俳優の吉田栄作さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。若い頃は俳優や歌手として一世を風靡した吉田さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、若い頃のかっこいい画像なども併せてご紹介いたします
吉田栄作(よしだ えいさく)
1969年1月3日生
身長182㎝
血液型はA型
神奈川県秦野市出身の俳優、タレント、歌手
本名同じ
以下では吉田栄作さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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吉田栄作の学歴まとめ
出身大学:進学せず
出身高校:神奈川県立秦野南が丘高校
出身中学校:秦野市立本町中学校
出身小学校:秦野市立本町小学校
吉田栄作の学歴~出身小学校(秦野市立本町小学校)の詳細
出身小学校:神奈川県 秦野市立本町小学校
吉田栄作さんの出身小学校は、地元秦野市内の公立校の秦野市立本町小学校です。
家族構成は両親と4歳年上の兄の4人家族です。
当時は父親が吉田屋商店を経営しており、インタビューで次のように振り返っています。
「昔は『吉田屋 商店』という雑貨屋を経営していました。今でいうと、日用品を扱うドラッグストアみたいなお店でしたね。おふくろが近所のお肉屋さんや八百屋さんに買い物に行くときには、僕もよくお店番をしていましたよ。」
父親には厳しく育てられましたが、「勉強しなさい」とはほとんど言わませんでした。
兄は習い事や塾にも行っていましたが、吉田さんは習い事などはやっていなかったようです。
バスケットボールに関しては小学校からやっていました。
母親からは「友達と遊びに行くときは約束の時間を守りなさい」とか、「おやつをごちそうになったら帰宅後もう一度電話でお礼を言いなさい」などと礼儀のことに関して厳しく言われたと言います。
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吉田栄作の学歴~出身中学校(秦野市立本町中学校)の詳細
出身中学校:神奈川県 秦野市立本町中学校 偏差値なし
吉田栄作さんの出身中学校は、地元神奈川県秦野市内の公立校の秦野市立本町中学校です。
中学時代はバスケットボール部に在籍して、部活動に励んでいました。
ちなみに吉田さんは運動神経が非常によく、スポーツは全般的に得意でした。
当時は校則で髪型は丸刈りでした。
また中学2年生の時に、はじめて彼女ができています。
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吉田栄作の学歴~出身高校(神奈川県立秦野南が丘高校)・大学の詳細
出身高校:神奈川県 秦野南が丘高校 偏差値42(容易)
※現在は秦野総合高校
吉田栄作さんの出身高校は、県立の共学校の秦野南が丘高校です。
同校は1981年開校の県立校で、部活動が盛んでバレーボール部や柔道部が県内で強豪でした。
2008年に同じ県立校の大秦野高校と統合されて、現在は秦野総合高校となっています。
吉田さんはこの高校に入学当初のことについてインタビューで次のように話しています。
「本町中学校を卒業して秦野南が丘高校(現秦野総合高校)に進学したんですが、兄貴のお古のチャリで通学しようと思ったら行きはめちゃくちゃ上り坂で、学校に着くころには汗びっしょり。1日でやめました(笑)。」
記事引用:レアリア
高校時代はバスケットボール部に入部をしていますが、高校2年生のときに退部しています。
高校2年生のときに俳優を志しており、当時から俳優になって後に音楽もやりたいと思っていました。
吉田さんが俳優になりたいと思ったきっかけは、高校2年生の夏休みに彼女と新宿センタービルの52階のカフェに行ったときのことでした。
当時のことについてインタビューでは次のように話しています。
「窓際の席に座って下を見ると、スクランブル交差点があって、ワーッて人が通っている。ああ、人って小さいんだな、自分もあそこに行ったら、あの中の点なんだなって。ならば自分は死んだ時に、記録に残るような生き方がしたいなと思った。それがなぜか俳優とか芸能界っていうものと、直結したんですよね。」
記事引用:BARKS
そして同年に俳優を目指すためにバスケットボール部を退部して、東京の俳優養成所に通いはじめています。
また同年に友人とロックバンドを組んで音楽活動もしたり、同時期にサーフィンもはじめています。
その他にもウェイトリフティング同好会に所属して、高校時代は体を鍛えまくっています。
吉田さんは放課後は高校卒業後に上京をするためにアルバイトをしており、4つ掛け持ちしたこともあったと言います。
高校を卒業するためにテストが近くなると集中をして、一気に覚えるタイプのスタイルで乗り切っています。
また吉田さんは高校時代は女子からかなりモテており、他校にまでファンがいるほどでした。
吉田さんにとって高校生活はかなり楽しかったようで、「過去に戻れるなら、高校3年生がいいなぁ。学園ドラマみたいないい時代だったから」と当時を振り返っています。
【主な卒業生】
菊地凛子(女優)
大学には進学していない
なお吉田さんは高校卒業後は、大学などには進学していません。
高校卒業後のことについてはインタビューで次のように話しています。
「高校を卒業して、東京でアルバイトをしながら自活して、19歳の時にタカキューというアパレルが主催する『ナイスガイ・コンテスト』でグランプリを獲ったことが映画デビューにつながるんです。」
19歳だった1988年に「ナイスガイ・コンテスト・イン・ジャパン」でグランプリを獲得し、芸能界入りしています。
当初はファッションモデルとして活動を開始しています。
またこの年に後藤久美子さん主演の映画「ガラスの中の少女」で俳優デビューしています。
翌年には「君の瞳に恋してる」や「はぐれ刑事純情派2」などのテレビドラマにレギュラーとして起用されて、俳優として大ブレイクしています。
当時はモデル出身者は俳優では成功しないという意見が支配的でしたが、阿部寛さんらとともに当時の常識を覆して、後進に道を作ったことは大きな功績です。
またこの年に歌手としてもデビューして、「心の旅」がヒットして紅白歌合戦にも出場しています。
そのため人気絶頂期には織田裕二さんや加勢大周さんと、「トレンディ御三家」や「平成御三家」と呼ばれて、絶大な人気を博しています。
吉田さんは26歳だった1995年に芸能活動を休止して渡米しますが、この頃を境にメディアへの出演が激減していきます。
1997年にファッションモデルの平子理沙さんと結婚しますが、2015年12月に離婚しています。
2021年9月には、かねてから交際が噂されていた13歳年下の女優・内山理名さんとの再婚が報道されて大きな話題になっています。
こちらの動向にも注目ですね。
以上が吉田栄作さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
絶頂期の人気はすさまじく、数々のテレビドラマや映画の主演に起用されました。
その後はバラエティ番組にも進出して、「マネーの虎」の司会でも人気を博しています。
このところはわき役での起用が目立っていますが確かな演技力で多くの作品を盛り上げており、末永い活躍を期待したいところです。
経歴/プロフィールの詳細
当初はモデルとして活動し、1988年の「ナイスガイ・コンテストイン・ジャパン」でグランプリを獲得したことがきっかけで、1988年の映画「ガラスの少女」で俳優デビュー。
1989年に歌手デビューして、「心の旅」や「今を抱きしめて」などがヒットして、1990年にNHK紅白歌合戦に初出場。
1991年の「代打教師秋葉、真剣です!」で映画初主演。
「君の瞳に恋してる」や「キモチいい恋したい」などのトレンディードラマの出演を経て、1991年に主演した「もう誰も愛さない」がヒットして人気俳優の仲間入りを果たす。
人気絶頂期の1990年代前半には織田裕二、加勢大周とともに「トレンディ御三家」と呼ばれる。
1995年に芸能活動を休止して、役者修業のために渡米。
1998年に帰国後は俳優に復帰。
私生活では1997年にモデルの平子理沙と結婚するが、2015年12月に離婚。
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