女優の渡辺えりさんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。タレントとしても人気の高い渡辺さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、若い頃のかわいい画像なども併せてご紹介いたします
渡辺えり(わたなべ えり)
1955年1月5日生
身長160㎝
血液型はO型
山形県山形市出身の女優、タレント
本名(旧姓)及び旧芸名は渡辺えり子
以下では渡辺えりさんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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渡辺えりの学歴まとめ
出身専門学校:舞台芸術学院
出身高校:山形県立山形西高校
出身中学校:山形市立第六中学校
出身小学校:山形市立第六小学校
渡辺えりの学歴~出身小学校(山形市立第六小学校)の詳細
出身小学校:山形県 山形市立第六小学校
渡辺えりさんの出身小学校は、地元山形市内の公立校の第六小学校です。
家族構成は両親と弟の4人家族です。
5歳の時に山形の市街地の近くに家を建てたことから家計が厳しくなり、母親は毎日内職をして支えていました。
また渡辺さんは2,800gで生まれており少し小さめだったことから、母親はミルクを与えすぎて太った子供になりました。
小学生になると同級生から「デブ」などと言われていじめられるようになり、学校に行くことが怖くて休みがちになりました。
このことについてはインタビューで次のように話しています。
「今度はものすごく太った。細胞自体が大きくなったのか痩せられない。小学校に入ると『デブ』とか言われ、いじめられて」。学校に行こうとしても足が動かなくなったり。1、2年生の前半は「人と会うのが怖くなって、しょっちゅう休んでました」
引用元:スポーツ報知
しかし小学3年生の時に担任の先生が渡辺さんの作文や歌唱力を褒めてくれたことがきっかけとなり、自信を取り戻すことができました。
渡辺さんは当時のことについて「人間ってどこで何がきっかけで変わるか分からない」と振り返っており、渡辺さんはいじめっ子から学級委員を務めるまでに変わっています。
また小学生の頃に歌手の沢田研二さんに憧れたことで、音楽に興味を抱くようになりました。
加えて幼少期から演劇が好きで、小学校5年生の時には演劇の主演と演出をしています。
渡辺えりの学歴~出身中学校(山形市立第六中学校)の詳細
出身中学校:山形県 山形市立第六中学校 偏差値なし
渡辺えりさんの出身中学校は、地元山形市内の公立校の第六中学校です。
中学校時代は合唱部に在籍していました。
(右は母親)
渡辺さんは中学1、2年生の頃には学芸会の脚本を手掛けるなど、才能の片鱗を見せはじめています。
中学校の生徒会では雑誌作りなどもおこなっていたようです。
【主な卒業生】
中島みゆき(シンガーソングライター・転校)
ぺえ(タレント)
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渡辺えりの学歴~出身高校(山形県立山形西高校)・大学の詳細
出身高校:山形県 山形西高校 偏差値66(難関)
渡辺えりさんの出身高校は、県立の共学校の山形西高校です。
同校は1898年開校の伝統校で、県内でもトップクラスの進学校として知られています。
またいちおうは共学校ですが、生徒は女子のみで事実上の女子校です。
高校時代は演劇部に所属しています。
高校生になるとフォークソングに目覚めて「終着駅」というグループを組んで、県大会に出場をして優勝しています。
また友人と2人でデュオ「やぎ座」を結成して音楽活動にも励んでいました。
渡辺さんは16歳の時に地元の山形市でテネシー・ウィリアムズの戯曲「ガラスの動物園」というお芝居を見た時に、客席から立ち上がることができないほどの衝撃を受けました。
そして終演後に演出で来ていた女優の長岡輝子さんの楽屋をアポなしで訪ねており、突然「芝居の道に進みたいけれど、大学(できれば京都大学)にも入りたい。どうしたらいいでしょう」と相談をしています。
長岡さんはアポなしだったにもかかわらず親身になって、役者に学歴はいらないからすぐに上京をしてお芝居の勉強をするように話をしてくれたそうです。
またこのお芝居を見たときの心境については、次のように振り返っていました。
「高校生の頃、「片付けろ」「勉強しろ」「早く帰れ」としょっちゅう小言ばかりの母ちゃんが大嫌いで、早く東京で1人暮らしをしたいと熱望しながら見た「ガラスの動物園」。アマンダが母ちゃんにそっくりで驚いた。自分はローラにそっくりだった。自分の家庭をのぞかれているような錯覚に陥った。客席で号泣し「芝居をやろう!」と決意した。」
引用元:山形新聞
渡辺さんの高校時代から憧れの人は劇作家、演出家である俳優の唐十郎さんです。
自ら脚本を書いて演出をし出演するという渡辺さんのスタイルは、唐さんに影響を大きく受けています。
渡辺さんは唐さんとの出会いについてインタビューで次のように話していました。
「高校生の頃、新聞に唐さんの作品の劇評が載っているのを見てお名前を知ったのが“出会い”です。」
引用元:女性セブンプラス
なお渡辺さんは前述した通り長岡さんのアドバイスに後押しされる形で、高校卒業後は両親の反対を振り切って上京をしました。
【主な卒業生】
武田祐子(アナウンサー)
佐竹なな(グラビアアイドル)
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高校卒業後は専門学校に進学
出身大学:専門学校 舞台芸術学院 偏差値なし
渡辺えりさんは高校卒業後は、専門学校の舞台芸術学院に進学しています。
同校は1948年開校の老舗の俳優を養成する専門学校で、役所広司さんや市村正親さん、平岩紙さんらも卒業生です。
ただし2026年3月に閉校予定です。
渡辺さんはこの専門学校に入学するために上京しています。
この専門学校では女優のもたいまさこさんが同級生でした。
当初は山形弁が恥ずかしかったことから物静かな生徒でしたが、徐々に周囲と打ち解けていきました。
専門学校時代は「ジュリ子」のあだ名で呼ばれています。
この専門学校では演技を学ぶとともに、仲間とともに演劇雑誌も作っていました。
卒業公演ではシェイクスピアの「十二夜」を公演しました。
同校卒業後は劇団「青俳」の演出部などを経て、23歳だった1978年にもたいさんらと劇団「2〇〇」(にじゅうまる)を結成しています(後に「3〇〇(さんじゅうまる」に改名)。
28歳だった1983年の「おしん」でテレビドラマに初出演しています。
このテレビドラマの演技が高い評価を受けて、以降は数えきれないほどのテレビドラマや映画に出演してきました。
1997年に「転勤刑事シリーズ」でテレビドラマ初主演しています。
テレビドラマの代表作は「100の資格を持つ女シリーズ」や「小児救命」、「あまちゃん」などです。
私生活では1996年に、12歳年下の俳優の土屋良太さんと結婚しています。
加えて渡辺さんはユニークなキャラクターでタレントとしても活動しており、バラエティー番組や情報番組にレギュラー出演しています。
さらには演出家や作詞家としての顔を持ち、多方面で活動しているので末永い活躍を期待したいところです。
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