神田正輝の学歴と経歴|出身は日本大学・日本大学高校!中学校の偏差値|スポーツが万能だった!

 

俳優の神田正輝さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は神田さんは子供の頃からスポーツが万能で、大学時代は有名スキーメーカーのテストスキヤーを務めていました。学生時代のエピソードや情報、若い頃のかっこいい画像なども併せてご紹介いたします

 

神田正輝(かんだ まさき)

 

 

19501221日生

身長178

血液型はA型

 

東京都出身の俳優

本名同じ

 

以下では神田正輝さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします

 

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目次

神田正輝の学歴まとめ

 

出身大学:日本大学 芸術学部映画学科

出身高校:日本大学高校

出身中学校:新宿区立四谷第一中学校

出身小学校:港区立赤坂小学校→新宿区立四谷第四小学校

 

神田正輝の学歴~出身小学校の詳細

 

出身小学校:東京都 港区立赤坂小学校

後に転校

 

 

 

神田正輝さんの出身小学校は、公立校の港区立赤坂小学校です。

 

家族構成は両親と3人家族です(一人っ子)。

 

父親は元帝国海軍の軍人で長野県で林業を経営しており、母親は女優の旭輝子さんです。

 

父親と他の女性と家庭を持っていたことから母親とは入籍をしておらず、神田さんは婚外子として育てられています。

 

神田さんは理由は不明ですが鎌倉から、2時間かけて赤坂の小学校まで通っていました。

 

また子供時代は外で遊ぶことが大好きな活発な子供でした。

 

なお小学校3年生の時に新宿区に転居して、新宿区立四谷第四小学校に転校しています。

 

 

ちなみにこの小学校は、2007年に閉校しています。

 

神田正輝の学歴~出身中学校(新宿区立四谷第一中学校)の詳細

 

出身中学校:東京都 新宿区立四谷第一中学校 偏差値なし

※現在は新宿区立四谷中学校

 

 

 

神田正輝さんの出身中学校は、新宿内の公立校の四谷第一中学校です。

 

この中学校は2001年に、新宿区立四谷第二中学校と統合されて、現在は新宿区立四谷中学校になっています。

 

中学時代はバスケットボール部だけでなく陸上部や水泳部、天文部まで併部して掛け持ちをしていました。

 

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神田正輝の学歴~出身高校(日本大学高校)の詳細

 

出身高校:神奈川県 日本大学高校 偏差値66(現在・難関)

 

 

 

神田正輝さんの出身高校は、私立の男子校(当時)の日本大学高校です。

 

この高校は1930年開校の日本大学系列の私立高校です。

 

現在は早稲田大学などの難関大学に進学する生徒も増えて偏差値も上がっていますが、神田さんが在籍した当時は主に系列の日本大学が進学先で、現在ほどのレベルではありませんでした。

 

神田さんは運動神経が抜群によく、高校時代は夏はダイビング、冬はスキーに熱中していました。

 

【主な卒業生】

斎藤司(トレンディエンジェル)

桜塚やっくん(お笑い)

坂本九(歌手・中退)

張本智和(卓球選手)

 

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神田正輝の学歴~出身大学(日本大学)の詳細

 

出身大学:日本大学 芸術学部映画学科 偏差値48(現在・やや容易)

 

 

 

神田正輝さんは高校卒業後は、日本大学に進学しています。

 

この大学の系列の高校に通っていたことから、一般受験ではなく内部進学で進んでいます。

 

芸術学部の映画学科に在籍しており、当時はカメラマンを目指していました。

 

また大学時代にはプロ級のスキーの腕前を活かしてテストスキーヤーのアルバイトをしており、アメリカのスキーメーカー「K2」のテスターでした。

 

その際には海外のスキー場の氷河の上を滑ったほどでした。

 

テスターのアルバイトは命がけだったことから、給料が高かったそうです。

 

また神田さんはスキーをやっていた頃には肉や甘いものを大量に食べており、ケーキをホールまるごとや1500gのステーキを食べたこともあったようです。

 

当時は将来は海の家やペンションの経営をしたいと夢に見ていたようです。

 

ただし後にスキーが嫌いになってやめています。

 

また大学は卒業しています。

 

23歳だった1973年にレストランで知人を通して石原裕次郎さんと意気投合をしており、「役者をやる気はないのか」とスカウトをされましたが、神田さんは一度は石原さんの誘いを断っています。

 

しかしスキー仲間からの後押しもあり日活を見学後に石原さんから「ひやかしでドラマ1本でよい」と言われて、軽い気持ちでドラマに出演しましたが以降は本格的に俳優を目指しています。

 

神田さんは当時のことについてインタビューでは次のように話していました。

 

「(石原裕次郎さんに)『役者をやる気はないのか』と言われて『ありません』と(笑)。でも、『冷やかしでいいなら1本やりますよ』と伝えたわけ。『冷やかしで1本』と言ったら1話だけで終わりだと思うでしょ。それが、1話から最終回のことで。そこから7年間休みがなかった(笑)」

 

そして26歳だった1976年に、テレビドラマ「大都会 闘いの日々」で俳優デビューを飾っています。

 

 

しかしその後も神田さんは芝居が好きというよりはスタッフが好きで芝居を続けており、インタビューでは次のように振り返っています。

 

「芝居が好きというより、僕がずっと会社にいたのは撮影部や照明部のスタッフがみんなよかったから。会社との心の距離が離れていたら、とっくに辞めていただろうね。誰が偉いかとかは関係ない、本当の家族のような存在。また、石原さんは僕の父と同じような話し方をする人だったから」

 

神田さんのその後は「俺たちは天使だ!」や「ゆうひが丘の総理大臣」などのテレビドラマに出演して人気俳優になります。

 

 

さらに1979年には「まごころ」で歌手デビューも果たしています。

 

 

1980年からは当たり役となった「太陽にほえろ」に出演しています。

 

 

35歳だった1985年に、人気歌手の松田聖子さんと結婚した際には「世紀の結婚」と呼ばれて大きな話題になっています(1997年に離婚)。

 

 

翌年には娘の神田沙也加さんが誕生しています。

 

 

以降も人気俳優として、数々の作品に出演しています。

 

また石原軍団の中核のメンバーとして、長らく事務所を支えてきました。 

 

以上が神田正輝さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

俳優としてデビュー後は順調にキャリアを重ねて、数々の作品に出演してきました。

 

未だに高い人気を誇っているので、末永い活躍を期待したいところです。

 

松田聖子の学歴|出身高校大学や中学校の偏差値と若い頃のかわいい画像

 

神田沙也加の学歴と経歴|出身高校中学校や大学の偏差値|イジメで4回も転校していた

 

経歴/プロフィールの詳細

 

1973年に石原裕次郎に声をかけられたことがきっかけで、石原プロモーション入り。 

1976年のテレビドラマ「大都会 闘いの日々」で俳優デビュー。 

「ゆうひが丘の総理大臣」や「俺たちは天使だ!」などの連続ドラマの出演で人気が上昇。 

1979年に「まごころ」で歌手デビュー。 

1980年から出演した「太陽にほえろ」のドック刑事役は当たり役となる。 

1985年の映画「カリブ・愛のシンフォニー」で共演した歌手の松田聖子と結婚。

1986年に娘の神田沙也加が誕生する。 

1993年の「さまよえる脳髄」で映画初主演。 

19971月に結婚生活12年で松田聖子と離婚。 

日本レコード大賞などの司会やバラエティー番組にも出演していた。

 

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