歌手の高橋真梨子さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。数々のヒット曲をリリースしている高橋さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、若い頃のかわいい画像なども併せてご紹介いたします
高橋真梨子(たかはし まりこ)
1949年3月6日生
身長155㎝
血液型はA型
広島県廿日市市出身(福岡市育ち)の歌手、作詞家
本名は髙橋まり子(結婚前)、旧芸名は高橋まり
以下では高橋真梨子さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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高橋真梨子の学歴まとめ
出身大学:進学せず
出身高校:九州女子高校→駒沢学園女子高校
出身中学校:福岡市立高宮中学校
出身小学校:福岡市立大楠小学校
高橋真梨子の学歴~出身小学校(福岡市立大楠小学校)の詳細
出身小学校:福岡県 福岡市立大楠小学校
高橋真梨子さんの出身小学校は、地元福岡市内の公立校の大楠中学校です。
家族構成は両親と3人家族でした(ひとりっ子)。
父親はジャズバンドのサックス奏者として活動をするミュージシャンでしたが、高橋さんが幼い頃に難病となり母親は父親のモルヒネ代を稼ぐために水商売をしていました。
その後は両親は離婚をして親権争いの末、母親と暮らすことになりました。
しかし母親は父親が病気で苦しむ間も他の男性との恋愛に夢中だったこともあり、母親と良い思い出はなく孤独な日々を過ごしていたといいます。
小学生の頃は休みのたびに父親に会いに行っており、高橋さんは母親のことを恨み続けていたといいます。
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高橋真梨子の学歴~出身中学校(福岡市立高宮中学校)の詳細
出身中学校:福岡県 福岡市立高宮中学校 偏差値なし
高橋真梨子さんの出身中学校は、地元福岡市内の公立校の高宮中学校です。
この中学校は福岡市内でも有数の大規模校で、公立校でありながら多くの芸能人を輩出しています。
中学校時代は帰宅部で、部活動はおこなっていません。
中学校時代も母親とは不仲で、学校でも友達が少なく孤独でした。
孤独だった高橋さんの支えとなったのは音楽でした。
当時流行していた姉妹デュオ「ザ・ピーナッツ」に憧れて、歌手を志すようになりました。
中学生の頃には年に数回ほど父親に会いに行っており、歌手になりたいと相談をしたところ父親からアドバイスをもらって背中を押してもらっています。
父親からのアドバイスが高橋さんの音楽の原点となっており、インタビューでは次のように話しています。
「ポップスとかアイドル的な歌手は、僕は望まない。歌うなら、難しい曲…スタンダードジャズとか、名曲みたいなものから始めた方がいい」
引用元:WayBack machine
そして14歳のときに父親のバンドにいたピアノ奏者が先生になってくれて、歌の練習をはじめています。
当時のことについてはインタビューで次のように話しています。
「まず発声をきちんと習いましたが、とても厳しい先生で、ただただ一生懸命やるだけ。楽譜が読めずに間違えたりすると大声で怒鳴られました。おかげで音程がきちんと取れるようになり、声も出るようになりました。」
引用元:産経ニュース
また高橋さんは中学生の頃から学校には内緒で、ナイトクラブで歌いはじめています。
このことについてはインタビューで次のように話していました。
「客があまり入らない時間帯だったが、とても緊張したのを覚えている。歌を聴いたある大物歌手からスカウトされたのもこの頃だ。」
引用元:WayBack machine
父親は「東京に行くな」と何度も言っており、博多でライブをするように言われていたため高橋さんも父親の言いつけを守っていました。
当時は東京と博多を簡単に行き来できるような状況ではなく、加えて実力優先の時代だったことから高橋さんが東京で通用するとも思っていなかったようです。
【主な卒業生】
タモリ(お笑いタレント)
森口博子(タレント)
博多華丸(お笑い・博多華丸・大吉)
氷川きよし(演歌歌手)
渕上舞(HKT48)
きうちかずひろ(漫画家)
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高橋真梨子の学歴~出身高校(九州女子高校・駒沢学園女子高校)・大学の詳細
出身高校:東京都 九州女子高校 偏差値40台(当時)
※現在は福岡大学附属若葉高校
※後に転校
高橋真梨子さんが入学したのは、私立の女子校の九州女子高校です。
この高校は1907年開校の私立高校で、2010年に福岡大学を運営する学校法人に吸収されて、現在は福岡大学附属若葉高校になっています。
また高橋さんが在籍した当時は女子校でしたが、2019年に男女共学化されています。
現在は特進コースなどを設置して偏差値も向上していますが(偏差値49~58)、当時は現在ほどのレベルではありませんでした。
同校は古くから芸能活動に寛大で、多くの女性芸能人のOGがいることで知られています。
高橋さんは高校時代も帰宅部で、部活動などはおこなっていません。
また中学校時代に引き続いて、高校時代もナイトクラブで歌っていました。
そして高橋さんが高校1年生の時に父親は亡くなると周囲の人たちは、東京に行くことを勧められています。
このタイミングで芸能関係者から声をかけられたこともあって、16歳のときに上京をしました。
【九州女子高校の主な卒業生】
上野由岐子(ソフトボール日本代表)
そして高橋さんは私立の女子校の駒沢学園女子高校(偏差値52・現在)に転校しています。
この高校は1927年開校の駒沢大学の系列の私立高校で、古くから芸能活動を容認していたので、多くの芸能人を輩出しています。
高橋さんは17歳だった1966年に、キャンディーズや野口五郎さんらを輩出した当時の若手歌手の登竜門の「スクールメイツ」に加入します。
加えて4人組のコーラスグループ「スカーレット」に加入をしてダンスなどの練習をしましたが、自身の求めている形ではありませんでした。
東京で過ごした時間は母親から細やかな気遣いを感じ、不仲だった親子関係が修復に向かっており、高橋さんは母親に甘えていたことに気づいたとのことです。
【駒沢学園女子高校の主な卒業生】
常盤貴子(女優)
戸田恵子(女優)
松下由樹(女優)
島田陽子(女優)
麻倉未稀(歌手)
高橋真梨子さんは高校卒業後は大学などに進学せずに、芸能活動に専念しています。
ただしあくまでも本格的なアーティスト指向だったので高校を卒業を機に「スクールメイツ」を脱退して、当時所属していた渡辺プロダクションも辞めています。
そして博多に戻ってクラブなどで活動しています。
しばらくは下積み時代が続きますが、23歳だった1972年に中洲のクラブで歌っていたところをスカウトされて、ペドロ&カプリシャスに二代目ボーカリストとして加入します。
すると翌年に「ジョニィへの伝言」や「五番街のマリーへ」がヒットして、NHK紅白歌合戦にも出場しています。
加入後はヒット曲にも恵まれて、知名度も大幅に上昇します。
29歳だった1978年にペドロ&カプリシャスを脱退し、「あなたの空を翔びたい」でソロ歌手デビューします。
そして1984年に10thシングルの「桃色吐息」が大ヒットしています。
以降も「はがゆい唇」や「遙かな人へ」がヒットして、人気歌手の地位を築いています。
現在でも精力的に活動しており、実力派歌手として広く認知されています。
末永い活躍を期待したいところです。
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