年に劇団ひまわりに入団し、同年のドラマ「忍者ハットリくん」で女優デビュー
1970年の「高校生番長」で映画初出演
1971年の「夜の診察室」で映画初主演
1973年のNHKの大河ドラマ「国盗り物語」で知名度が上昇
1976年に「おとずれ」で歌手デビューし、1979年に「愛の水中花」が大ヒット
1981年の映画「青春の門」と「男はつらいよ」の出演で、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞
以降も数多くの作品に出演し、「上海バンスキング」や「グッバイ・ママ」、「ベトナムの風に吹かれて」などの映画に主演
「毛利元就」や「熟年離婚」、「ゲゲゲの女房」などの連続ドラマにも出演
私生活では1990年にギタリストの高内春彦と結婚し、2人の娘がいる
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