俳優の小日向文世さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。演技派俳優として知られる小日向さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、若い頃のかっこいい画像なども併せてご紹介いたします
小日向文世(こひなた ふみよ)
1954年1月23日生
身長165㎝
血液型はO型
北海道三笠市出身の俳優
本名同じ
以下では小日向文世さんの出身中学校や高校の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介していきます
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小日向文世の学歴まとめ
出身専門学校:東京写真専門学校
出身高校:道立三笠高校
出身中学校:三笠市立三笠中学校
出身小学校:三笠市立三笠小学校
小日向文世の学歴~出身小学校(三笠市立三笠小学校)の詳細
出身小学校:北海道 三笠市立三笠小学校
小日向文世さんの出身小学校は、地元三笠市内の公立校・三笠市立三笠小学校です。
家族構成は両親と兄、姉の5人家族です(3人きょうだいの末っ子)。
実家は寺院です。
両親からは甘やかされて育っており、反抗期がない子供でした。
俳優になることを父親に伝えた際には「志村喬みたいな俳優を目指しなさい」と言われています。
子供の頃から絵を描くことが好きで、絵画教室に通っていました。
また小日向さんは小学生の頃に先生から落ち着きがないとよく言われていたようです。
小日向文世の学歴~出身中学校(三笠市立三笠中学校)の詳細
出身中学校:北海道 三笠市立三笠中学校 偏差値なし
小日向文世さんの出身中学校は、地元北海道三笠市内の公立校・三笠市立三笠中学校です。
中学時代は卓球部に在籍をしていました。
当時は毎日寝る前には俳句を書いていたそうです。
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小日向文世の学歴~出身高校(北海道立三笠高校)の詳細
出身高校:北海道 三笠高校 偏差値38(当時・かなり容易)
※現在は閉校
小日向文世さんの出身高校は、道立の共学校だった三笠高校です。
この高校は1945年開校の公立校で、2010年に閉校しています。
ただし校舎などはその後に開校した市立三笠高校に引き継がれています。
小日向さんは高校時代は美術部に在籍をしており、初めて出典した油絵の作品が道展に入選しています。
また高校1年生のときに好きな女子に振られてしまったショックから学校を早退したことがありました。
その時に帰る途中で足音が聞こえてきて振り返ったところ、小さな犬がついてきていたそうです。
小日向さんは心が通じ合っている気がしましたが、飼うことは許されませんでした。
しかしこの犬との出会いを忘れられないと語っています。
加えて高校時代には麻雀にハマっており、美術部で絵を描いているか麻雀に明け暮れる日々だったといいます。
そのため勉強に全く興味を持つことができず、主要5教科の評価はすべて2だったとのことです。
英語に関してはかなり苦手で200点満点で一桁の点数でした。
小日向さんは先生に美術大学に進みたいと相談したところ、「お前の成績で入れる大学はない!」とはっきり言われたことを明かしています。
小日向さんは高校3年生のときに初めて女子と交際をしていますが、映画館などでデートをして手も握らないような淡い関係でした。
【主な卒業生】
キートン山田(声優、ナレーター)
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小日向文世の学歴~出身大学(東京写真専門学校)の詳細
出身大学:専門学校 東京写真専門学校 偏差値なし
※現在は専門学校東京ビジュアルアーツ
小日向文世さんは高校卒業後は、東京・御茶ノ水のデザイン専門学校(校名は不明)に進学しています。
当初はグラフィックデザイナーを目指していました。
ところが最初の冬休みに姉と群馬県のスキーツアーに参加した際に複雑骨折をしており、その後は入退院を3回ほど繰り返しています。
小日向さんは合計8回の手術をして1年半を棒に振ったとのことです。
入退院を繰り返す生活は辛かったため、これだけ痛い思いをしたのだからこれからは好きなことをして生きていこうと決意します。
そして小日向さんは当時「流行通信」というファッション誌が人気でカメラマンが憧れの職業だったことから、女子にモテるという動機でカメラマンを志しています。
そのため最初の専門学校は中退して、東京写真専門学校(現専門学校東京ビジュアルアーツ)に入学し直しています。
しかしこの専門学校の卒業間近にカメラマンという職業に違和感を覚えて、最終的には俳優を目指すことにしました。
(若い頃)
そのため文学座に入団しようとしますが失敗したことをインタビューで明らかにしています。
「俳優の登竜門といえば文学座で、中村雅俊さんや松田優作さんが大活躍されていました。その文学座の入団試験は散々でしたよ。一次選考で見事不合格。志望者は約6000名、30名に残れるはずもありませんでした」
しかし当時のアルバイトの先輩から文学座の看板俳優だった中村雅俊さんのコンサートスタッフの募集の話を聞いて応募して、いつの間にか中村さんの付き人になっています。
またその際に中村さんにきちっとした劇団に入団することを勧められたことから付き人を8か月間務めた後に、23歳だった1977年に、串田和美さんが主宰する劇団「オンライン自由劇場」に入団しています。
この劇団には1996年の解散時まで19年間在籍しており、看板女優の吉田日出子さんの相手役を務めたこともありました。
劇団解散後はテレビドラマに進出しますが端役が多く、借金生活も経験しています。
それでも47歳だった2001年に三谷幸喜さん演出の舞台に出演したことがきっかけとなり、木村拓哉さん主演の月9ドラマ「HERO」の主要キャストに大抜擢されました。
すると知名度も一気に上がり、演技力も高かったことから、以降は数々のテレビドラマや映画に起用される人気俳優になっています。
以上が小日向文世さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
所属劇団解散後はなかなか役柄に恵まれませんでしたが、テレビドラマ「HERO」に出演してブレイクしています。
その後の活躍は周知の通りで、名バイプレーヤ―として現在でも多数のドラマや映画で活躍しています。
まさに逆転ホームランといった俳優人生ですが、苦労を重ねた分息の長い活躍を期待したいところです。
経歴・プロフィールの詳細
22歳で俳優を目指し、中村雅俊の付き人などを経てオンシアター自由劇場に入団。
1979年の舞台「上海バンスキング」で俳優デビューし、以降も同劇団の看板女優の吉田日出子の相手役などを務める。
1988年に映画「上海バンスキング」でスクリーンデビュー。
1993年の「エホバの証人と輸血拒否事件」でドラマ初出演。
1996年に自由劇場が解散すると、テレビドラマに活動の場をシフトするが当初は端役ばかりだった。
2001年の連続ドラマ「HERO」のレギュラーに起用され知名度が上がる。
その後は「JIN仁」や「まれ」「重版出来!」などの話題作の連続ドラマに多く出演。
映画でも2004年の「銀のエンゼル」で初主演を果たし、「アウトレイジ」や「ソロモンの偽証」などの人気作に多数出演。
私生活では39歳の時に11歳年下の劇団員の女性と結婚し、2人の子どもがいる。
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