オリンピックの金メダリストでタレントやキャスターとして活躍している高橋尚子さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は高橋さんは高校時代は練習熱心ではなく、付き合っていた彼氏もいました。学生時代のエピソードや情報、若い頃のかわいい画像なども併せてご紹介いたします
高橋尚子(たかはし なおこ)
1972年5月6日生
身長163㎝、体重46㎏
血液型はO型
岐阜県岐阜市出身のタレント、元マラソン選手
本名同じ、愛称は「Qちゃん」
以下では高橋尚子さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
高橋尚子の学歴~出身小学校の詳細
出身小学校:不明
高橋尚子さんの出身小学校は、岐阜市内の公立校のようですが校名などは不明です。
家族構成は両親と兄の4人家族です。
両親はともに教師だったことから、高橋さんも大学時代までは教員志望でした。
また小学校時代は習字を習っています。
意外にも高橋さんは小学校時代はスポーツをしていませんでした。
ただしそれでも学校のマラソン大会では優勝しており、当時から光るものがあったようです。
高橋尚子の学歴~出身中学校の詳細
出身中学校:岐阜県 岐阜市立藍川東中学校 偏差値なし
高橋尚子さんの出身中学校は、岐阜市内の公立校の藍川東中学校です。
中学時代も陸上部に在籍しましたが、実は陸上部にするかバスケットボール部にするか迷っています。
陸上部の下見に行った際に、先輩部員がスターターピストルを撃つ姿に「カッコイイ」と思って陸上部に入部しています。
また陸上のほうが道具代がかからないというのも理由のひとつでした。
中学時代の部活動は楽しんでおこなうことに重点が置かれていましたが、記録はグングン伸びたそうです。
とは言え当時の高橋さんは県大会に出場できるレベルで、全国大会などには出場していません。
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高橋尚子の学歴~出身高校の詳細
出身高校:岐阜県 県立岐阜商業高校 偏差値53~57(コース不明のため)
高橋尚子さんの出身高校は、県立の共学校の岐阜商業高校です。
この高校は1904年開校の伝統校で、部活動が盛んで特に硬式野球部が県内では強豪です。
また同校は以下の4つのコースを設置していますが、高橋さんがどのコースに在籍したかは不明です。
国際コミュニケーション:偏差値57
会計システム:偏差値54
情報処理:54
流通ビジネス:偏差値53
高橋さんは一般受験ではなく、陸上のスポーツ推薦で進学しています。
プロ野球の西武ライオンズや中日ドラゴンズで活躍した和田一浩さんは、高校時代の同級生です。
高校時代も陸上部に在籍しており、主に800mの中距離を専門としていました。
高校時代は岐阜県では1位となっていますが、インターハイは予選で敗退して出場していません。
また高校2年生の時には都道府県対抗女子駅伝のメンバーにも選ばれていますが、47人中45位の惨敗に終わっています。
なお高校の恩師によれば高橋さんは当時から才能はあったものの、練習に対する意識が低かったと言われています。
また高校時代の高橋さんは交際していた年上の彼氏もおり、決して陸上一本ではありませんでした。
そのためか高橋さんは高校時代は非常に楽しく、毎朝みんなに会うのが楽しかったとインタビューで話しています。
【主な卒業生】
高木守道(プロ野球・中日ドラゴンズ元監督)
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高橋尚子の学歴~出身大学の詳細
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出身大学:大阪学院大学 商学部 偏差値38(かなり容易)
高橋尚子さんは高校卒業後は、大阪学院大学に進学しています。
当時は教師志望で、教員免許を取得するためにこの大学に進学しています。
体育大学からスポーツ推薦で勧誘もされていますが、それを断ってこの大学に進みました。
また大学でも陸上部に入部していますが、当時のこの大学の陸上部はさほど実績はありませんでした。
高橋さん自身も高校時代は陸上選手としては無名でしたが、大学時代に急成長しています。
大学時代に本格的に長距離走の選手に転向しています。
大学3年生だった1993年にはインカレで1500m2位、3000m3位と上位に入賞。
日本学生種目別選手権では1500mで優勝を飾っています。
インカレでは優勝を果たすことができませんでしたが、学生長距離界ではトップクラスの選手になっています。
ちなみに高橋さんは大学1年生の頃から、練習後にプラス10分のジョギングを習慣にしています。
これを引退するまで続けていたのですが、最終的にはプラス1時間のジョギングになっていました。
とは言えこの「プラスちょこっと」を最後まで続けることができたので、オリンピックでも金メダルをとることができたとインタビューで話しています。
微々たるものでもそれを繰り返し重ねていけは、大きな成果になるということですね。
大学4年生の時には実業団数社から勧誘を受けており、高校時代の恩師に相談したところ、小出義雄さんが監督を務めていたリクルートを勧められています。
しかし当時のリクルート陸上部は高橋さんにオファーを出していなかったばかりか、部の方針で高卒の選手のみを採用していました。
そのため大卒の高橋さんは一度は入社を断られています。
ところが小出さんとの面接を経て北海道の合宿に参加すると、小出さんがその才能を見抜いて契約社員でリクルートに入社することになります。
大学を卒業した1995年4月にリクルートに入社して陸上部に在籍しますが、入社1年目から駅伝のメンバーに抜擢されています。
当時のリクルート陸上部は、有森裕子さんや鈴木博美さんら日本代表クラスが揃っていたにも関わらずです。
1997年には小出さんとともに積水化学に移籍しますが、この頃から世界的なランナーに成長していきます。
翌年のバンコクアジア大会の女子マラソンで2位に13分以上の差をつけるアジア最高記録(当時)で優勝して一躍シドニーオリンピックの金メダル候補に躍り出ます。
2000年のオリンピック本番でも期待に違わぬ走りで圧勝し、金メダルを獲得しています。
ちなみに日本女子陸上界でのはじめての金メダルで、国民栄誉賞も授与されています。
ただし2004年のアテネオリンピックでは日本代表に落選し、高橋さんのオリンピック出場は1度きりです。
2008年で36歳で現役を引退していますが、その明るいキャラクターでバラエティ番組などにもたびたび出演しています。
またオリンピックの際には、キャスターとしても起用されています。
以上が高橋尚子さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
2000年のシドニーオリンピックでの金メダルは圧巻で、一躍時の人にもなっています。
また現役引退後も親しみやすいキャラクターでたびたびテレビ番組にも出演しています。
2020年には24時間テレビのチャリティーランナーにも起用されています。
その他にも母校の大阪学院大学の特任教授や実業団陸上部のアドバイザーなどを務めており、現在でも多方面で活躍しています。
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