俳優の市村正親さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。数多くの舞台に主演してきた市村さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、若い頃のかっこいい画像なども併せてご紹介いたします
市村正親(いちむら まさちか)
1949年1月28日生
身長170㎝
血液型はA型
埼玉県川越市出身の俳優、声優
本名同じ
以下では市村正親さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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市村正親の学歴まとめ
出身専門学校:舞台芸術学院
出身高校:川越商業高校
出身中学校:川越市立初雁中学校
出身小学校:川越市立川越第二小学校
市村正親の学歴~出身小学校(川越市立川越第二小学校)の詳細
出身小学校:埼玉県 川越市立川越第二小学校
※現在は川越市立川越小学校
市村正親さんの出身小学校は、地元川越市内の公立校の川越市立川越第二小学校です。
家族構成は両親と3人家族です(ひとりっ子)。
父親は農家の長男でしたが、家は継がずにローカル紙「武州新報」を主宰していました。
市村さんは子供の頃を振り返って、ひとりっ子で鍵っ子だったため想像力が豊かになったと語っています。
近所の子供たちと遊んで周囲の人を気分良くさせると、自分も気分が良くなって寂しい思いをせずにいられることに、この頃から気づいていました。
また母親によれば、わがままでしたがすべてに対して真面目な性格だったとのことです。
また子供の頃から人前で何かを表現することが好きでしたが、俳優になろうとは思っていませんでした。
当時のことについてインタビューでは次のように話しています。
「川越の秋の山車祭りで、3歳のころから『テンテンツクツク』というおはやしを聞くと腰をひいたり回したり、体を動かしていた。太鼓や笛の音がにぎやかで、その中に入って一緒に踊りたいなとあこがれていた。」
記事引用:NIKKEIリスキング
また母親が営んでいた居酒屋のカウンターの上で、山車祭りの白虎の真似をして踊るとお客さんが時々おひねりをくれていました。
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市村正親の学歴~出身中学校(川越市立初雁中学校)の詳細
出身中学校:埼玉県 川越市立初雁中学校 偏差値なし
市村正親さんの出身中学校は、地元川越市内の公立校の川越市立初雁中学校です。
中学時代は柔道部に在籍をしていました。
市村さんは体が小さかったことから、柔道部では投げられ役専門でした。
練習相手を喜ばせるために綺麗に投げられて、綺麗に受身を取るように心がけていたそうです。
また中学時代には同級生の女子とはじめてデートを経験しており、寿司屋に行っています。
【主な卒業生】
岸優太(King&Prince)
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市村正親の学歴~出身高校(川越市立川越商業高校)・大学の詳細
出身高校:埼玉県 川越商業高校 偏差値 不明
※現在は川越高校
市村正親さんの出身高校は、市立の共学校の川越商業高校です。
この高校は1926年開校の公立高校で、伝統的にスポーツが盛んでプロ野球選手やバレーボール選手などを輩出してきました。
2002年に川越高校に校名変更して、商業科はなくなっています。
現在の偏差値は53~55程度ですが、市村さんが在籍した当時の商業科の偏差値は不明です。
ただし当時の商業科はさほど人気がなかったほどから、偏差値も現在ほど高くはなかったはずです。
高校時代は逆立ちやトンボを切ってみたいという単純な理由で、体操部に在籍をしていました。
しかし高校2年生のときに練習中にバランスを崩したことでバク宙に失敗をして、ガラスに突っ込んで長期入院をする怪我をしています。
市村さんはこれまでのように体操に夢中になることができなくなりました。
ちなみに得意種目は床運動でした。
そして体操部を辞めた後に「3年生を送る会」で舞台をしたところ、演劇部の顧問の先生から声をかけられています。
周囲は就職活動をしている時に市村さんは演劇にハマってしまい、学校に来ていた劇団にお手伝いに行ったり、いろんなところで勉強をして部員に教えていたそうです。
当時のことについては次のように話しています。
「演劇部は10人くらいいたが、男は1人だった。部活動だけでは足りないと、赤羽にある『新日本児童』という学校に、授業が終わってから通った。面白いと思ったからこそ、突き進んでいけました。」
市村さんは日活映画「涙になりたい」にも端役で出演をしており、間近で石原裕次郎さんや小林旭さん、宍戸錠さんらのスターを見たことは新鮮だったとのことです。
また俳優のハナ肇さんや青島幸男さんのところにアポイントも取らずに突然行って、「付き人にしてください」と頼み込んだこともありましたが、どちらも門前払いをされました。
【主な卒業生】
桃月なしこ(コスプレイヤー)
伊織あい(女優)
櫻井淳子(女優)
なお市村さんは高校卒業後は、専門学校の舞台芸術学院(偏差値なし)に進学しています。
この専門学校は1948年開校で、数々の俳優を輩出しています。
役所広司さんや平岩紙さんらも同校の卒業生です。
この専門学校の入学式の前日には、鍋や布団など最低限のものを持って、学校近くの3畳一間の下宿に転がり込みました。
この専門学校には特別講座でいろんな俳優やスタッフが来ていました。
そこで俳優の西村晃さんが付き人を探しているということ知った校長先生が、学校を1日も休んだことがない市村さんを推薦してくれました。
市村さんは専門学校卒業後、西村さんの付き人を3年間務めた後に、劇団四季のオーディションに合格をしています。
劇団四季では数々の舞台に主演していました。
1990年に劇団四季を退団していますが、以降も数々のミュージカルの舞台に出演しています。
以上が市村正親さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
篠原涼子さんと再婚、離婚は大きな話題になりました。
現在でも多くの作品に出演しており、その傑出した演技力で物語を盛り上げています。
既に70歳を超えていますが、末永い活躍を期待したいところです。
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経歴/プロフィールの詳細
1973年に劇団四季のオーディションに合格し、翌年に正式に入団。
以降は「オペラ座の怪人」や「キャッツ」などに主演して、1980年代の劇団四季を代表する俳優となる。
1980年の「獅子の時代」でテレビドラマ初出演。
1989年にNHKの紅白歌合戦に初出場して、「オペラ座の怪人」を歌った。
1990年に劇団四季を退団して、以降は主に「ミス・サイゴン」などのミュージカルの舞台で活躍。
2000年頃からテレビドラマや映画に多く出演しはじめ、2011年の「王様の家」でドラマ初主演。
以降も「ヤングブラック・ジャック」や「ATARU」、「べっぴんさん」などの連続ドラマに出演。
私生活では1984年に劇団四季の女優・八重沢真美と結婚したが2003年に離婚。
2005年に女優の篠原涼子と再婚し、2人の子どもがいる。
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