俳優の赤澤遼太郎さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りします。数々の舞台に出演している赤澤さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報なども併せてご紹介いたします
赤澤遼太郎(あかざわ りょうたろう)
1997年1月11日生
身長173㎝
血液型はO型
神奈川県出身の俳優、タレント
本名は非公表
以下では赤澤遼太郎さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介します
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赤澤遼太郎の学歴まとめ
出身大学:明治大学 情報コミュニケーション学部
出身高校:PL学園高校
出身中学校:不明
出身小学校:不明
赤澤遼太郎の学歴~出身小学校の詳細
出身小学校:不明
赤澤遼太郎さんの出身小学校は、神奈川県内の公立校のようですが校名などは不明です。
現時点では神奈川県のどの市町村の出身者か不明で、手がかりは掴めませんでした。
家族構成は両親と弟の4人家族のようです。
子供の頃や小学校時代のエピソード
両親はともに声優です。
そのため幼い頃から芸能界に興味がありました。
赤澤さんは小学4年生の頃から野球をはじめています。
赤澤遼太郎の学歴~出身中学校の詳細
出身中学校:不明
赤澤遼太郎さんの出身中学校は、神奈川県内の公立校のようですが校名などは不明です。
中学時代も野球部に在籍して、部活動に打ち込んでいました。
また中学校時代は生徒会長も務めており、文武両道型の生徒でした。
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赤澤遼太郎の学歴~出身高校(PL学園高校)の詳細
出身高校:大阪府 PL学園高校 偏差値50~53(コース不明のため)
赤澤遼太郎さんの出身高校は、私立の共学校のPL学園高校です。
この高校は1955年開校のパーフェクトリバティー教団(PL教団)の系列の学校法人が運営する私立高校で、かつては硬式野球部が全国的な強豪として知られていました。
ただし2016年に硬式野球部が休部になってからは生徒数が激減して、現在では1学年10名程度になっています。
なお同校は以下の2つのコースを設置していますが、赤澤さんがどちらのコースに在籍したかは不明です。
国公立:偏差値53
理文選修:偏差値50
高校時代のエピソード
赤澤さんは両親も祖父もPL学園の出身だったこともあって、生まれ育った神奈川県を離れてこの高校に入学をしました。
高校時代は軟式野球部に在籍をしており、青春はすべて野球に捧げたというほど野球に熱中しています。
中学校、高校時代は生徒会長を務めており、寮生活だったことから寮生長もしていました。
慣れない寮生活では、この高校のOBの桑田真澄さんの本にある「努力は裏切らない」「何ごとにも感謝を忘れない」という言葉が励みになったようです。
赤澤さんは家族と一緒に過ごしていた時は家事はすべて任せっきりでしたが、寮生活では自分で家事をするようになり、かなり大変な思いをしました。
野球部で汚れも多かったことから、ウタマロ石鹼を使ってごしごしと汚れを落としていたことが思い出に残っているとのことです。
また赤澤さんの高校時代は坊主頭で当時のことについてインタビューで次のように話しています。
「まゆげも細くして。プリクラもこうやって(下から睨みつけるような表情で)、帽子を後ろかぶりにして、眉毛を寄せて撮ってました。」
引用元:Bezzy
大学受験を頑張った
高校2年生のときに大学受験を決めましたが当時の学力では進学できる大学がなく、先生や友人からは「絶対に無理」などと言われていました。
そのため赤澤さんは高校3年生の時には部活動を休部していました。
大学の受験勉強中は志望校は直前までE判定でしたが、どうしても合格をしたかったことから必死で頑張り続けた結果、赤澤さんが受けた大学は全て合格しています。
このことについては自身のSNSに次のように綴っていました。
「必死こいて死に物狂いで勉強して、受けた大学全部合格した時は本当に嬉しくて、親と泣きながら抱き合ったことを覚えています。笑」
引用元:インスタグラム
赤澤さんは大学受験を経験して自信が持てるようになって、おり自分の考え方が大きく変わったことを明かしています。
【主な卒業生】
桑田真澄(元プロ野球選手)
清原和博(元プロ野球選手)
上重聡(アナウンサー)
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赤澤遼太郎の学歴~出身大学(明治大学)の詳細
出身大学:明治大学 情報コミュニケーション学部 偏差値60(やや難関)
赤澤遼太郎さんは高校卒業後は、明治大学に進学しています。
在籍したのは情報コミュニケーション学部で、人文学経済、社会科学など様々なことを学習していました。
大学1年生の時に俳優デビュー
赤澤さんは大学1年生だった2015年に、オーディションを経て芸能事務所に所属しています。
そして同じ年に、舞台「CHaCK-UP―Episode.0―」で俳優としてデビューをしています。
学業との両立に苦労していた
役者の道に進むことを決意した際には、親とは大学は卒業することを約束していました。
しかし仕事と学業の両立はかなり大変だったようで、退学をしたいと思うこともあったとのことです。
自身の大学時代についてはインタビューで次のように話しています。
「授業と本番が重なった日は、1・2限に出た後、マチネ(昼公演)に向かう日もあり、「大学を辞めたい」と思ったこともありました。何度もくじけそうになりましたが、大学に入ったことを喜んでくれた祖父母や、学費を払ってくれている親のことを考えると、卒業することが一番の恩返しになると決意しました。」
引用元:Iam
特に大学生活の中で人の懐に上手く入っていく技を身に付けたと語っており、このことについてはインタビューで次のように話していました。
「単位が足りなくなったとき、教授のところに「大阪公演に行ったときのお土産です」ってお菓子とかを持って行って、こっそり「あの……。テストはどのあたりが出るでしょうか」と聞いたことがありました。世渡りが上手になったなって思います(笑)」
引用元:Iam
そして赤澤さんは大学を途中で半年間休学しており、4年半で卒業したことについて自身のSNSで報告をしていました。
以降も舞台を中心に活動しており、たびたび主演も務めています。
2023年には映画「アキとハルはごはんを食べたい」の主演に起用されています(高橋健介とW主演)。
今後のさらなる飛躍にも期待が高まります。
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