薬丸裕英の学歴と経歴|出身高校大学や中学校の偏差値と若い頃のかっこいい画像

タレントの薬丸裕英さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。高校時代に「シブがき隊」のメンバーとして一世を風靡した薬丸さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、若い頃のかっこいい画像なども併せてご紹介いたします

 

薬丸裕英(やくまる ひろひで)

 

 

1966219日生

身長170

血液型はB型

 

東京都武蔵野市出身のタレント、俳優

本名同じ、愛称は「やっくん」

 

以下では薬丸裕英さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします

 

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目次

薬丸裕英の学歴まとめ

 

出身大学:進学せず

出身高校:明治大学付属中野高校 定時制課程(中退)

出身中学校:武蔵村山市立第四中学校

出身小学校:港区立神応小学校→武蔵村山市立第四小学校→武蔵村山市立第七小学校

 

薬丸裕英の学歴~出身小学校の詳細

 

出身小学校:東京都 港区立神応小学校

※現在は白金の丘学園

 

 

薬丸裕英さんが入学したのは、港区内の公立校の神応(しんのう)小学校です。

 

この小学校は2015年に三光小学校、朝日中学校と統合されて、現在は小中一貫校の白金の丘学園になっています。

 

家族構成は両親と姉の4人家族です。

 

(母親と)

 

父親は自動車整備工場を経営していましたが、決して裕福な暮らしではありませんでした。

 

小学校時代に東京都内を転々としており4畳半二間の部屋で、共同トイレのアパートで暮らしていたことを明かしています。

 

神応小学校に通学したのは1年生の10月までで、その後は武蔵村山市に転居しています。

 

そのため武蔵村山市立第四小学校に転校しています。

 

さらにその後に武蔵村山市立第七小学校に転校しています。

 

め薬丸さんは小学5年生の頃から月給5,400円で新聞配達のアルバイトをして、家計を助けていたようです。

 

ちなみに外食は誕生日やクリスマスなど特別な時だけでした。

 

薬丸さんは小学生の頃に野球チームに所属したり、空手を習うなど体を動かすことは好きだったようです。

 

小学生の頃は団体行動がかなり苦手だったこともあって、通知表にはよく「協調性がない」と書かれていました。

 

当時から警察の厄介になるほどヤンチャな一面もあったようです。

 

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薬丸裕英の学歴~出身中学校(武蔵野市立第四中学校)の詳細

 

出身中学校:東京都 武蔵村山市立第四中学校 偏差値なし

※現在は武蔵村山市立小中一貫校大南学園第四中学校

 

 

薬丸裕英さんの出身中学校は、地元武蔵村山市内の公立校の第四中学校です。

 

この中学校は2015年に武蔵村山市立第七小学校と統合されて、武蔵村山市立小中一貫校大南学園第四中学校になっています。

 

中学時代はサッカー部に在籍をしており、キャプテンを務めていました。

 

 

また薬丸さんはバンド「クールス」に憧れたことから、バンドを結成してドラムを担当しています。

 

お年玉を貯金してドラムセットを購入しました。

 

小学生の頃からヤンチャでどんどんエスカレートをしており、中学生の頃の薬丸さんは不良で地元の暴走族に所属をしていました。

 

雑誌「Emma」には当時の薬丸さんが煙草をくわえたり、お酒を持っている姿が4ページにわたり掲載されたことがあったそうです。

 

中学2年生の終わりごろに同級生がジャニーズ事務所に履歴書を送って面接に呼ばれたため、薬丸さんは付き添いとしてTBSテレビに一緒に足を運んでいます。

 

この時に薬丸さんはジャニー喜多川さんからスカウトをされたことがきっかけで、芸能界入りをすることになりました。

 

ちなみに父親が「学歴なんかいらない」という考え方だったこともあって、薬丸さんは中学校卒業後は鉄工所で働くつもりでした。

 

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薬丸裕英の学歴~出身高校(明治大学付属中野高校)・大学の詳細

 

出身高校:東京都 明治大学附属中野高校 定時制課程(中退) 偏差値40(容易)

 

 

薬丸裕英さんの出身高校は、私立の共学校の明治大学付属中野高校です。

 

同校は定時制課程は2003年に廃止されるまで、堀越高校と並んで多くの芸能人を輩出してきました。

 

薬丸さんが在籍当時は同学年に本木雅弘さん、布川敏和さん、三田寛子さん、1学年下に東山紀之さん、石川秀美さんが在籍していました。

 

高校時代は卓球部に在籍をしていました。

 

高校1年生だった1981年にはテレビドラマ「2年B組仙八先生」に出演をしており、俳優としてデビューをしました。

 

 

翌年にはドラマで共演をした本木雅弘さんと布川敏和さんと共に当時のジャニーズのアイドルグループ「シブがき隊」を結成してデビューをしています。

 

そしてこのアイドルグループは、1982年に「NAI・NAI 16」でメジャーデビューを果たしています。

 

 

薬丸さんはこの頃からアイドルグループ「少年隊」の東山紀之さんとは仲が良かったそうです。

 

「シブがき隊」は「100%…SOかもね!」や「ZIG ZAG セブンティーン」などのヒット曲を連発し、瞬く間にトップアイドルに上り詰めていきました。

 

当時の薬丸さんは芸能界内ではかなりモテていたようで、芸能人からバレンタインに貰うチョコレートの数が、田原俊彦さんが1位で薬丸さんが2位という年があったことを自ら明かしていました。

 

またかなり忙しい日々を送っていたことから、高校に行くことができずに気づくと1年ずつ同級生が変わっていったといいます(毎年留年していた)。

 

留年を続けて光GENJIと同級生になるというタイミングで、この高校を中退しました。

 

そのため大学などにも進学していません。

 

以降も「シブがき隊」のメンバーとして活動しています。

 

グループは1982年から86年まで5年連続でNHKの紅白歌合戦に出場しましたが、19888月に解散しています。

 

 

薬丸さんは解散後は主に俳優として活動しており、1989年の「弁護士・朝日岳之助」でテレビドラマに初主演しています。

 

1990年代半ば頃からタレントとしての活動が多くなり、1995年から「出没!アド街ック天国」にレギュラー出演し、1996年から「はなまるマーケット」にレギュラー出演していました2014年まで)。

 

他にも「ぴったんこカンカン」や「バイキング」、「生き物にサンキュー!!」などの番組にレギュラー出演していました。

 

私生活では1990年に歌手の石川秀美さんと結婚し、4人の子どもがいます。

 

 

現在でも複数のレギュラー番組を持っている売れっ子ですから、今後の活動にも注目です。

 

 

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